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記憶掘り起こしメモ(妊娠期間)

4月になり、とても慌ただしい日々を送っています。我が家のいちばんの変化はなんといっても子どもが保育園へ通いはじめたことです。

私自身のことを思い出すと、父方の祖母は同居だし母方の祖父母も近所に住んでいて(自宅兼お寺でした)、両親が仕事の日は基本的に祖父母の家にいたので特に保育園へ行く必要がない子ども時代でした。保育園は年長クラスに1年、その後幼稚園に1年だけ通っておしまいだったので、いざ子どもを0歳から保育園に行かせることについては具体的なイメージが沸かず、可哀想なんだろうかとうっすら考えたりもしました。

結局、子どもの将来を見越したら保育料を差し引いた微々たる金額でも増えれば安心できるし、個人的に自宅保育には限界があるなとこの半年ぐらいで感じたことが後押しして入園を決めました。運良く求職中でも滑りこめる穴場保育園があったことも幸いしたと思います。

1週間で見事に風邪をもらいながら慣らし保育がなんとか終わり、日中は離れて過ごすなかで少し落ち着いた時間が過ごせるようになったので、既に記憶からこぼれおちそうになっている妊娠期のことを書き残しておこうと思い立ちました。
以前さらっとレポにしましたが、書ききれていないことがいくつかあるので今回はそれを中心に。

今後もし妊娠出産の予定がある、という方はもしかしたらこの記事になにかのヒントがあるかもしれません。よろしければお付き合いください。


・ちょっと無感動すぎた妊娠発覚当初

ありがたいことに今まで生理不順とは無縁で生きてきたので、妊娠しただろうなというのはなんとなく分かっていました。検査薬の反応が出るのが生理開始予定日からだいたい1週間後ということで、まぁそこまで始まらなかったら使ってみるかなと思っていた矢先、カイト氏から「そういえば生理きてる?」と聞かれてびっくりした記憶があります。え、興味あったのね、みたいな。というか正直、日々仕事に忙殺されていて日付なんか意識してないだろうなと思っていたので、まさか聞かれるとは思わなくて驚いたという感じ。

たぶん妊娠してるんじゃないかなと話し、ドラッグストアで検査薬買うのがなんか恥ずかしいから通販で買ってよと頼み、速攻で届いて(流石プライム会員)、検査したところ案の定陽性判定。

「陽性だったよ~」「お~良かったね」で特段の感動もなく検査薬そのまま捨ててしまいましたが、これ写真とか撮っとくべきだったんですよね。産婦人科にかかったとき、陽性でた証拠がなかったので改めて検査するところからになり、余分にお金がかかりました。普通なら喜んで記録に残すとか、なんなら記念に現物とっておく人もいらっしゃるんじゃないかなと思います。

私の場合は自分自身が不育症(疑い)の母から産まれたこともあって、あくまで着床しただけにすぎないと思っていたんですよね。結局この「いやまだ分からんぞ」は無事に産まれるまでずーーーーっと頭の片隅にあり、最悪のことがあったらどうやって立ち直るかを度々シミュレーションしていました。今振り返れば、もっとちゃんと喜んでおくんだったなぁ。無事だったからこそそう思うわけですが。


・出産予定日が予想より早い

妊活に関することは少し勉強していたつもりですが、肝心の妊娠してからについてはほぼ全く未知のままスタートしました。「十月十日」という言葉があるように、これからだいたい10ヶ月後に産まれるんでしょ?みたいな漠然とした状態。

しかしそれは間違いで、正確には最終月経開始日を0週0日とした40週0日が出産予定日になります。つまり妊娠が分かったときには早くても4~5週め、人によってはもっと進んでいることになり、私の場合も既に7週になろうかというところで初めて診察を受けたので、え、予定日早っ!と言ってしまいました。お医者さんには当然、不思議な顔されました。

ちなみにカイト氏も心拍確認のときに立ち会ってもらいました。カーテンがあるので丸出しの下半身は見えてないとはいえ産婦人科のあの椅子に座ったまま、子宮内のエコー画面を見ている時間がそこそこ気まずくて、俯瞰でみると変な場面だな…と思ったことを覚えています。


・結局なにづわりだったのか

胎嚢確認、心拍確認と進むなかで序盤はつわりらしい症状がなく、もしかしてつわりがないもしくはごく軽い体質なのでは?と期待していましたが、まぁそう甘くはありませんでしたね…。

9週ごろから空腹時になんとなく気持ち悪くなり、10週め以降はなんかずっと胃がムカムカする感じで夕方頃からが特にキツかった。なにか食べれば収まったりするのですが、食べるまでに吐き気と戦いながら何が食べられるか考えたり準備したりがそもそもしんどい。

