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強権国家と政権交代可能なデモクラシー

この間、電子の強みを活かして4/18 刊の新刊(下記)に手を入れていまして、新しい着想もそちらに加筆していたのですが、そろそろこのKindle版の書籍とは子離れして作品として自立させ、新ネタについては独自のnote記事にしてゆくことにします。そしてまた一定程度溜まったところで、紙媒体なり電子媒体なり、次の著書に結実させてゆきます。
ということで、以下は新作の論考です。

トルコの親西欧派による世俗主義の後退

思い返せば1990年代の初め、筆者がまだ故 高坂正堯京都大学教授の許に出入りしていた頃、法学研究科へのトルコからの留学生がしきりに、本国のイスラム政党の政権獲得の可能性について危惧しているのを聴いたものです。それまでの近代トルコは、ムスタファ・ケマル(アタテュルク)以来の政教分離(同国の場合には親西欧的な世俗主義)が保たれていて、宗教勢力は国政を握るに至っていませんでしたが、デモクラシーの下で着実に議席を確保し続けていたのでしょう。96年に至って、初めてイスラム系の政党が政権に就きますが短命に終わり、揺り戻しが生じます。現在の与党(イスラム系の公正発展党)が躍進して同党による長期政権となったのは2002年からのことです。翌年にエルドアン現大統領がまず首相に就き、やがて14年からは大統領に就任します。それに対してトルコにおける西洋化の担い手であった軍は、もはや組織的なクーデタで対抗することはしませんでした(16年に軍の一部による大規模なクーデタが起こりますが、鎮圧されて粛清が行われています)。

不思議の国 ―宗教・対西欧関係・経済発展―

東ヨーロッパと西アジアの間に位置するトルコは、国民のほとんどがムスリムでありながらNATOに加盟している一方で、EU加盟については20年近い交渉が続けられていながら進展がみられないでいるという、特異な立ち位置の国です。

出所:  ttps://graphtochart.com/economy/turkey-gdp-per-capita-current.php

トルコのGDPはこの間に一貫して増大しており、エルドアン氏はウクライナ戦争の前半期にロシアとウクライナの間を取りもって調停を図ろうとするなど、地域の大国としての存在感を増しました。その一方で一人当たりの国民所得のピークは10年ほど前に過ぎていて(上掲グラフ参照)、近年は政権による誤った経済政策によってインフレが亢進し、経済は混乱しています。冒頭の世論調査結果にもみるように、これまでにない大苦戦で、半月後の5月14日に行われる大統領選・議会選では野党統一候補の優勢が伝えられています。

強権国家と政権交代

政権を握って20年になろうというエルドアン氏ですが、この事例から導き出されるきわめてシンプルな真理として、今日の強権国家の指導者は単純に在任期間が長いということが指摘できます通常は独裁化の歯止めとして存在している多選規定を、在任期間が長くなって権力が増大した指導者が途中でみずから外すことが頻繁に起きているのです。これは少なくとも、形式的な要件としてのデモクラシー(を担保する条件)の世界的な後退ですね。先進国で暮らしていると分かりませんが、それだけ民主政というものの魅力が低下しているということでもあります。

主要国では、中国の習政権が2期めに入った2018年3月の全国人民代表大会で早々に、主席の3選禁止規定を撤廃して任期の延長に道を拓いたのが手始めとなりました。ロシアでは20年の憲法改正(上下両院で可決したうえで7月に国民投票実施)により、それ以前の大統領の任期はリセットされてカウントされないことになりました。トルコはこれらよりも早い17年4月の時点で国民投票によって首相職を廃止し、完全な大統領制共和国へと移行したことで、これまた大統領の任期はリセットされていました。ロシアのプーチン政権は、このトルコの事例を研究していたものと考えられます。
先述のように、こうしたルール変更に至るまでに彼らの在任期間が長期に及んでいました。エルドアン氏は2003年3月の首相就任から14年が過ぎようとしていたタイミングでしたし、プーチン氏に至っては前任者のエリツィン氏の引退宣言を承けて大統領代行に就いた1999年12月から起算して、盟友のメドベージェフ氏を大統領に担いでいた首相在任期間まで含めれば、通算で20年以上権力を握り続けた末のことでした。習氏は国家主席に就いてからは5年後のことでしたが、中国では他のの国と異なって、それ以前には2期10年で主席が交代することが制度化されていた中での異例の変更でした。

そしてもう1つの共通点は、この3人がそろって同世代であることです順に1歳違いで、プーチンが1952年、習が53年、エルドアンは54年生まれとなっています。そろって70歳を越えつつあるわけで、いずれも高齢に伴う健康不安が急に浮上するリスクを抱えています。これは単なる偶然ではないでしょう。彼らが中堅幹部だった40歳前に冷戦が終わり、ソ連圏は崩壊して、それぞれの国に彼らの前任者となる新しい指導者が現れています。それ以前のやり方は大幅に否定され、終戦後の日本の政治状況でいえば「パージ」(公職者の追放)が起きたあとの状態に当たります。新しい世代が存分に腕を振るえる環境が用意されていました。西側の価値観の影響力はかつてなく高まっており、各国で強権的な体制は後退しました(新刊第Ⅳ章第1節参照)。これに対して今やすべてが反転しており、多くの発展途上国にとっては厄介な人権問題を主眼とする西側の価値観の影響力は弱まって、相互に作用を及ぼしあって緩やかに連携する強権国家の陣営が出現しています(同上)。

対外冒険主義の蹉跌

そして政権交代が制度化されたことのない中国を別にして、特にロシアに関して、政権交代が可能なデモクラシーの制度が皮肉にも対外的な冒険主義を奨励しているということがいえます。19世紀後半にクーデタで大統領から帝位に就いたナポレオン3世のメキシコ出兵に類する事態です(同補論②参照、メキシコ出兵は回り回って、彼の政権の命取りとなりました)。それは今日ではいうまでもなくロシアによるウクライナへの出兵ですが、上記新刊に詳しく記したとおり、実際には彼の首相代行時代から、旧ソ連圏やロシア連邦の縁辺への軍事的な干渉によって政権への求心力を高めるという手法が多用されてきたのでした(同第Ⅳ章第2節参照)。
今回のプーチン氏の誤算と蹉跌は、ウクライナという相手がこれまで彼が干渉して成功してきたような小国・地域(南オセチア、グルジア、クリミア半島等)とは異なるという事実を見誤っていたことによるものです

なお冒頭の画像の元の記事は、以下です。

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