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暗闇から愛してる 中

立ち上がって、それから?

促した途端、咲耶は口ごもりつつ

お、おしっこがしたかったんです

と早口でいった

年若い少女が告白するのに躊躇ったろう
だから、婦警である自分に白羽の矢がたったのだ

事件直後のショック状態よりは大分回復しているとはいえ…きっと、トラウマは一生癒えることはない
これは想像ではなく…確信だ

我慢できなくなるまで、そう時間は掛からないと思いました
だから、怖かったけどまっすぐ、拘束されてる両手をまっすぐ伸ばしてぐるりと回ってみました
壁に触らないかなって思って
でも触れなかった
だから、とにかく1歩ずつ歩いたんです
4歩くらいかな…手先に壁を感じました

咲耶はそこを起点に壁に触れながら部屋を歩いた
明るいところで見ればなんの変哲もないただの六畳半の部屋だとわかる
だが、足元さえ見えない闇のなかで歩けばそれは広く長く感じられたろう
改めて咲耶の頑張りに胸が詰まる

ぐるり、と部屋を一巡したころにはこの部屋にトイレはないと確信していた

あるわけないとは思ったんです
でも、入れ物とかもなくて…それらしい何かも触れなくて
だから、壁と壁が直角になってる部屋の隅っこに、…しちゃいました
我慢、出来なくて

ここでとうとう、咲耶は唇を噛み締めて泣いた
こんなことを人に話すのは屈辱以外の何者でもない
私は開け放した窓からのぞく輝く白い雲を見上げた
咲耶が落ち着くのを待っていた

ごめんなさい、もう大丈夫
本当にごめんなさい

…はぁ…
はい…それで、歩いてみて思ったんです
私、壁際しか歩いてないなって
壁から手を離すのは本当に嫌でした
安心感を手放すような、また空間に放り出されるような気がして
でも、もしかしたら部屋のなかにここから出られる何かがあるかもしれないって期待もありました…両手の拘束を解けるような…ハサミとか、何かが…そんなもの有るわけないですよね
今ならわかります
でもあの時は混乱してたんです
何が正解かもわからなかった

咲耶はその時の悪夢を味わうように目を閉じた
やつれて血色の悪い白い顔に、ふっと年相応の幼さが見えた

思いきって壁から離れました
壁から離れて前に歩いて…壁にぶつかると1歩右にずれてまた歩いて
そうしたらいつかは全部の場所を歩くことになりますよね
で、それを3回くらい繰り返したときに何かにぶつかりました
何かが揺れる感覚があって、それがまた私に触れてきて
振り子みたいに
押してみるとわりと重くて、サンドバッグ?触ったことはないですけどそんな感じで…

その重ための袋?がちょっと暖かくて
手が開けないから抱きしめられないんですが、できる限り身体を押し付けると
…すごくホッとしました
柔らかくて、暖かくて
何かはわからないけど、私を守ってくれるような気がして

そういう咲耶の目には、それに対する感謝の念があった

昔飼っていたベス…大型犬なんですけど…みたいな優しい安心感がありました

目も見えない暗闇のなかで、私、ずっとその布袋にもたれてました
時々、泣きながら…助けて、なんてすがったりして…

そうしたら

咲耶がいきなり、私を見据えた
強い光を宿して挑戦的とも言える目で

その袋から、声を受け取ったんです

愛してるよ、咲耶

って


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