元々吐くのが下手くそで、涙やら鼻への逆流やらで顔全体ぐちゃぐちゃになるし、掃除も面倒だしその割に楽にならないし…、ということで無理に吐くよりはずっと横になって過ごしていました。

食べられたものは冷凍のルビーグレープフルーツ(美味しすぎた)、パイナップル、蒸したブロッコリー、雑炊、酢ダコ、胚芽クラッカー。そして何故かオーロラソースに目覚めました。(笑)
よく言われるポテトが食べたくなるというのは個人的には当てはまりませんでした。

つわりが終わってから後々ルビーグレープフルーツ食べてみましたが、こんな苦かったっけ?と首を傾げるほど大して美味しくない。あとは全部の飲み物に変な後味がある気がして、特に水やお茶の類いは全然飲みたいと思いませんでした。味覚が異常だったんだなぁ…。

安定期(16週ごろ)に入ったらつわりも落ち着くらしいと信じてただただ寝ころんでいましたが、そういえば吐き気する時間が減ったかもと思ったのは19週こえてからでした。長かった…。恐らく吐きづわりよりは食べづわりに近いほうで、プラスよだれづわりもあったんじゃないかな。結局、吐くのが嫌すぎて出さなかったので体重は少し減っただけでした。

つわり当時に使っていたボディソープやシャンプーの香り、Instagramのストーリーで何回も聴いた音楽なんかは今思い出してもなんかうっすら気持ち悪い気がします。しっかりトラウマになるんですね。


・出生前診断(NIPT)を受ける

賛否両論ある話だと思いますが、私たちの考えはこうだったということを書き残しておきます。

胎児が染色体疾患をもつ可能性をみる検査としてはいくつか方法があり、病院としてはそれまでの検診で胎児になんらかの兆候がある時に案内がある≒積極的には勧めていないとのことでした。

私の場合、分娩時に高齢出産の一歩手前であること(母体の年齢があがるほど疾患をもつ率が上がるとされる)、カイト氏の年齢もそう若くはないこと、なによりこの関係性の夫婦が医療的ケアが必要と最初から分かっている子どもを幸せに育てていけるのか自信がないことを理由に検査を受けることを決めました。

事前に遺伝カウンセリングを受け、検査で分かるのはほんの一部の遺伝子疾患のみで、胎児がかかる可能性のある全疾患のうち3/4は検査では分からないことなどに同意した上で、採血をし結果を待つという形です。

およそ1週間ほどで結果がわかり、陰性と書かれた紙1枚をもらって終了でした。仮に陽性だった場合、確定診断(羊水検査)ができるように金額の準備はしていましたが、リスクもあるし次の決断がすぐにできたかどうか、今となっては分かりません。

カウンセリングでは産むも産まないも子どものためを思ってした決断に正解や不正解はない、と何度も言われました。綺麗事だけでは済まない「子どもをもつ」という人生最大のエゴについて、そのときいちばん考えた気がします。同時に、産むと決めて腹を括った時だったと思います。


・臍帯卵膜付着が判明

腹部エコーに切り替わったあたりで、臍の緒が胎盤から完全に外れた卵膜についていることが判明しました。最初は「ちょっと横のほうにあるね」と言われていてそれが良いのか悪いのか分からず(へ~そういうこともあるのか)と聞いていましたが、どうやら調べてみると全妊娠の1~2%ぐらいでちょっと珍しいパターンみたいですね。

医療的な詳しいことは分からないですが、卵膜付着だと結合部が弱く、なにかの拍子に圧迫されて胎児に栄養が行き届かなくなることがあったり、胎児の心拍数が落ちたりということがあるようです。

多くは帝王切開になるという記事もあり一時は不安になりましたが、医師に聞いてみたところ「この時点で分かっていれば卵膜付着を見越して準備ができるし、普通分娩で問題ないですよ」とのこと。

もうついてしまったものは動かせないのでこちらができることはないし、異変を感じたらいち早く気づけるようにしながら無事を祈るしかない、という結論に至りました。なんらかの異常が出てからや産まれてから分かるパターンも多いようで、それを考えたら先にリスクが判明しただけラッキーだったなと思っています。


・後期づわりのほうがよっぽどしんどい

つわりが終わって1ヶ月ほどは元の食生活にだいぶ戻れた気がします。相変わらず水分があんまり欲しくないのは変わりませんでしたが、つわりのときほど不味いと思うことはなくなりました。

その後、だいぶお腹が目立ってきた25週あたりから、主に脂っこいものやちょっといつもより多い量を食べたあとに胃の入り口がヒリヒリ痛むような激しい胸焼けが出るようになりました。

