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鯖の踊り子

 渋谷区は午前10時。春近く、子供が家出をする時間。一本足の灰皿を蹴飛ばしているあいだにうまく逃げるんだよ、お前。お前だよ。後ろに誰かいる? お前しかいないだろ。
 メビウスとハイライト、それからラークの灰が混ざり舞う様はさながら花咲じじいのよう。セキュリティソフトのアップデートを毎日促してくるパソコンにウンザリするくらいの覚悟でお前が抜け出そうとしている家のセコムを壊してみせましょう。人間は犬に食われるくらい自由だが、お前にはもっと質の良い自由を与えよう、なんて考えているあいだにまた煙草を吸い終える。
 渋谷区は午前10時とちょっと。夢中になれなかったたくさんのものがシャツのポケットからはみ出している。すべてはイメージです。猫が真夜中のように鳴いている。渋谷区は午前2時。お祭り騒ぎの交差点、からはまだちょっと。眠れずに燃えないゴミと燃やすことのできるゴミを綯い交ぜにして捨てる人。午前2時、お前は何を考えている。
 出し損ねた手紙のように、名前も覚えられずに離れていった度数の高いカクテルのように、毎日どこかに空いた時間の中で考えている。逃げるんだよ、猫がつついた鯖の骨、つぎはカラスが天空に連れてって、それで最後に浜辺に捨てられるみたいに。ちょうどよく、うまいこと、なんて鯖の骨のように人間は自由ではなく、この世はどこかにつながるゆるい地獄なので、耐え切れずハンドクリームを食っている。
 セコムハウスの洗濯物がほどよく揺れ始めて渋谷区は午前8時。出勤前に干した靴下が出勤後誰かに履かれてしまう可能性は安全装置によって守られているようだけれども、お前の抱える大きな大きな、ぶっ殺したいだろう、ほんとうは。知らないけど。早朝のように鳥が鳴いている。渋谷区は午前5時。お日さまが昇るのが早くなった。冬はどこへ。春のように人々ははためくことはできないから、軽いコートを羽織ってごまかしている。何かから隠れるように私もコートの襟を立てていて、私が隠れたい対象はそれについて全く知らない。
 まったくだ。もしかしたらお前は家出をしようとしていなかったのかもしれない。残酷な映画を観すぎたせいなのかもしれない。屋根に届くくらい背が伸びたことを誰かに伝えたかっただけなのかもしれない。まったくだ。自分本位の考えを押し付け、まるで秋のように何かが終わるのを待っている。セコムの壊し方なんて知るわけがないだろう。知らない現実がみるみるうちに崩れていき、それでいい。すべての現実は想像の範囲外のことであり、私がそこに介入することは私の想像の範囲内にお前を閉じ込めることになるのである。
 しかし、まったく、ふざけた話だよ。知らぬ間に朝焼けも過ぎ、渋谷区は午前10時。戻ってくることが安易なのはここがどこか分かっているからというそれだけの理由ではありますが、定期券もありますし、タダみたいなものです。お前の部屋の窓は閉まっている。鍵はかけたか?
 安全装置の安全性を証明するためには不安要素をそこに刺せばよい。例えば例の猫であったりだとか、例えば私の煙草の火であったりだとか、例えばそれが善意だとしても悪意になってしまう安全な呪詛のようなものである。所謂ありがた迷惑というものである。酒飲んじまえ、煙草吸っちまえ、逃げ出しちまえ、終電まで寝ちまえ、学生証捨てちまえ。
 渋谷区は午後6時。また本日も始まるのであろう最悪に備えて私は煙草を吸うんです。ガキは逃げたか?

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