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わたしはタガタメに生き抜くのか

生きる。
生きることを何年もやっていると時に道を見失う。

その瞬間は、22歳の私に訪れた。
就活も無事に終わり、大学でも卒論を書き終えた時。
それは明るくて輝かしい未来が待っている、解放された期間であるはずだった。

しかし、その期間は一変して自分を見失なう暗闇の期間となった。
自分らしさや自分の意志を追求して行ってきたはずの大学生活や就活も無意識に誰かの意見や評価を追求していたのだ。

その結果、無意識に育てていた「いったい自分は何のために生きていくのか」という最大の疑問が肥大化してしまった。

このように、自分を見失なう瞬間は急に訪れるものだが、永遠に見られるこの暗闇のトンネルにも急に光が差すものだ。

一人暮らしをしていたため、毎週一週間分の食糧の買い出しに出かけるのだが、とある日の帰り道にその光は差した。

食糧で溢れた手提げ袋をぶら下げ、やけに青い空に圧倒された澄み切った街を見ながら歩いていると、ふと脳が走馬灯のように言葉や情景を映し出し始めた。

大学進学と共に上京し一人暮らしを始めた時のワクワクと寂しさ。自分で自分を管理して、楽しませるのは自分だと気づいた日のこと。電車で通い慣れた時に最寄駅が初めて安心する場所になった日のこと。たくさんの出会いと別れ。泣いたり喜んだり悔しがったり緊張したりとことんリラックスした部屋。

これらを思い返した時、私は思った。

人生をかけて合格したかった大学も、もう明日最後の卒論発表会を迎える。何も成し遂げてないように見えた学生生活も客観視してみると、意外とたくさんのことを得ていたのかもしれない、成し遂げて頑張っていたのだと。

何だか常にもがきながら頑張っている自分が愛おしくなった。

わたしはタガタメに生き抜くのか

それは今日、この日、このわたしに辿りつくまでにタスキを繋いでくれた過去の私だ。

小中高時代のわたしがキラキラした目で想像していた未来をちゃんと生きてあげなきゃ。私は、あの頃のわたしに恥じないように生きたい、丁寧に過ごしてあげたい。そう思った。


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