見出し画像

私の履歴書 サカモト・ケント


はじめに

こんにちは!営業部の「サカモト・ケント」です!

僕は2023年4月に中途でピーアール・デイリーに
営業職として入社をしました!
簡単に僕の経歴を最初にお伝えしますね!

もともとは「セコカン」出身

新卒で施工管理技士として建築業界の企業に入社をし、
1年間で大阪・岡山・広島の現場を経験しました。

新卒の時の勤務地って結構大切だと思いませんか?

多くの人が
「今住んでるところから通いたい!」
と思うはずです。

しかし僕はなんと神奈川県出身にも関わらず

希望配属エリアをルーレットで決めました!

理由としては勤務地は
自分が知らないところに行ってみたいから
どこでも良いと思っていたからです。
その結果、中国地方が当たったため、広島と岡山の現場に配属されました。

建設系あるあるかもしれませんが、
現場で毎日職人さんからビシバシ鍛えてもらいました!笑
総じて非常に楽しく、充実した社会人一年目を経験することができました。

転機・決断

建築業界は良い意味でも悪い意味でも、団体行動がメインになるため、
個人の貢献度・実績がわかりにくいという側面がありました。

将来、環境に左右されずに自分で働く環境を作っていきたい

と考えていました。
個人としての実績が必要だと思い、
営業職にチャレンジすることを決意しました。

転職をするにあたって、
・汎用的な基本的なスキル知識を身に着けられること
・直接的に人と関わりたい/困っている人の手助けをしたい

の2つが軸でした。
その結果、幅広い業界に携わることのできる、
求人広告業界のピーアール・デイリーに入社をしました。

そんな僕が小さい頃や学生の頃、どんな人物だったのか
お伝えしますね!

◆幼少期編 THE・ワイルド

毎日外を走り回るような活発な幼少期を過ごしました!

また、お母さんの話では、好奇心も旺盛で気になったものは
すぐに口に入れたり触ったりしていたらしく目が離せなかったらしい…笑

このころは特に焼き魚が大好きで
アジとかイワシを頭からかじってボリボリ食べていたなんて話も…笑

お母さんは当時大爆笑だったらしいですが、
今考えるとこのワイルドさが、配属エリアをルーレットで決めるところに
つながっていたのかもしれません…笑

◆小学生編 運動なんでも屋さん

小学生のころは、
器械体操・バスケットボール・水泳・サッカー・陸上・バドミントン
など体を動かすことは何にでも挑戦していました!

最終的に器械体操とバスケットボールに落ち着いて、
期間的には、器械体操を1年生から5年生くらいまで、
バスケットボールを4年生からずっとやっていました

器械体操は当時、大会の金メダルを何個か取ったりとしていて
本当に熱中してました。

ただ、5年生くらいから、決定的な弱点で体操の道を断念しました。
それが体の固さです…
体操において体の柔軟性って本当にすごく大切なんですけど、
これがどうにも改善されなかったんですよねぇ。

毎日練習で柔軟やってお風呂上りにも柔軟してたんですけど、
本当にかちかちでもう無理だってことで断念しました。

その後に二足のわらじみたいな感じでやってたバスケに熱中し始めて、
6年生くらいには毎日バスケ漬け生活みたいな感じでした!

◆中学生編 ここから生まれた「気合と根性」

中学生も基本的にバスケしかしてない生活でした。

僕のの中学だと毎日朝練も午後練もあって中学2年くらいまでは
週7バスケ、部活終わったら友達と遊ぶという生活でした。

バスケ部が9人とかしかいなかったので、
とりあえず体力が絶対的に必要ということで毎日鬼のように走ってました。

周りの部活にドン引きされるくらい走ってました笑 
走りすぎて気づいたら学校で長距離を走るのが一番早くなってました。

3年生になった頃に顧問の方が他校に異動して、
専門の先生がいなくなったので、
僕がキャプテンで練習メニューなどを決めてました。
その頃は一心不乱にやってました。

その結果市内ではあるものの、
ベスト4という結果で我ながら頑張ったなって感じます。

このころの経験から、今の僕が形成され始めたのかなって思います。
僕のモットーが「気合と根性」なんですけど、
間違いなくこのころの経験がきっかけになってると思います。

◆高校生編 挫折、そして奮起

高校生もまたバスケです笑

ただ、これまでと違うのが、
圧倒的なセンス・才能を見て社会は広いと痛感したことです。

これまではいわゆる、井の中の蛙、お山の大将だったんですけど、
強豪校に進んだら、まあ、すごい人がいっぱいいました。

僕のの高校にのちのちプロになった人がいたんですけど、
その人をコテンパンにする他校のほんまもんのすごい人。
こりゃ敵わないなって思いました。

ただ、あきらめが悪かったので、
自分が3年生の夏で引退するまではひたすら頑張りました。気合と根性で。

スタメンにはなれなかったんですけど、めちゃくちゃ楽しかったし、
充実してました。

圧倒的な差を見たのでもうバスケは高校生までかなって
引退したときに思いました。

大学は行きたいなって思ってたので引退してから受験勉強を始めました。
ただ、それまで本当にバスケしかしてこなかったので高校の成績は
本当にひどかったです。

成績5段階中最低の1の教科とかありましたし、
それ以外の教科もほとんど先生のお情けでいただいた2評価ばっかでした。

受験勉強やるかってなったときに、
今思っても本当に部活ってお金がかかる。
遠征費やら備品やらで多分とんでもなくお金かかってたと思います。

それでも両親が優しかったのでバスケやってるときは勉強のこととか
ほかのこと何も言わずに見守ってくれてので、
大学はお金がそんなにかからない国公立大学にしようって決めました。

そっからは気合と根性で勉強しまくりました。
楽しかったので苦痛ではなかったです。
結果、現役で目標大学に受かりました。

◆大学生編 書ききれない濃厚さ

大学生時代はひたすらバイトして旅行してました。
バイトで生活費を稼いで、
ほぼ毎日友達と遊んだりたまに旅行に行ってました。

3年生の頃にコロナウイルスが流行り始めたので、
外出とかもできなくてずっと家にいるみたいな期間もあったので、
それはもったいないかなって今思ってます。
ただ、できることは全部やったので充実してました。

大学生時代は濃い思い出もたくさんあるんですけど、
長くなるので、皆さんとお会いしてお話する中でお伝えさせてください!笑

おわりに

ここまで僕の幼少期から学生時代について振り返ってきました。
最後に僕の仕事のスタンスについてお伝えさせてください!

結果を出すこと、これは常に意識しています。
営業という仕事なので結果にはこだわっています。
そのうえで営業スタイルとしては

正直かつ真摯ということ意識しています。

僕は駆け引き、自分を取り繕うこと苦手なので、
自分にもお客さんにも正直・愚直にということ意識しています。

それに加え、お客さんと二人三脚で一緒に課題解決に取り組み、
結果を出せるように関係性を構築したり、
コミュニケーションをとるようにしています。

ぜひ採用について困ったこと、悩んだことがあれば
ご連絡ください!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?