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三味線の音に父を思い出す日

初めましての方、そしていつもご覧下さってる方、sanaのnoteに足を運んで下さり、ありがとうございます。皆さんが縁あるいつかの星に繋がる時のために、sanaの現場からの何かをころんとお届け出来たら、と思っています。


今日は出先で偶然「三味線」の生演奏と出会いました。

それで思い出したのが父親のこと。
父のことを少し書いています。興味のある方はご覧くださいませ。

父は、三味線や琴を弾く人でした。
私は見たことがありませんが、若かりし頃には、東京の「新門辰五郎」さんの一家に居候し、そこで覚えた芸事で少し人前に出ていたそうなのです。
わかりやすくいうと「め組」の人。そう、江戸の火消しです。
というとさらに思い出すのは「将軍様!」「吉宗!」「最近金ぴかで踊り続けてる方!」と連想が広がってしまいますが。(笑)

新門辰五郎といえば、歴史の中にその名前を発見することが出来ます。

新門 辰五郎(しんもん たつごろう、寛政12年(1800年)? - 明治8年(1875年)9月19日)は、江戸時代後期の町火消、侠客。

実父は飾職人・中村金八。町田仁右衛門の養子となる。娘の芳は江戸幕府15代将軍・徳川慶喜の側室。「新門」は金龍山浅草寺僧坊伝法院新門辺りの責任者である事に由来する。生年月日は寛政4年3月5日(1792年4月25日という説もある)。「新門」は「しんもん」と読まれるが、当人は「あらかど」と名乗っていた、とする説がある。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

父が実際に出会っていたのは、何代目かの「新門辰五郎」さんということになります。調べてみると現在は7代目らしいのです。
父は大正生まれです。

当時の父は近畿地方管区の検事をしていたそうです。試験は一発合格だったと言っていましたのでかなり若い間にということになります。
そこで様々な理由で捕まってしまった方々を部屋に呼んではお話を聞く、という日々があったそうです。

父は、あえてここではサラッと書きますが、物心が付く前に母が置いていった「捨て子」だったのですが、少年時代からずっと「母を尋ねて歩く」という旅を続けていた男でした。
北は北海道から南は九州まで電車という電車に乗り、車に乗り、他者を介して探し歩けば絶対に出会うことが出来る、と信じていたそうです。休日には探し歩く、そのためにもその職業が役に立つはずだと考えていたようです。

数々の捕まったか方との縁もできたようです。
その中の一人が何代目かの「新門辰五郎」さんでした。何度も話しているうちに仲良くなったそうです。職業と立場から言って、本当はあってはならないことなので、父がその職業を離れてから近付き、その方のお家でしばらく滞在し過ごしていた時期があったそうです。
えらく気に入られて、好きなだけ好きにしてくれと言われて、母親探しにも協力してくれていたようです。

父はそこに滞在している間に、三味線と琴を弾くようになりました。最初の間の少しはお師匠さんがいたようですが、あっという間に人前に出ていくような腕前となってしまい、前に出されるようになったと話していました。

芸名、源氏名というものが当時にもありました。

源氏名とは、『源氏物語』にちなんで女性に付けられた(あるいは女性が名乗った)名前のことである。源氏名を歴史的に見ると、元来は『源氏物語』の巻名で、最初は名歌の題材や投扇興の点数の名称に使ったり、後に女官や遊女が自らの出世、輝かしい未来を願い、源氏のように勝負に勝ちたいと本名を隠し源氏名を名乗ったことがことの始まりである。当初は中世から近世にかけて公家に仕えた女官の名のことだったが、後に武家の奥女中などにおいても用いられるようになった。「源氏名」を使用したことが確認できる最も早い事例は、『実隆公記』に記載されている、「梅枝」という名の三条西実隆に下女として仕え永正2年(1505年)11月6日に死去した女性である[3]。源氏名とされるための条件は以下のようなものである。

最狭義には、五十四帖の巻名のいずれかそのものに限られる。
狭義にはそれに加えて、巻名になっていない『源氏物語』の登場人物にちなむものを含む。
広義には、『源氏物語』とは直接の関係ないが『源氏物語』を連想させるような雅な名前を含む。
もともと遊女には、古くは平安時代から本名とは異なる雅な名前を名乗る慣習があり[4]、江戸時代の遊廓で遊女が源氏名を使用した。この段階で『源氏物語』とはあまり関係のない「源氏名」が多くなったとされる[5]。

さらに時代が下り、水商売や風俗店で働くホステスやホスト、及びコスプレ系飲食店(メイド喫茶など)の従業員は、やはり仕事の上で本名ではない名前を使うことが多いが、『源氏物語』とは特に関係ないにもかかわらず、それらをも源氏名と呼ぶようになった[6]。現代ではマスコミも使用している[7]。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

父の源氏名は「八重龍」
その名前で舞台に出ていたそうです。
な、なんと、八重にもなっている龍、とは。
残念ながらこの名前の理由は聞いていませんが、自分で決めたようです。

しかし、検事になり、検事を辞めて、それほどまでの目的は「母親探し」ですから、その情報が入るとは追いかけて確かめに探しに行くという日々を過ごしていたのでした。

ついにやがて、母の所在が明らかになるときがやって来ます。
芸事も畳み、お世話になった場所を離れて、人生を賭けた母親探しの旅はいよいよ新展開を迎えることとなります。
(この続きはまた!)


本日出会った三味線の音と波動という響きとによって、過去の物語を思い出しました。父のことはお話として書いていきたいと考えてはいるのですが、今回の記事はその一部のエピソードを少し紹介させていただきました。


あなただけのこの人生の物語を紐解いて歩きましょう。
昼の地球で、夜の宇宙で、丸ごと一日どうぞよい旅を。
cafe prizm sanaでした。

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