また、私が以前から吞気症(空気嚥下症)もちだったことが関係するのか、どんなメカニズムなのかいまいち分かりませんが、寝る頃になると胃の中から次々と空気があがってきて苦しすぎて眠れないということが増えました。汚い話、1日中爆音のゲップがで続ける状態でそれはそれはキツかった…。(聞かされるほうも嫌だったろうなと)

吐き気ならまだ無理やり寝てしまえばやりすごせるのですが、ゲップだと苦しくて寝ていられないのでその方法もとれず。結局、ほぼ毎日2時3時までゲップと戦い、そのうち疲れて気絶(寝る)というサイクルができていました。よだれづわりも再開してしまい、空気と一緒に飲み込んでゲップが増えるという悪循環。お腹の圧迫が原因なので、結局産むまでそんな感じでした。聞いてないわ…。

胃薬を処方してもらっていましたが、あまり薬に頼りすぎてもなぁと思っていたら親から牛乳を勧められ、飲んでみたら胃の痛みがかなり改善されてめちゃめちゃ重宝しました。牛乳すごいぞ。


・ぎりぎりまで性別が分からない

早い人では男子のシンボルが見える14週ごろに分かることがあるらしいですが、私たちの場合は結局はっきり性別が分かったのが30週を過ぎてからでした。それも1度は「うーん…こっちかな?次もう一回聞いてみて」と言われ保留にされたあとのこと。

特に新生児期なんて男女で決まった色柄なんてないようなものですが、なんとなく性別が分かる前のベビー用品は黄色やオレンジ系(男女どっちでもいいように)を多く買った気がします。これも固定観念のひとつなのかなぁ。

ちなみにエコー写真に顔が写ったのは1回だけで、あとの回はほぼ背骨。最後のほうは頭がだいぶ下がっていて骨に隠れて見えない位置にあり、想像していたような「エコーで既に可愛い!」みたいな感動はあんまりありませんでした。(笑)

寧ろこれ心霊写真じゃない…?どこがどのパーツ…?みたいな状態です。綺麗に顔を撮らせてくれる胎児、もうモデルの素質があると思っていいです。

余談ですが、私が妊娠していたのはコロナが5類に移行するかどうかの時期で、病院ではまだ妊婦本人以外のエコー見学はできませんでした。個人的にはそれで良かったなと思っています。友情結婚夫婦だからということもありますが、これでもかと下着をずらされ正中線しっかり&毛深くなったお腹(とビキニラインの下まで)丸出しのところを見られるのは非常に居たたまれなかったと思うので…。


・どこの骨か分からないけど音がする

臨月ごろ、横になると決まってどこかの骨がパキッ!と鳴っていたのを覚えています。流石に折れるほどではないにしても、恥骨やら尾てい骨やらかなり痛かったしあちこち限界がきていたんだろうなぁと思います。

ちなみに産後も恥骨痛があり、整体にかかったり骨盤ベルトを絞めたりしてようやく治りました。地味に膝と足の裏が痛くなって驚いたこともあったり。抱っこって案外負担が大きいんだなと実感しました。


・胎教とはなんだったのか

恐らく一般的な夫婦なら、大きくなったお腹をふたりで撫でたり夫が耳を当てたり…等々することがあるかなと思いますが、私の場合は想像でもちょっとご勘弁願いたいところだったので、カイト氏には一度だけ手を置いてもらった以外は特になにかした記憶はありません。

あるあるらしいですが、いざ触って待っていると胎動を感じなくなるんですよね。そうじゃないときは大暴れなのに。不思議でした。

お腹の中でも両親の声は聴こえているそうですが、なんかろくな話してない気がする…。今後の成長になにかしらの影響はあるのか、はたまた胎内記憶でとんでもない話がでてくるのか、楽しみですね。


そんなこんなで妊娠期間を終え、38週5日で出産しました。私の誕生日の5日後でカイト氏の誕生日の4日前というまさかのタイミング。これを何かの奇跡と思えるのが、数年前まで結婚すらなんの予定もなかったことを考えるとすごい変化だなぁとつくづく不思議です。

以前少し触れたように、私はどんな結果になっても妊娠は一度きりにしたいと考えていました。仮に途中で諦めざるを得ない何かがあったとき、初期の初期だったとしてもその事実に立ち直れないと思ったからです。おかげで妊娠中は胎児の成長を素直に喜べず、常に「何かがあったとき」のために予防線を張り続けて過ごしていて、それって結局は子どものことじゃなく自分のことを守るためだったよなと今なら分かります。

無事に産まれてきてくれてそのことに気づいた申し訳なさの分、これからはより毎日の子どもの成長を喜びながら大事に過ごしていきたいなと、今回まとめていて思いました。


雑多で長い記事でしたが、ご覧いただきありがとうございました。

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