「小説 名娼明月」 第7話:人ちがい

 いまや二人が行き過ぎんとするを、監物は足音忍びやかに窺(うかが)い寄り、二尺八寸の太刀抜く手も見せず、上段に振り翳し、金吾の傘(からかさ)傾けし後方(うしろ)より、全身の力を罩(こ)めて斬付くれば、血煙立ててドッカと倒れる。斬られし躯(からだ)は斜めに掛けて両断(ふたつ)となり四辺の雪を紅(あけ)に染めて花よりも紅い。驚いたのは伴の下僕である。夢中になって逃げかかりしを、監物は、おのれも讐敵(かたき)の片端なりと、慌てる下僕の後方(うしろ)より、一刀横に払えば、さすが日頃鍛えし腕の冴えに、首は彼方に飛んで雪の中に転がる。
 金吾主従二人を殺して無念の霧も晴れた。天いまだ我を捨てざりけりと、胸撫で下ろして死骸を検むれば、意外も意外。いままで金吾と思いいったる死骸は、五十余りの老人である。人違いせしは重々の不覚と、よくよく見れば、鼻筋口元、金吾そのままである。さては、羽崎村の庄屋のところに行ったと聞きし伏岡というは、金吾にはあらで、金吾の父、左右衛門であったか! ただ伏岡とのみ聞いて、その名を確かめず、直ちに金吾と即断せしは我が身の誤り! こは残念の事してけりと悔めども、過ぎしことは及ばず。
 とはいえ、金吾の父を斬りしなれば、いささか慰められぬでもないと、血刀雪に拭い清めて立ち上がる向こうへ現る、一人の大兵。
曲者(くせもの)待てッと飛びかかり、監物の腕をムンズと掴んで引戻さんとするを、監物は怯(ひる)まず敲(たた)き払った。この暗闇の雪降りに、いったい何者であろう。今夜のことが、まだ金吾の耳に入る訳はない。敵(かたき)の一味でないとすれば、漂盗(おいはぎ)強盗の類か。しかし盗賊としては、あまり技が確かすぎる。されば何者であろう。不思議中の不思議である。
 と監物は、相手の大兵の気配に気を留めながら、闇を探り足音を偸(ぬす)んで逃げてゆこうとするところに、向こうから一個(ひとつ)の提灯が来かかった。金吾及び若徒三郎である。両人(ふたり)は左右衛門の帰りの遅きを気遣い、提灯照らして迎いに出て、片島の森に差しかえれば、どうやら二人の男が雪の闇で闘っている様子。こは、ただごとならじと差し付くる提灯を、監物はたちまちに敲きおとした。
 また元の闇に還って、雪はしとしとに降り積もる。おのおの隙なく闇を手探る中を、見つけられじと監物が逃げ出す途端、くだんの大兵に手をかけられしを、いまぞ一生懸命の監物は、死にものぐるいに払い退けて、山手の方に逃げこんだ。そのあとに落ちし物がある。大兵はこれを拾い上げ、西河内の方へ急いで行った。
 この日、金吾の父、左右衛門は、年貢米取調のため、羽崎村の庄屋の許(もと)に行った。日暮れ近きことより始まった酒宴に、意外に帰りの時間が後れた。胆気ある左右衛門は、小厠(こもの)をお供に参らせましょうと勧むる庄屋の言葉を、「なに、それには及ばぬ」と強いて辞し、雪なれば道も明るいからとて提灯も点さず。下僕一人を従え、庄屋の家(うち)の家を出た。

「この大雪に玉島まで遠路をお帰りあらんより、西河内の窪屋様へご一泊なされてはいかがでござります?」

 と勧むる下僕の言葉には耳をも籍(か)さず、二里たらずの道が何だと、うち笑って、雪降りを辿り片島に差しかかり、もは十町にも足らぬ道なり。いま一息だと、かえって下僕を励まして急ぐおりしも、監物から討たれたのであった。
 それにしても、かの大兵というは、そも何者であろう。

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