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マネー・MMT

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MMTのルーツは新左翼思想
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MMTは財政金融政策ではなく雇用政策の理論

現代貨幣理論(MMT)がわかりにくい/紛らわしいのは、その本質が労使の勢力均衡と「インフレなき完全雇用」を実現する雇用政策の理論であるにもかかわらず、財政金融政策の理論のように見せかけていることが一因ではないかと思われる。 MMTでは、企業は労働者を安く雇いたいので、売り手市場にならないように常に失業者のプールが存在する状態を保とうとするとされる(→恒常的なデフレギャップの存在を含意)。 しかし、失業は本人にとっても経済社会にとっても損失なので、公的セクターが社会的に有益

「税は財源ではない」・・・だから何?

政府の主な財源は租税と借入(債務証券の発行)だが、これは誤りで通貨発行だとする経済カルトがある。 カルトの信者はこの二つの形式から重大な差異が生じると主張するがそうではないい。租税が財源であろうがなかろうが、政府が民間から徴税することに変わりはなく、徴税額が減るわけでもない。税目と徴税額が同じなら納税者と民間経済への影響は同じである。また、歳出の原資が租税でも通貨発行でも民間が受け取る"カネ"に違いはないので影響は同じである。どちらの形式でも民間と統合政府のカネのやり取りは

税のみが財源ではないは、財政の常識

原口議員が「税は財源ではない」と言っているが、そうではない。 「税は財源ではない」論では、政府は歳出の全額を通貨発行(いわゆる「輪転機を回す」)で賄っているとされる。なので、歳出の財源として税は不要で、財源不足になることもないが、一方的に供給し続けると市中に通貨が溢れて物価の高騰・通貨価値の毀損を招くので、余剰分を回収してそれを防止する。つまり、政府は 民間への通貨供給:通貨発行→歳出 民間からの通貨回収:徴税→通貨消却 を同時並行して行っていることになる。供給=回収

キャッシュレス化と政府・日銀の無能さ

こう👇なっているのは政府と日本銀行がアホand/orワルだから。 真の意味でのキャッシュレス化とは、👇の1~3のプロセスを手数料ゼロかニアゼロで電子化することだが、 買い手が自分の預金口座から現金を出金 買い手が売り手に現金を支払って決済完了 売り手が自分の預金口座に現金を入金 現在の日本における◯◯payなどのキャッシュレス決済サービスは似て非なるものなので、5年半前の記事👇にあるような小売店の負担が発生する。 (クレジットカード、ICカード、バーコード・QRコ

日本銀行の迷走

これ👇はごもっともで、リフレ派が「中央銀行の本分」を無視した出鱈目集団だったことを示している。 中央銀行の本分は通貨価値と金融システムの安定で、そのために供給する通貨は価値が安定した無リスクまたは低リスク資産を裏付けとするのが原則であり、株式や不動産から組成された金融商品は適当ではない。 例外的事例として、1997年のアジア通貨危機の最中に香港金融管理局が株式を大量に購入したことがあるが、これは国際投機筋が「株売り浴びせ→株価暴落→金融システム混乱→香港ドルの米ドルペッグ

アミンとムガベの「正しい貨幣観」

反緊縮・積極財政派が「正しい貨幣観」だとして「財源は通貨発行」と叫んでいるが、実際に財政支出を中央銀行の通貨発行(money printing)で賄ったのがウガンダのアミン大統領とジンバブエのムガベ大統領である。 ジンバブエがハイパーインフレーションと自国通貨の廃止に至ったことはよく知られている。積極財政派は「ハイパーインフレの原因は生産力の毀損であってマネタイゼーションではない」と主張するが、マネタイゼーションは生産力の毀損(←白人追放)によって起こった火に油を注いだよう

積極財政カルトのマントラ「国債発行は貨幣発行」

「税は財源ではない/国の財源は通貨発行」カルトの信者が地方議員にも増えているのだろうか。 財政赤字が継続して国債の発行額が償還額を上回り続ければ、「租税収入で国債を償還」と「国債残高が増え続ける」は両立するので、説明がつかないことはない(現実的には借り換え)。 国(中央政府)の資金調達は預金口座が中央銀行にある点を除くと民間事業者、個人、地方公共団体などと同じで、国債も社債も地方債も市中銀行の購入分が預金通貨の増加になる。社債や地方債の発行が貨幣創造とイコールではないのと

