関門海峡口の明治灯台(部埼・六連島・台場鼻(廃止))

画像1 関門海峡も、明治になって灯台の設置が急がれた所。瀬戸内海側入口の目印となる部埼灯台は、友ヶ島・鍋島と同じ明治5年、共にブラントン氏設計で設置された。
画像2 潮流信号所となった旧官舎が設置された後方の高台からレンズを望遠で。設置当初の物が現役で使われているという。ここの潮流信号所は灯台とは別に“併設”となり、腕木式の標識も使用された(現地に保存)が、現在は灯台と同じ歴史を持つ旧官舎に直接、大きな電光掲示板が“挿さって”いる…(それでも重要文化財)
画像3 実は部埼より先、淡路島の江埼と同じ年の明治4年、関門海峡の日本海側入口の目印となる六連島に灯台が設置された。土地境界標は文字部分を黒で塗ってあった。(「燈臺局所轄」)
画像4 撮影時、灯台周囲は草生していた。灯台敷地へ上がる階段もこの通りで…
画像5 ブラントン氏による灯台。塔の部分は白だが、付属舎は石の地色に。門柱と、草茫々な旧官舎跡の空地。同時期の灯台としては珍しく官舎が残されていないが、戦災等ではなく、無人化の際に解体され、石材(他と同時期のと同じ石積みだった模様)を周囲の塀にしたらしい。少なくともネット上では旧官舎の姿が分かる物は出て来ない。
画像6 こちらは同じ明治でも、後期の33年設置でかつ小ぶりな灯台(煉瓦造)。彦島の北西隣の竹ノ子島にあった。潮流信号所の電光掲示板と航路管制用レーダーに挟まれ更に小ぢんまりしてしまったこの灯台、既出の鮴埼と1ヶ月違いで廃止になり取り壊され残っていない。ここでも過去には腕木式潮流標識が使われていて、それは愛知県の明治村に移されている。

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