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2022年4月期の新作ドラマ『東京シェアハウス物語』第1話

「ね、見て。豚丼500円が、半額の250円なんだよ」

目の前にあるのは、香ばしそうなタレを絡めた肉。その隙間から茶色に染みた米をのぞかせたお弁当を誇らしげに示しながら、ナミがいう。

「あのコンビニ、21時を過ぎるとお弁当半額にしてくれるんだよ。めちゃくちゃお得じゃない?」

マグカップに、なみなみと麦茶を注ぎながら、僕は

「半額はでかいよね」

と答えた。


毎週木曜日は3人が揃う日。ナミは豚丼2つに、唐揚げ弁当1つをビニール袋から取り出し、テーブルの中央においた。

誰が豚丼で、誰が唐揚げ弁当なのか。

そんなことを考えていたら、玄関で鍵を開ける音がする。

「あっ、帰ってきた」

玄関に続くドアの方向に2人で目をやった瞬間、

「ただいま」

疲れた顔をして、裕也が部屋に入ってきた。


「おかえり。今日はわりと早いね」

そういった僕に裕也は「おー」とだけ答え、半月ほど前に3人で喧嘩寸前になりながら選んだソファに腰を下ろした。

重そうなリュックをリビングの床に下ろした裕也は、上下深いネイビーカラーのセットアップを着ていた。濃いブルーのソファに身を沈めているので、色が同化し、顔と手だけが浮き上がって見える。なぜかそこだけ瑞々しい。

「今日は弁当?」

部屋に入ってきたときに確認したのだろう、こちらに顔を向けず、テレビのリモコンを探す素振りでキョロキョロしながら裕也はいう。

ナミは先ほど僕にしたのと同じように「21時を過ぎると弁当半額」の話を裕也にしたあとで、

「私、お腹空いちゃったからさぁ、先に食べない?」

といった。

食事を摂る前、必ず先に風呂をすませる裕也への問いかけだ。裕也は「ぁあ~」と少し返事に詰まったようだったけど「おー、そうしよか」と返事をしてテーブルに近づく。いつも19時にはすませている夕飯が、今日は21時半。裕也もお腹が空いているんだろう。

行儀悪く、イスであぐらをかいていた僕も正面から座り直し、全員分の箸があるかを確認した。よし、あるな。


「では、いただきます」

ナミのかけ声で、僕らも「まーす」と箸を割る。



僕とナミと裕也は、ひとつ屋根の下で暮らしている。いわゆるシェアハウスというやつだ。

足立区にあるこのシェアハウスは、4人住まいがちょうど良さそうなリビング。それからキッチン、トイレ、お風呂が共同であり、ほかに個室が4つある。

3人で暮らしているから1部屋あまっているのだが、裕也が自室に入りきらないギターやら、スケボーやら、かさばる私物を置いているので「人が来たらちゃんと片付けてよね」とナミに念をおされていた。

僕がこのシェアハウスにやってきたのは5ヶ月ほど前で、その頃はまだコートのいる寒さだった。


初めてこの部屋に住むことになった夜のことを、よく覚えている。

ナミと裕也とは、知り合いの知り合いという関係でもなかった。シェアハウスに僕が住みたくて、不動産屋を通して住むことを決めた物件だった。

日曜日の早朝に、わざわざ対応させて申し訳ないと僕は思いながら「これからよろしくお願いします」と2人へのあいさつを済ませ、部屋で荷ほどきでもしようとしたら、ナミから「せっかくだから夜ごはん、鍋でお祝いしようよ」と声をかけられた。