森永&中野の「財源は通貨発行」

森永康平と中野剛志が現実離れしたストーリーで「税は財源ではない」ことを論証できたつもりになっているので、その欠陥を指摘する。 この設定を受け入れたとしても、国が通貨発行して物資や労働力を調達する(買う)のはしばらくの間だけで、市中に十分な量の通貨が行き渡れば、それ以降は「徴税して支出の財源にする」が常態になる。 設定を現実的にすると、現代の財政・通貨制度は銀行システムと不可分なので、中央銀行(現金通貨)と市中銀行(預金通貨)をストーリーに加える必要がある。 国は 中央

元官僚の財政制度理解

この人は総務省の官僚だったのだが、本気で「税は財源ではない」と思っているのだろうか。 予算編成では歳出は税収見込みと無関係に決められるわけではない。 「税は財源ではない」論拠としてよく挙げられるのがこれ👇だが、お金は貯められることを忘れている。 国庫金は年度末にゼロになっているわけではないので、4月の収入よりも支出が多くても、租税が財源になっていないことにはならない。 日本では国(政府)の収入と支出は国庫(日本銀行にある政府預金口座)に一元化されているので、国庫に入金

財政マネタリストが使い続ける相関グラフ

「税は財源ではない」カルトの教祖の一人・中野剛志が、近著の『どうする財源』で例の散布図を引用している。 財政支出でGDPをコントロールできるという「財政マネタリズム」とでも呼ぶべき論である。 このグラフは起点(t=0)とn年後の名目GDP(Y)と一般政府支出(G)の関係が $$ \frac {Y_n}{Y_0}≒\frac {G_n}{G_0} $$ となっていることを示している。これを変形すると $$ Y_n≒\frac {Y_0}{G_0}G_n $$ となる

Debt limitとMMT

アメリカ連邦政府の債務上限引き上げが条件付きの合意に達したことで、6月5日にも起こり得るとされていたデフォルトが回避される見通しとなった。 デフォルトを回避する方策についてステファニー・ケルトンがツイートしていたが、特殊な債券か「1兆ドルプラチナコイン」を発行してドルを調達するというものなので、MMTの基本的主張の「財政支出はその都度の中央銀行の通貨発行によって賄われているので事前の財源調達は不要」と矛盾する。 MMTが下火になってきたのは、インフレ率が跳ね上がったことに

米連邦政府の国庫事情

アメリカ連邦政府の国庫(Treasury general account)だが、当日の支払が前日末の残高を上回る日が増えている。つまり、当日の受入を支払に回す綱渡りの状況である。 徴税や借入によって国庫に入ったドルがそのまま支払に充てられているのだから、税が財政支出の財源になっていることは明らかなのだが、何故か理解できない人がいる。

「税は財源ではない」カルト

それなりの専門性がある人が専門外では異端(トンデモ)にはまってしまう例が一つ増えた。 この👇辺りを学習してしまったのかもしれない。 昨日の記事にも書いたが、「国庫には、無尽蔵にお金がある」のなら、アメリカの債務上限(debt limit)は問題になっていない。「お金を国庫に貯めておいて使う」のは現代でも変わっていない。 国庫にお金を貯めるメインの手段が徴税なのだから、税が財源であることは自明である。 「税は財源ではない」に目覚めてしまった人は、AUMの麻原の空中浮揚写

アメリカ政府のdebt limitと「税は財源ではない」

アメリカ連邦政府の債務上限(debt limit)が引き上げられなければ、6月1日にも国庫が空になって支払不能に陥る可能性が出てきた。 👇がアメリカの国庫Treasury general account(TGA)の残高推移。 「正しい貨幣観」論者が唱える「政府支出は中央銀行の貨幣発行によって賄われている(→税は財源ではない)」なら、支払不能になることは原理的にあり得ないので、このデフォルト危機は「正しい貨幣観」が正しくないことを証明している。 現在の世界標準の財政制度で