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【介護小説】俺なんてどうせ負け組だから #3

 母方の祖父母は大正産まれで太平洋戦争まっただなかで、ご飯を食べる事も大変な時代だった。
 高齢者の介護をしていても、戦時中を味わった人はご飯は食べる物がなくてジャガイモとカボチャを多ベられれば良い方だった。

 確かに、カボチャやジャガイモのイモ類は、お腹をいっぱいにするには持ってこいの食材だ。
 
 小学生を迎える前の僕にはそんな厳しさを知る訳もない。中学に行き歴史の教科書で、『ああ、日本って戦争があって大変だったんだな』と思いテストで点数を取る為に覚えたくらいだ。
 戦争の大変さを知るのは、高校の時に映画を見て戦争の恐ろしさを改めて実感する。

 いっその事、歴史を勉強する前に映画一本見た方が面白いし、歴史に興味を持つんじゃないかと思った。 
 中学の読書感想文でも一冊の本も読む事ができない僕は、読書というものが嫌いで国語の点数や成績は悪かった。

 僕には姉が2人いた。1個上と3個上の姉だ。で、僕は末っ子として育った。長男だが末っ子らしく甘えん坊で姉はしっかりとしていた。

 両方の姉は、今は結婚しており子供もいる。仕事も一流企業に勤める長女と歯医者になった次女がいた。
 結婚相手も優秀でいわゆる円満家庭なのだろうか? 自分自身は姉とあって心配されるが、結婚相手の話をした事ないので良く分からないが。

 会った時には、こんな自分でも相手してくれる旦那だからいい人なのだろう。


 姉は僕とは対象的で学校の成績は常にトップに位置していて、模範生徒。僕と違って目立ちたがり屋ではなく控えめのタイプ。僕は先生からよく姉と比較される事が多かった
「お前はお姉さんが優秀なのに自分はこうだと、お父さんお母さんが泣くぞ」
 と言われたが、その時は心の中で
『うるせーよ』くらいしか思っていなかった。

 そもそも、産まれてくる場所は選べないし、性別も選べない。産まれてくる時に五体が満足に産まれてこない人もいるし、知的に問題がある人や病気をもって産まれてくる場合もある。

 たしかに、僕は落ち着きがなかったり姉よりも、勉強ができないのも努力があるのは確かだが、遺伝的な要因もあると思う。
 優秀とか比べられるのが大っ嫌いだった。
 僕自身は姉よりも運動神経は良かったが、悪いところばかり注意された。今の時代で他人と比べれば、先生はパワハラになるのだろう。

 先生も一昔前までは、大威張りできたのが時代の変化とともに、やりにくくなったものだ。
 映画の学校の情景のシーンをみても、笑ってしまうくらい先生がへこへこしている。

 僕より昔の時代は先生はもっと権力をもっていたのに、時代の移り変わりは怖いものだ。

介護を本気で変えたいので、色々な人や施設にインタビューをしていきたいので宜しくお願いします。