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「ご出身はどちらですか」の苦悩と祝福

人からインタビューを受けるとき、社員紹介のプロフィール、ほどほどに顔を合わせてきた相手との雑談etc.……定番の質問ともいえる出身地の話題。

私は生まれてから日本列島内を転々としてきたので、出身地を問われると困惑してしまう。
生まれたところ? 幼少期を過ごした地? 中高生時代に住んでいた県?
自分の出身地はどこなのだろう?
こればかりは、Google先生に尋ねてみても答えてくれない。

出身地の定義と京都市左京区

仮に、出身地を「自分の人格形成に最も影響を与えた地」と定義しよう。
その場合、やはり京都市左京区が私の出身地といえる街だと思う。
目を閉じれば、大文字山に吉田山、時計台、鴨川デルタ、下鴨神社、自分にとって思い出深い場所が、次々と瞼の裏に浮かぶ。

サークルの新歓イベントといえば、姉妹サークルと合同のイベントと、大文字山の登山と、からふねやの1万円パフェ耐久レースが定番だった。どれもこれも、若気の至りである。

大文字を含め、五山の送り火
その日だけは、「禁酒・禁煙・禁雀」を旨とする研究室でも飲酒が許された。それどころか、教授からちょっといい日本酒の差し入れまで頂戴した。
院生みんなで飲み会をしつつ、研究室の窓から送り火を眺めた。

神社でしばらく助勤をしていたり、サークルのイベントでお世話になったり、夏に肝試しをしたり、思い出がいっぱいの吉田山
「節分詣で、福詣で、吉田の山には鬼が出る」と今でも時々口遊む。「鬼(をに)」のイントネーションに、定家仮名遣が垣間見えて心が弾む。

下鴨神社の古本市で本を買い、高野のミスタードーナツでオールドファッションを買い、鴨川デルタでドーナツとコーヒーをおともに読書と洒落込んだ日々。
それも、鴨川上空を舞うトンビにドーナツを奪われ、盛大に顔を引っかかれた日から辞めてしまったけど。

「そこのお嬢ちゃん! お酒あるよ! 鍋あるよ!」とクスノキ下に炬燵を出していた集団に声をかけられ、やたらおいしい日本酒をごちそうになった時計台前
(※他人からお酒をもらうのは推奨しません。マネしないでください。)
そういえば、寮祭の時期には時計台をよじ登る寮生がいたものだ。阿呆の極みである。でも嫌いじゃない。
(※危険なのでマネしないでください。)

どれもがほのかにあたたかく、郷愁を誘う光景だ。

何者でも存在を許される地

ところで、京都で学生時代を過ごしたというと、「古都・京都だねぇ」とよく言われる。
しかし、立ち止まってよく考えてほしい。
平安時代の「都」なんて狭いもので、鴨川より東なぞ魑魅魍魎の蠢く地でしかない。

でも、その何者でも存在を許される場所。
それが、京都市左京区だった。

自分の出身地がどこかもわからない。
自分のアイデンティティとは何か、もはやわからない。
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」とゴーギャンのごとく嘯き、彷徨い続ける根無し草の人間。
それでもそこにただ存在することを、肯定され祝福される。
私にとって、京都市左京区はそういう意味での楽園だった。

そんな街を、今でも心から愛している。
もしまた自分の輪郭が溶けて消えそうになったら、東一条通へ帰ろう。
それから今出川通のカフェコレクションで鶏皮のバターライスを食し、のら酒房でじゃばら酒を一献、ほろ酔いで鴨川を渡り夜の下鴨神社を散策。
そんな一日を過ごせば、きっとまた自分の殻を取り戻せるはずだ。

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