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「欲望の翼」ウォン・カーウァイxクリストファー・ドイルxレスリー・チャンの奇跡的な化学反応

私がレスリー・チャンのファンだからだろうか?しかし、レスリー主演の映画は、数々の香港の駄作から代表作「さらば我が愛、覇王別姫」まで、ほとんど見ているけれども、「欲望の翼」ほど彼の艶めいた官能が引き出された映画はない。

それは、ウォン・カーウァイという映像作家によって捏造された60年代を背景にした妄想の世界と、それをまるで映像が生き物であるかのように甘美に具現化するクリストファー・ドイルという撮影の存在で成立している。そして絶頂期のレスリー・チャン(私生活はゲイという二重生活を送っていたレスリーの、ストレートの男優にもゲイを公表している男優にも醸し出せないピリピリとした感受性)、まさにその3人のアーティストの組み合わせの化学反応が引き起こした奇跡と言ってもいい。

カーウァイxドイルxチャンのタッグは他にも2作品、「楽園の瑕」「ブエノスアイレス」がある。しかし、それらには何かが足りない。映画はフィクションで、フィクションだとわかっていながらその世界に没入して酔いしれることができる映画こそが名作だとすると、それらは没入できなくて、「欲望の翼」は没入できる。つまり、名作だ。映画の背景である60年代のカルチャーが持っていた不思議なパワーもあるのかもしれないし、レスリー・チャンのナルシスティックな存在が複数の登場人物によって、ちょうどいい加減に抑えられていたせいかもしれない。

クリストファー・ドイルはガス・ヴァン・サントなど他の監督作品も撮影しているが、それらの中でドイルは監督の要望に忠実に応えた優秀な撮影監督として匿名に埋没する。カーウァイ作品はそういう意味で、ドイルの良さが極端に引き出されていると言っていいのかもしれない。同様に、カーウァイもドイルを失うと、凡庸なエンタメ作家に戻ってしまう。

「欲望の翼」の続編ともいうべきウォン・カーウァイ作品には「花様年華」「2046」がある。特に「2046」は、チャーミングなフェイ・ウォンが時々登場し、トニー・レオンのモノローグに「ノルマ」のアリアを断続的に挟み、テレビドラマでしか生息できないキムタクでさえあの世界に馴染んでいる、奇妙で美しい作品だ。しかし「ノルマ」でさえ、「欲望の翼」の「ペルフィーダ」が持つ圧倒的にエモーショナルな効果にはかなわない。そのノスタルジックな音楽と、ドイルのグリーン味を帯びて入念に仕上げられた、ワイド過ぎないワイドレンズを使った部屋の切り取り、ドラマチック過ぎないレスリー・チャンのクロースアップ。もちろんカリーナ・ラウ、マギー・チャン、アンディ・ラウ、ジャッキー・チュンらのキャストの人物配置もいい。「欲望の翼」は、そのディテールすべてによって、スタイリッシュな映像の一編で終わりがちな他のカーウァイ作品とは違って、唯一、観客の心とつながることに成功している。

恋愛とは、「自分に惹かれている相手に惹かれる、心理的駆け引きのゲームである」。これは私なりの恋愛の定義だが、恋愛とは、他者に対する「愛」とか「愛情」は、ほぼ何の関係もないと言っていい、他人を介在した「自己愛」の証明で、「愛されたい切実な気持ち」だ。そういう意味でこの映画の、誰もが誰にも満たされない姿は恋愛の本質を描いている。

「欲望の翼」には、わかりやすいプロット主導のハリウッド的な予定調和やハッピーエンドもないし、いわゆる恋愛映画の黄金ルールのようなものには、はまらない。でも、プロットが不完全で手法が稚拙であるがためにいっそう人物の心の痛みがヒリヒリと伝わってくる。観た後にはせつない余韻が残る。フィクションとわかっていながら、そこにはいつでもひっそりと彼らの世界があり、それは時として現実よりも鮮明だ。だから、一番好きな恋愛映画は、この完璧からはほど遠いレスリー・チャン主演の香港映画なのだ。


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