シェアハウスっぽいな……、と人ごとのように思いながら「あ、ぜひ」と僕は答える。

しかし、その夜は朝から出かけた裕也がなかなか帰ってこなかったため、ナミと2人で鍋をつつき始めることになった。

それは「チーズフォンデュ鍋」という異色の鍋で、僕はちょっとそういうのは苦手だったけれど、ナミのチョイスだったから文句はいえなかった。

ナミは大学を卒業予定の学生で、春から出版社に勤めると教えてくれた。社会人になっても、シェアハウスでの暮らしは当分続けるつもりらしい。

食事を始めて、2人とも酒が弱いことが分かったけれど「飲んでるふりはしたい」と盛り上がり、ノンアルコール缶を1本ずつ飲み干した。

アルコールも入っていないのに、僕だけが真っ赤な顔でふくらんだお腹をさすっていたことを覚えている。


冷蔵庫で冷やされたデザートのイチゴをナミが持ってきてくれたとき、裕也が帰ってきた。裕也とは朝にあいさつを交わしただけだったので、顔を見て「ああ、こんな人だったか」と思い出した。

リビングに入ってきて、テーブルの上のイチゴを目にした裕也は「あ、イチゴちょっと待った」と口にした。

左手に小さな箱を持っていて「これこれ」とやさしく揺らす。

「デザート?」とナミが聞く。

僕は「こんなにすぐ、前からみんなで住んでいたみたいな感じ」になるんだ、すごいなと思いながらその場の空気を楽しむ。

「カスタードとクリーム、どちらでしょうか」

ナミと予想しながら、裕也から受け取ったシュークリームの箱を開ける。

シュークリームは、カスタードとクリームのハイブリットだった。
僕とナミが「お~!!」とあげた歓声に、裕也は誇らしげな顔を見せる。



あれから5ヶ月。

僕ら3人の暮らしは、順調に進んでいるといえるのだろうか。


「そういえばさ」

誰の許可も得ず、自然に豚丼を選んだ裕也は忘れ物を思い出すような表情で切り出した。

「泉のとこに、おれのシャツなかった?」


一瞬、手がとまる。

シャツ?




僕はそのまま口にしても支障ないはずの言葉を、慎重に選んだ。

「どんなシャツ?」

間が不自然ではなかったかを気にしながら聞き返す。事件の容疑者に質問するときのように、シリアスすぎやしなかったか。

「なんかさ、柄の。色が混ざってるやつ。マーブル模様みたいな」

裕也は派手な柄の服を、好んで着る。

色も派手ではあるが、それは、なるべくたくさんの色を大きな鍋に入れて、混ざり合わないと分かっているのに一生懸命に混ぜ合わそうとする抽象的絵画のような、あやふやな色をしている。

そんなシャツばかりだったから、どのシャツのことをいっているのか、1ミリも頭に浮かんでこなかった。


「なんで泉の部屋に、裕也のシャツがあるの?」

残り1枚であろう豚肉をつまみながら、ナミが怪訝な顔をする。


僕ら3人はあまり互いのことに干渉しないタイプの人間だということが、一緒に住んでみて分かってきた。

だから一緒に食事を摂るのも木曜日の夕飯だけ。


最後にひと口だけ残していた唐揚げをかみ砕きながら、ナミの言葉にひやりとしたものを感じたとき、裕也がいった。


「俺んとこにないんだよ。洗濯物たたむときに、まぎれたんじゃないかと思って」


「えー、あんな変なシャツ。裕也のって、すぐ分かるでしょ」

その口調で、ナミがこの話題にたいした興味を持っていないことが分かり、ドクドクと打っていた心臓が休息に穏やかになっていく。


お前……

わざわざ今いうことか


恨みがましい思いで裕也に視線を向けると、裕也はほんの少しだけ頬をふくらませるような仕草をして、それが「ごめん」という表現だということが分かる。


僕の部屋には、裕也のシャツはない。あるのはおそらく、誰も使っていないあの部屋だ。僕と裕也が、互いの気持ちを知った部屋。

飲み干したマグカップには、誰も麦茶をそそごうとしない。

僕は自分のカップに入れる前に、目の前の2人のマグカップに麦茶を注ぐ。

誰よりも先に弁当の残りをかきこんだ僕は、本当は豚丼が良かったのに、と心の中で思っている。

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