Danny boy

駅からしばらく歩くと、彼の店に着いた。

「Closed…」

やっぱりかぁと肩を落としていると

「何してるの、ピアノの音がしてるじゃない。入ろうよ」

そう言って彼女は勢いよく僕にとって未知の世界へと通ずる扉を開けた。

薄暗い店内でそのおじさんはいた

「おぉ、いらっしゃい」

私たちに気が付くと、演奏をやめてそう言った。

「Danny boy...」

無意識に僕は呟いていた。

依然ふらりと立ち寄ったCDショップで何気なく手に取った「JAZZ 100選」の中に入っていて静かな曲ではあるが、ものすごく僕が惹かれた曲だった。

呟いた僕の声を彼の耳は逃さなかったようだ。

「JAZZはお好きですか?」

「はい、最近聴き始めまして詳しい方がいらっしゃるとのことで今日はお邪魔しました。」

「まぁまぁ、そんなに固くなさらずに。どうですか?とりあえず...」

そう言っておじさん、

いやマスターはピアノの傍らにあったビールを差し出した

「私のは?」

「忘れてないですよ」

そういって彼女には僕のとは違うかわいらしい瓶を手渡した。

女性への気配りも忘れてはいない。

「乾杯!!!」

カキンッといい音で瓶を鳴らした後、ビールを喉へと流し込む。

仕事帰りのビールは身体に染みわたるなぁと思っていると

「好きなジャズプレイヤーはいらっしゃいますか?」

「いえ、まだ曲を聴くだけなのでプレイヤーまでは...」

「では、何か弾いてみますね」

そういってマスターはおもむろに演奏を始めた。

さきほどの演奏とは打って変わり、

陽気で軽快で聴いているこちらまで

ワクワクしてくるような曲だった。

彼女は横で瓶片手にリズムを取っている。

「この曲は、"All of me" , ジャズを始める方、聴き始める方には

ジャズの良さを伝えやすい一曲となってますね。」

「静かな先ほどの曲も好きですけど、

こっちの方がジャズっぽさを感じますね。」

その後も何曲か話をしながら演奏を続けてくれた。

今では伝説のプレイヤーたちの話や逸話、曲にまつわる話など

あっという間に時間が過ぎていった。

「やば、もうこんな時間じゃん。私帰らないと。」

「長居させてしまいましたね、申し訳ない。」

そういってマスターは2枚のチケットを彼女に手渡した。

「ドリンク一杯サービス券です、またいらしてください。」

「ありがとうございます、また来ます!」

2人して店を出ると、

どこか遠くの場所から帰ってきたような不思議な感覚だった。

「今日は本当にありがとう、僕ここに通うかも。」

「よかったじゃん、たまには私も誘ってね。おやすみ。」

そう言って彼女と僕は別々のタクシーに乗り帰路についた。

「次はいつ行こうかな」

この時から気付かぬうちに僕は

あの店の、あのマスターのファンになっていた。


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