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角田光代『愛がなんだ』

初めて入った喫茶店のカウンターに角田光代の『愛がなんだ』が置かれていた。
昨日、Eテレで彼女がゲストの番組を見たのもあって、折角だからすこし読んでみようと手にとった。

いや、おい、わたしではないかい!?
不毛な恋、年齢、限りなく無職に近い生活。
結末が気になって、青ざめながら読んでいた私はどんな表情をしていたのだろう。
気に入ったら購入するなり借りるなりしてゆっくり読もうと本を開いたものの、それどころではなくなってしまった。

帰る時間も気にしていたし、実をいうと、読み飛ばしすぎて結末はよく覚えていない。それでもぐさぐさと刺さる言葉や情景を全身に受けながら超スピードで駆け抜けていく、私には珍しい読書体験だ。

さて、冷静になると、私は彼女ではない。
主人公のようでありたくないばかりに、自分との相違点を必死で探しているようにも思えるが、それでもやっぱり彼女と私は違う。
今流行りの言葉でいえば、不毛な恋をする女をあまりの解像度で描いているものだから、思わず自分を重ねながら読んでしまうのだ。
人の存在丸ごとを愛してしまったとき、世界ってこういう輝きかたをするよね。苦しみってそういう形をしているよね……。

冒頭で、わたしではないかい!と叫んでしまったがために気がまわらなかったものの、彼女をとりかこむ人たちもそれぞれに愛する/愛されるの不均衡の中もがいている。この作品をじっくり穏やかな心で読むことができれば、人間の不器用さや哀しさや愛しさの色々な襞に入ってゆけるのだと思う。
が、自分の姿を重ねて釘付けになったままページをめくることができたことも贈り物のように感じる。物語と、言葉とこういうつながりかたもできるし、してもいいのだ。

あんなに苦しい思いで文字を追っていたのに、読んだあとには不思議と清々しく元気な気持ちだった。
こんな感情を動かされて困っちゃう。本を読む人って本当にすごいな。

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