見出し画像

今日は私の63歳のお誕生日です


今日は私の63歳のお誕生日。
いつの間にか63年も生きてきたのね。

夫と出会った頃は詰め襟とセーラー服の高校生だったのに、いつの間にかもうすぐ四人目の孫が産まれるジィジとバァバに、、

中身はあの頃から変わってないのに、すっかり外見は歳をとってしまいました。
でも、歳をとっても今の自分が一番好き。年々、毎日がラクで楽しくなっていきます。

子供の頃は、ぼーっとしているのに神経質な子だった(今もかな)

お誕生日だし、ちょっと自分の人生を振り替えってみますね~

小学校二年の時、静岡から父の転勤で福岡へ来ました。

私は昔から方向音痴。
自分の家までの道も覚えられなくて、お友達になってくれた女の子二人と帰ろうとしたら私は帰り道を覚えていない。

どうやって帰ったのか忘れたけど、彼女たちが探して親切に家まで送ってくれた(その事をそのあと作文に書いていた)
ほんとにぼーっとしていて、いつも誰かが仕方なく助けてくれるんですね、、

しばらくして日直当番になった。
私は日直の仕事がわからない。
たぶん黒板を綺麗にしたり、ゴミ捨てをしたりだと思うんだけど、ほんとに怖くて学校に行きたくなくて海に飛び込みたいような気持ちだったことは覚えている。
ほんとに変な子。

小学校ではトイレに行くことも出来なくてずっと我慢していたの。給食はなかなか食べれなくて昼休み、居残って教室で食べていたわ、、

よく無事に大人になったわね。
だんだん学校でトイレに行けるようにもなりました。

父は七人兄妹の長子、母は五人姉弟の長子で二人ともしっかり者。二人とも愛情深く、怒るととても怖かった。

過保護過干渉の両親の目が行き届き過ぎる環境で、私は自分を主張することもなく、お人形遊びや絵を描くことばかりしている内向的な女の子に育った。反抗期もなかった。

高校生になって、今の夫に出会う。

夫は何故かわからないけど、「この人を守って生きたい」と思ったらしい。

165センチで42キロくらいしかなかった私はヒョロヒョロで、よく朝礼で倒れていたからかしら、、

今は10キロほど体重が増えてしまい、「それ以上太らないでね」と夫に言われる。儚げな風情が好きらしい。

大学は夫とは別々になったけれど、よくどちらかの大学の学食に紛れこんでいた。彼の大学の文化祭で彼のサークルで、たこ焼き焼いたような、、

卒業して私は小学校教師になったけれど、パニック障害になり自分には仕事は無理だから結婚してと彼に言う。

あの頃、まだパニック障害という言葉は知らなくて、私はノイローゼになって呼吸が出来ないのだと思っていた。

普通ノイローゼの女が結婚を迫ったらまともな暮らしが出来ないと思い逃げると思うけど、彼は「ノイローゼなんか俺が治す」と言って受け止めてくれた。

結婚してから九州男子の夫には、ビックリさせられることばかり(毎晩飲んで夜中にしか帰らないとか、毎年勝手に車を買ってきたりとか、、いろいろ沢山、、)、だけど、パニック障害の私を受け入れて結婚してくれたことを考えたら全部チャラに出来るわね。。

私は仕事に向いていない。
頼りないけど素直だから、年上の方達にはいつも娘のように可愛がられる。仕事の実力はあまりない。
のに、可愛がられるから同年輩からはかなりきつく当たられ、それに耐えることも出来なかった。

仕事をやめて、結婚して専業主婦になって、私には一番合っていた。
あの時代で良かった。

今は専業主婦なんてあまりいないわよね、、

つらつらと振り替えって、私は常に回りに頼りながら生きてきたんだなと思う。ぼーっしていて変な所に神経質というのが私の本質かしら?

好きな時にヴァイオリンを弾いて、バレエに出かけて、ワンコと昼寝をしている。
それもこれも、ノイローゼになった私を見捨てなかった夫のお陰だわね。

あと何年生きるかわからないけど、最後まで私を守ってね。
夫は私を残したら心配でたまらないから先に逝ってくれと言うけど、私はやっぱり夫に見守られながら人生を終わりたい。

なんてお誕生日に湿っぽい話になりました。
夫からの誕生日プレゼントは何かしら?
今夜が楽しみです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?