フェミがオタクを叩く理由

このような疑問(⇩)を持つのは、フェミニズムを公民権運動のような大義がある人権思想と誤解しているからである。

こちら(⇩)の「英語講師」さんのレビューを読んでもらいたいが、"Equality, Diversity and Inclusion"を教義とする西洋リベラルの反差別運動は、ほとんど文化大革命のようになっている。

その源流はポストモダニズムに影響された1968年の「革命」にあり、フェミニズムも男女同権を求めるものから、家父長制を「敵」とみなした新左翼の革命運動へと変質した。下のオルダーマン著『パワー』の女が男に「復讐」するという発想も、世界を支配者と被支配者のパワーを巡る争いの場だとするポストモダニズムに由来する。

上野 ・・・家父長制も資本制も、私が嫌いな二つの敵。それを分析したら、どこが弱点なのかがはっきり理解できた。
古市 じゃあ、初めにもう戦うべき相手があるわけですね。
上野 当たり前ですよ。だって、問いが立つというのは、そういうことだから。問いに公平も中立もありません。

男女同権達成後のフェミニストを突き動かしているのは大義ではなく「女のエゴ」で、目標はエゴを抑えていた社会秩序の解体(脱構築)である。

考えてみたら女は昔からエゴイストだったのではなかろうか。それがいろいろな事情でおさえられてきただけなのだが、そのおさえが、このところはずれただけなのかもしれない。

女のエゴ、あるいは潜在的欲求とは、出来損ないの男をこの世から消し去ることである。男はパワーを女を引き付けるために使うが、女はパワーをNGの男を排除するために使う。三流フェミニズム小説の『パワー』は、電撃能力を身につけた女が男を暴力支配する世界を描いているが、男の「多くの女を集めてハーレムを作る」という願望を反転すると「多くの男を集めてハーレムを作る」ではなく「男の間引き」になってしまう。異性に対して男は包摂(inclusion)、女は排除(exclusion)と本性が正反対なのである。

「子孫を残すために男は必要だが、数が多い必要はない」と男性を間引きする案も女性から出るようになる。
実際、男性は何人ぐらい必要なのか。考えてもみよう。男は危険だ。犯罪の大半は男が起こしている。男は知的に劣り、勤勉でもなくまじめでもない。男は筋肉とペニスでものを考える。男のほうが病気にかかりやすく、国の資源を食いつぶしている。子供を作るために男が必要なのは言うまでもないが、そのために何人ぐらい必要だろうか。女ほどの数は必要ない。善良で清潔で従順な男なら、もちろんつねに居場所はあるだろう。しかしそれは何人ぐらいなのだろうか。たぶん十人にひとりぐらいではないか。

男の間引きがフェミニストの本音であることは、日本を代表するフェミニスト学者が数十年前から一貫して主張していることによって裏付けられる。さすがに「死ね」「殺せ」とは言っていないが、フェミニズムがマザコン男、コミュ障男、性的弱者の絶滅を要求する優生思想であることはよくわかる。

マザコン男性とその母親が「母子坂、手をとりあって」(宮迫)滅びに向かってくれれば、こんなに平和なことはない。問題は、マザコン男性が身のほどを弁えずに結婚したり、権力を握ったりして、ハタ迷惑になるからである。
[『女遊び』より]
自然史的・人類史的に言えば、マスターベーションしながら死んでいただければいいと思います。冷たいでしょうか。そのための産業もちゃんとありますし。だから、できるだけ、他人に迷惑かけない仕方で、性欲を充足していただいたらいい。
ギャルゲーでヌキながら、性犯罪を犯さずに、平和に滅びていってくれればいい。そうすれば、ノイズ嫌いでめんどうくさがりやの男を、再生産しないですみますから。
彼らが間違って子どもをつくったらたいへんです。

フェミニスト→ゲルマン民族、オタク・マザコン男・コミュ障男・性的弱者→ユダヤ人や障碍者に置き換えれば、現代フェミニズムの本質がよくわかる。これらの発言が全く問題にされてこなかったことは、フェミニストが共通認識を持っていることの証である

