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[小説] 深夜の着信③(終)

だが事態は我々が予想していたのとは違った形で、最悪な結果になった。
ツッチーのニュースが巷に蔓延したのは、それからさらに一月後、夏真っ盛りの頃だった。やはり、あの電話はツッチーの旦那で、夫婦間に何らかのトラブルを抱えていたようだ。そしてツッチーは…殺された…のではなく、殺してしまった。容疑者としてテレビやネットに流れてきた写真は、俺たちが知っている穏やかな女子学生の顔ではなく、張り詰めた表情をした痩せ衰えた女の顔だった。

その日、家に帰ると居間のソファーでアヤカは泣いていた。俺が近づくと無言で自分のスマホを差し出した。そこにはツッチーに関する記事が事細かく書かれていた。

ツッチーの夫、大坪(オオツボ)良一(リョウイチ)は我々よりも10歳程年上で、当時大学生だったツッチーこと土屋綾香に猛烈にアタックして交際にこぎつけ、彼女の卒業と同時に結婚した。当初彼女も彼女の家族も、社会人としても経験を積んで収入も安定していて、何よりも彼女にぞっこんだったので結婚したら幸せになれると信じていた。

結婚したら家庭に入るという条件を彼女は了承した。しかし生活が始まると夫は妻が実家に帰ることも友達と会うことも禁じた。そのうち買い物以外で外出することもできなくなり、暇つぶしに繋がっていたSNSのアカウントも削除された。そればかりか読む本や聞く音楽なども夫の趣味に従わせ、料理も彼女の服装も自分好みのものを強要した。

これではまるで奴隷じゃないか。綾香がそう悟ったのは結婚して3年目に入ったころだった。社会と繋がりが持てず、夫以外の人間には会えず、夫の趣味に合わせて話をして、夫好みの服装をして、夫好みの料理を作り、夜は夫の相手をする。

彼女はまず実家へ逃げた。その間弁護士を通して離婚を申し出るも夫は納得しない。彼女に近づかないという約束であったにも関わらず、執拗に追いかけてくる。家族に迷惑がかかると思った綾香は知り合いの伝手を頼ってアパートを借りた。

しかし、夫は執念で彼女の居場所を突き止めてしまい、よりを戻した。疲れ果てた彼女は、台所にあった包丁で眠っている男の頸動脈を一思いに斬った。そのあと男の胸や腹を何か所も刺した。そして自分で110番通報した。

「ツッチーは人を殺せるような人じゃない。」
アヤカのことばにおれは頷いた。
「この先ずっと人殺しって言われながら生きたいかなきゃいけないんだよ。そんなの辛いよ。いっそ死んじゃったほうがラクだよ。」
「そんなことはない。生きていればまた、いいこともあるよ。」
「そんな簡単なことじゃない!」

そうだ、思い出した。あの日テレビで流れていたドラマは、主人公が自白して警察に連行されるところで終わっていた。そして今と同じような会話から喧嘩に発展した。

アヤカの言っていることのほうが正しいのかもしれない。一度大きな罪を犯した人間は生涯その罪の重さに苦しまなければならない。

でもね、アヤカ。人間はしくじるものなんだよ。もしも、おまえが罪を犯して世界中から非難されたとしても、俺だけはおまえの味方になる。最後の一人になってもおまえの傍にいる。だから死んだほうがいいなんて言わないでくれ。

俺は無言でアヤカを抱きしめた。

(完)

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