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【読んだ本の話】長田弘さんの読書論。時空を超えて、今日も友達に会いに行く。



以前、この記事を書いた時のこと。

読んでくださった方から、「長田弘さんの詩集がおすすめですよ」というコメントをいただきました。

「人から勧めていただいた本は全部買う」のが私のモットー。たとえ難しくて読めなくても、それはそれ。まずは触れてみたい。

そこで、購入した長田弘さんの本「読書からはじまる」。本を読むことについて深く深く掘り下げたエッセイです。

詩集をお勧めいただいたのに、「詩が読めるかどうか不安」な私はエッセイ本を選びました。発言と行動が微妙に違って申し訳ありません。

私のために書いてくれたのかな? と錯覚するほど、欲しい言葉がありました

とても読みやすい文体で、優しい文章。

簡単な言葉の羅列の中から、世界の深淵をふわりと見せてくれる。私がとても好きな雰囲気の本でした。

そして。

読みながら付箋を貼ることはほとんどない私が、この本を読んでいたら、「はわわわ、なんか忘れちゃいけないことが書いてある、付箋、付箋!」と慌てるほど。知りたかった、欲しかった、そしてその期待を超える言葉が連なっていました。

巻末に解説文を寄せている池澤春菜さんの文章を引用すると、

 心地よい本というのがあります。全ての文章、全ての流れがしっくり来て、自分のために書かれているのではないかと思うような本。なのに自分の想像力を裏切って、思いもかけない世界を見せてくれる本。そんな本に一生に何冊かでも出会えたら、こんなに幸せなことはないと思うのです。

「読書から始まる」長田弘(ちくま文庫)p220  池澤春菜さんによる解説文から

まさにこの感覚です。

本を読むということとは何か。情報との違いはなんなのか。そもそも本は、この世にたくさんありすぎて「生きているうちに出会える本はごくわずか」。でも、そのことこそが本がある理由になっているという概念から。

すべての言葉が臓腑に染み渡っていく、稀有な経験を得たのです。

【読書というのは、「私」を探している本に出会うという経験です】p36より

本は友達と言いますが。

長田さんがいうには、「本の方が友だちを探していて、私が出会いにいくという感覚が正しい」のだそう。

「本は友だち」である感覚を説明するために、幸田露伴さんの一文を引用されています。

「どんな人もその気になれば友だちは見つけられる。現実生活に友だちがいない人にも、唯一友人を準備してくれるものがあるとすれば、それは書籍だ」。幸田露伴はそう言いました。

「読書から始まる」長田弘(ちくま文庫)p18

何千年も前に書かれた書籍と親しむことができる私たちは、時空を超えて、その著者と友だちになれる。

さらに。この概念に通じる文章は、「徒然草」にも書かれているのでした。

突然の徒然草の引用で唐突ですが…。

【第十三段】
 一人、燈火(ともしび)の下に、文を広げて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰む業(わざ)なる。

「徒然草」 兼好 島内裕子校訂 役/ちくま学芸文庫

1000年の時を超えて人は、同じ価値観を共有できる。

そして同世代に生まれなくても、私たちは友だちになれるのだと。

それを体現している本に、私は出会えてとても嬉しい。


出会えない本の多さこそが、本の存在を確固たるものにしている

本を読むことで、時空を超えた友だちに出会える反面。
一生をかけても図書館に並ぶ全ての本を読み切ることはできません。

「おそらく一生読まないであろう数多くの本がある」ことこそが、本が存在する理由になると長田さんは語られています。

それはつまり、「この世界に70億以上の人間が生きているのに、出会える人はごくわずか。友だちになれる人はもっと少ない。でも、自分が友だちになれる人以外に数十億の人が生きていることこそが、人が人であり続ける理由になる」のと同じだと、私は感じるのです。


そのほか、読書と情報の違い、音楽との比較などが胸に刺さる

本自体は、長田さんが何度も講演を行われた記録をまとめたもの。

読書をキーワードに、多角的な視点で「本を読むとはどういうことか」を綴っていらっしゃいます。

印象的なのは、「読書は育てる行為。情報は分ける行為」と表現されていたこと。

とあるご夫婦のエピソードがユニークです。
本を買うことが好きなご主人は読まない。本を情報だと認識しているから、手に入れたら満足。
逆に図書館で借りて読むことが好きな奥様は、本を「読書の対象」だと認識しているから、所持しなくても読めればいい。

そんな事例を絡めながら、情報が席巻する社会への警鐘を鳴らします。

今は「育てる」行為より、流通や情報のような「分ける」行為がもてはやされています。情報を薄切りにして分け続けることを尊重し続けた結果、世代間の共通認識は薄れ、人々の中に強烈な「孤立感」「孤独感」が生まてしまったと。

本当は、読書がすべてをつくってきたのに。

他人を理解し、自分を認識し、世界を生み出す言葉を得るために。私たちには読書が必要であることを、優しい言葉で、ずっと同じスタンスで語られています。

また、長田さんが大の音楽好きとあって、レコードの登場からカセット、MD、CDへとハードが変わっていく音楽との比較も興味深い。

読めない本があってもいい、という安堵とともに

私は本が好きなのですが、読めない本がとても多いことがネックでした。

が。

「読めない本があってもいい」という、太鼓判をいただいた感覚で、かなりホッとしたのです。

だって、出会う人全員と友だちになれないように。

友だちになれない人の本はきっと読めないのです。多分。


長田さんの本、他にも読んでみたいなという欲が湧いて、詩集やエッセイを買い足しました。

こちらも読めたなら、感想はまた、いつか。


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