女がオタク、マザコン男、コミュ障男、性的弱者など「キモい男」を嫌うのは、彼らの遺伝子が狩猟採集者の基準では一流ではないからである。

現代の女性の心の奥底にも、まったく同じ狩猟採集者の計算高さが潜んでいる。これはあまりにも最近進化したものであるため、現代でもあまり変わっていない。子どもに食物を与え、世話をやく扶養者としての夫を捕まえてやろう、あるいは子どもに一流の遺伝子を与えてくれる恋人を見つけてやろう。両者が同一人物であるとしたら、その女性はとても幸運だといえる。
冷静沈着、自信、楽天性、能率のよさ、忍耐力、勇気、決断力、知性、野心。こうしたものは、男性が仕事でトップにのしあがるための要因である。そして偶然ならずも、女性はこうした資質に魅力を感じる。未来のステータスの手掛かりなのだ。
一番印象的だったのは、ベネズエラにアチェという、狩猟採集と焼き畑農耕の人たちの話です。
彼らの中でモテる男子とはケンカに勝つ強い男子ではない。「大雨の日に薪を切ってしょって帰って来られるような強い男」「子どもを肩車して何キロも森の中を歩ける男」「みんなが困っている時に、火を炊いて冗談の一つも飛ばせるやつ」だということです。
婚活中の女子なら、誰もが「いいなあ」と思うはずです。

金で人間を一流・二流と格付けする(生産性で人を測る)のがフェミニズムである。

倉本はこのように(⇩)呼びかけているが、前者は有能なハンターや戦士の可能性が高いか、少なくとも「雄」としての能力は活性化されているので、無能な後者よりは女にとって好ましい遺伝子を持っている。従って、間引かれるのは後者であって前者ではない。フェミニズムの敵は体育会系レイプ犯ではなくコミュ障のオタクなのである。

「”●●大体育会系レイプ犯”とか”女と見たら態度変えるおじさん”」と「女性と目を合わせて話せない内気なオタク」、フェミニズムの敵はどっちだ?

"Rape fantasy"を持つ女が少なくないのは、自分を力づくで妊娠させる能力がある強い男を求めるからで、逆に、そのような能力がなさそうな弱い男(オタク、nerd、kidult)を嫌うのも本性に根差したcultural universalである。

‘Rape fantasies,’ says M, an American kink educator, ‘are one of the most common fantasies for women. … [T]he research suggests that up to 62 per cent of women experience fantasies about some sort of non-consensual sexual encounter at least once in their lives, 14 per cent of them have these fantasies at least weekly, and 9 to 14 per cent consider them their most frequent or favourite fantasies.
Twenty-year-old university student Diana Lam described Kong men at her age as “toxic.”
“They seem to be like ‘kidults.’ They are obsessed with video games and figurines. If a Kong man does not have a promising career or the ability to take care of a woman, Hong Kong women will not date him,” she said.
Irene Fung, a 40-something businesswoman, said men who are still active in the dating market that she had encountered are usually incapable of genuine communication, have low standards for themselves, fear commitment, and lack self-confidence. “Once I dated a man who boasted how many properties he owned. It was such a turn-off,” she said.

敵であることよりも「いい男」、つまりは有能な男であることを人一倍重視するのがフェミニストである。この「自国の弱い男」よりも「外国の強い男」を求める女の本性がグローバリズム、ネオリベラリズムを支えている。

最後に、平時の男たちの怠惰は、いざ戦時に男たちが身を挺して女子どもを守る働きによって免責してもらえるだろう、という考えがある。ところでちょっと待てよ、男たちはいったい何から女たちを守ることになるんだろうか。考えてもみると、これもバカバカしいことがわかる。男たちは他の男たちと争いを起こして、自分の女たちを守っているだけである。「守られて」みなければ、敵の方がもっと「いい男」かもしれないのだ。
[『女遊び』より]
古代から現代まで、集団が混じり合う際には常に、権力を持つ集団の男性と権力を持たない集団の女性との交配という「性的バイアス」が見られる。

