結城真一郎『#真相をお話しします』
毎月恒例、ジェイラボ基礎教養部にて行っている読書活動です。今回はジパング氏に紹介してもらった結城真一郎著『#真相をお話しします』を扱います。
Amazon リンクと同グループメンバーの書評は以下のとおりです:
作品の性質上、あまり中身には触れずに、僕が小説を久しぶりに読んで感じたことやアニメ・漫画に手を出すモチベーションが上がっていることについて書くつもりですが、本文を少しだけ引用するので、ネタバレに敏感な人はお気を付けください。
1 場景を思い浮かべるのに一苦労
書評活動で小説を扱ったのは初めてである。そもそもしっかり読んだことがある小説といえば、小学生時代に読破したズッコケ三人組シリーズぐらいかもしれない。そんなこともあって今回の活動はかなり新鮮だった。
何よりまず戸惑ったのは、とめどなく続く場景の説明だった。たとえば第1話「惨者面談」では
といった具合だ。本来こういうのは、場面設定を思い浮かべやすくするためにあるはずなのだけれど、文字から実際のイメージを想起するのにちょっとだけ負担がかかる感覚があった。
思い浮かべるための情報量としては必要十分だし、後々明かされる話の展開のカギとなる部分もうまく隠されている(隠されているというかその時点では気づかないだけ?)。ただ、話が切り替わると出来上がったイメージがすっかり抜けてしまい、伏線が回収されるころには「そんな設定書いてあったっけ?」となってキョトンとする感じだった。もうトリックを暴こうとか誰が犯人だとか気にする余裕もなく、ただただ受け身になっていた。コナンの映画を見ているときに近い感覚だ。
でも、これは一発で分かろうとする傲慢さから来ているというか、力が入りすぎているからこそそう思うのかもしれない。ズッコケ三人組を読んでいたときも、面白がって読んでいただけで話の流れをぜんぶ理解してやろうという気持ちではなかった気がするし、なんなら小学校低学年の割には難しい本を読んでいるという優越感も少なからずあった気もする。知性があることをアピールするためにドストエフスキーを読むようなものだ。理解できていなくても何となく楽しい気分になれたならそれでいいのかもしれない。
この精神は何をするにもあてはまると思う。最初から無難にうまくこなせるから楽しいとも限らない。「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったもので、何となく好きになれる部分を見つければ、理解や造詣は後から勝手についてくる気もするので、新しいものに挑戦するときにはお気に入りポイントを見つけることが大事だと感じた。
2 漫画やアニメのありがたさ
さっきは文字だけで場景を浮かべることの難しさを書いたが、アニメや漫画の場合はその負担が軽減されるのかもしれないと思った。小説では文字だけから情報を整理するので、色味・大きさ・位置関係などを自分で起こさないといけないけれど、アニメや漫画だと最初からそれが映像として目に飛び込んでくる。こちら側が処理しなければならない負担をかなり軽減してくれているのだということに気付いた。今までは「しっかり理解したいところをこちらのペースを超える速さで流れていく」という感じでアニメにいい印象を持っていなかったものの、それは逆にありがたいことなのかもしれないと思うようになった。『#真相をお話しします』にはコミカライズ版があるらしいので、それを改めて読んで、小説と漫画での感じ方の違いをレビューしてみても面白いかもしれない。
最近ジェイラボメンバーと雑談する中で、アニメ・漫画・ゲームに触れてみようという気持ちがどんどん増している。家のWi-Fi環境も整備して電波状況が改善しつつあるし、3月は書評活動も小休止に入るので、アマゾンプライムでアニメを見てみようと思う。とりあえず有名どころから入ってみようと思っていますが、何かおすすめの作品がある方は教えてください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?