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「小説 名娼明月」 第8話:意外の珍客

 伏岡金吾主従は、提灯うち落とされて、さては曲者ござんと、隙なく身を固めて警戒したが、そのうえに自分たちを襲うでもない、雪明りに透かして油断なく見ていると、二人の男がしばらく争っていると見る間に、逃げ出す一人を、一人の大男が追っかけて、やがて二人とも見えなくなった。賊でもないらしい。とすれば、武士同志の果し合いか。イヤそれとも違う。合点ゆかぬと眉を顰(ひそ)めて、金吾主従が話していると、雪はやや小降りとなって、空もいくぶんか明るくなった。
 いまのうちに急ごうと思って提灯を探す目先へ、何か黒い物が横たわっている。触ってみれば、一個の死骸である。先の二人といい、この死骸といい、これはただ事ならじと胸騒ぎがして、当たってみれば、どうやら羽織の紐に覚えがある。金吾はようやく提灯に探り当て、火を黙(とも)し、死骸を検めてみてびっくりした! 現在自分が迎えにきた父である!
 幾人の強敵を引受けても、つゆ驚かぬ金吾も、このときばかりは驚きと悲しみが一時に胸に込み上げてきて、足が慄(わなな)いた。
 怪しと思いし先の二人、さてはわが父の敵(かたき)でありけるよ! おのれ! いまから跡追いかけてと、駆け出さんとする足先に、またも横たわる死骸一つ。二度びっくりして照らす提灯の光に現れしは、下僕九助の死骸であった!
 父上を殺せしばかりに飽き足らで、下僕まで殺せし仇敵の面憎き仕打ち! 平性敵(かたき)とても持ちたまわぬ父上及び九助を何者ぞ! かくは無惨無惨(むざむざ)殺したる! と死骸を掻き抱いて嘆きにくれたが、泣いたとてどうなるものでもない。まっ暗がりである上に、もう時間も経った。いまから追いかけていっても、追っつくということは、ちょっと覚束ない。いずれ時は来よう。まず何よりも死骸の始末を、というので、金吾は若造三郎を我が家に走らした。空はまた曇った。跡に独り淋しく立ちて死骸を守る金吾に、綿雪は小歇(こやみ)なしに降りかかるのである。
 この夜、西河内の窪屋与二郎一秋が、夜更くるまでに炬燵(こたつ)のそばで書見をしていると、ここに来て門を敲(たた)いたのは先の大兵である。しきりにわが門を敲く音に一秋が、この深夜の、しかも雪降りに、何の来客であろうと怪しみながら、手づから手職を取って立ち出づれば、

 「窪屋家は当家か?」

 と尋ねる。どことなき聞こえ覚えのある声である。一秋は、ますます不審に堪えぬ。一体どこのどなたが、いまごろ何用あってのお越しかと、手職差し付くる一秋を、先方の大兵は早くもそれと認めて嬉しげに、

 「与二郎一秋殿ではござりませぬか! かく申すそれがしは、鈴木孫市でござる!」

 と頭下ぐるを、主人一秋、意外の珍客に驚いて、しばらくは挨拶らしい挨拶も出なかった。去ぬる年より石山の騒動にて、鈴木飛騨守(すずきひだのかみ)の武勇として、鈴木孫市が石山本願寺へ籠城を続け、さすがに猛き織田勢を悩ましておったことは、一秋がこれまで、たびたび風の便りに聞いたところである。しかるに、突然孫市が、はるばると、この備中まで訪ねて来たところを見ると、石山本願寺が落城したのではあるまいかと想像して、一秋はまず、ご来訪のご用向きはと、膝乗り出して尋ねた。


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