女の社会進出とは、女が「自宅内のルール」を社会全体に強要することを意味する。近年の「萌え絵狩り」がその好例で、女がNG男の性欲を忌み嫌うことが根底にある。フェミニストにとってはNG男の気持ち悪い性欲、あるいは性欲を連想させるものが社会に存在すること自体が耐え難いハラスメントなのである。

女のエゴが「いろいろな事情でおさえられてきた」のは、抑えなければ男女のバランスが崩れる→一夫一妻が基本の人間社会が成り立たなくなる→猿社会化してしまうためである。女性解放とはパンドラの箱を開けることであり、先進国には経済格差拡大や非婚化・少子化という災いが蔓延している。

付録①

現代のフェミニズムとは「女を抑圧する家父長制を打倒する革命運動」なので、フェミニストは「目的は手段を正当化する」と考えている。平気で二枚舌を使うのでnaïveな人は騙されてしまう。

功罪両方ですね、困った変化も起きています。少子化は数十年かけて進んできた変化ですが、同じ時期に浸透したネオリベラリズム(新自由主義)は人々を生きづらくしています。ネオリベラリズムは競争と自己決定・自己責任を強調するところに特徴があります。
つまり、社会的経済的に困難な状況にある人が「それは自分が招いた結果だ」と考えて助けを求められないことにつながります。

『バックラッシュ!』ではこのように(⇩)語っていたが、どちらが本音かは明らかだろう。人々を生きづらくした責任をネオリベラリズムに押し付けているが、フェミニズムも共犯である。「社会的経済的に困難な状況にある人」は邪魔者なので足蹴にするのがフェミニズムである。

「男女共同参画社会は、新自由主義的なベクトルとフェミニズムとの妥協の産物だ」というのは、100パーセント正しいと思います。
そう考えてみると、少子化はぜんぜんOKだと思います。
何でフェミニズムが、彼らの不安のケアをしなければならないのですか? 女にケアを求めるのは筋ちがいでしょう。そういう人たちがフェミニズムの妨げになるかもしれないので、降りかかる火の粉は振り払い、じゃまなものは足蹴にしなくてはならないから、対策は必要だとは思いますよ。私は社会工学的で管理主義的な発想を持たないので、彼らをケアする、つまり慰撫したり統制したりしようとは思いません。自分のケアは自分でする、これがフェミニズムの自己解放の思想の基本のきです。

「自己解放」とは「自己の利益を最大化することで、かりに他者が不幸になったとしてもそれに何の道徳的責任を感じたりしない」という意味で、これがフェミニズムの基本のきである。

自己の利益を最大化することで、かりに他者が不幸になったとしてもそれに何の道徳的責任を感じたりしない「合理的精神」こそが、自由競争の勝者に求められる資質であると言っても過言ではないだろう。

これだけはっきり言ってくれているのに、未だにフェミニズムの本質が誤解されているのは不思議なことである。日本の社会的共通資本を堅固に守る岩盤規制を「ドリルの刃」となって破壊し、世界中の投資家に売却すると公言するウルトラリベラル・グローバリストの安倍首相を保守・極右と誤認する人が少なくないように、一度思い込んだことを修正するのは難しいのだろう。

付録②

アメリカのリベラルが狂っていることをSommersが一連のツイートで指摘している。西洋、特に英語圏のリベラルの暴走は日本の比ではない。

最近ではNatureもフェミニズム汚染が深刻である。

"Equality, Diversity and Inclusion"を教義とする西洋のリベラルは、キリスト教、イスラム教、共産主義のように「世界のリベラル化」を目指している。日本国内の左派系メディア、広告代理店、アカデミズム、法曹界にネットワークを張り巡らせているフェミ・リベラル界隈が、アメリカから理論と戦術を輸入して活動を活発化させていることにも要警戒である。萌え絵が狙われているのも、西洋人には幼児性愛を連想させるからだろう。かつての宣教師が世界中で「邪教の文化」を滅ぼしたようなものである。

フェミ・リベラルは十字軍やナチス、紅衛兵、クメール・ルージュの同類で、話せばわかる相手ではない。

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