見出し画像

介護なんていつか辞めてやるから、変えてやるまでになった私

今では介護福祉士になった私ですが、最初は介護の仕事につくなんて思っていませんでした。

 高校時代では少年工科学校と言って、自衛隊で3年間。大学ではアパレル、飲食店、塾講師等でアルバイトとして働きました。
 その後、役者業(監督業含む)として4年程仕事をして来ました。塾講師、役者業とも本気で取り組んできました。

 塾講師では、授業力と目標達成の為に仕事の日は休憩をほとんどとらず、仕事をしていました。後に書く躁うつ病が酷くなり、仕事ができなくなりました。平均睡眠時間は3時間程だったと思います。

 その後、興味本意で行った役者のエキストラに募集した時に、そこの現場で制作と役者さんと繋がり、役者の世界に4年間いました。身体を鍛えたり、演技の勉強をしたりしましたが、メンタルが元々図太く無い事と様々な壁にぶつかり、さらにこのまま役者という仕事を続けて給料を貰えるか心配になりました。

 その後、色々な就職を探すが中々見つからず、介護の仕事をアルバイトから始めます。その時に少しだけ役者業も平行でやりながら…。
 そんな感じで、とりあえず働かなくてはならないと思いで介護をしたがきっかけでした。

 介護をやる前に、私は初任者研修といって旧ヘルパー2級を受講しました。最初は興味本意でしたが、楽しかったです。そこで出会った受講生、生徒とも未だに仲良くさせて頂いています。

 最初に介護士として仕事をしたのは、リハビリデイサービスでした。定員が20人くらいで、送迎と見守り、バイタル、体操が中心でした。仕事内容はハードではなく働いている人も和気あいあいとしており、『社員にならないか』と本社の人から誘われたり、良い場所でした。

 そして、土日限定で訪問介護も行いました。社長や社員が優しくてとても良くしていただき、訪問について色々と知る事ができました(まだまだ知らない事が多いので色々と聴いていきたいです)

こちらに、訪問介護で経験した事を小説にしています。

そして、デイサービスの正社員に!!

 小規模の介護施設の面接に行った時に、社長と話が噛み合ったのと雰囲気が良さそうだったので、正社員になる事にしました。

 始めは介護度が重い人などを介助できずに、毎日が新人研修でした。色々と教わり変わる事が出来ました。最初は認知症の人の対応よりも、介助や仕事をこなす事で必死でした。

 その介護施設で介護福祉士を取り2年3ヶ月くらい働きました。本当に良い介護施設でした。色々な研修にいかせていただいたり、イベントをやらせて貰えたり、勉強する為の本や忘年会などもあり、ユニークでとても楽しかったです。

 ステップアップの為に僕は介護を変えてみたいと思い、地域福祉に力を入れているところに行きました。その施設がまだ新設で保育と介護が併設していて看護師も常に在住の施設。看護小規模多機能型居宅介護(長いですね)で1年働きました。

 新設なので、なかなか上手く行かずに地域福祉どころか、利用している人さえ満足出来ない場所に不満や自分の力不足を感じて、転職する事に。

 その後、小規模である程度のお給料が良いデイサービスに行きましたが…。やはり、介護施設の中では変える事はできないと思い、4ヶ月で辞める事に…。


 その後に、介護で派遣等のお仕事をしながら、ライターの仕事をしています。介護職員で出会った人々には、素晴らしい人が沢山いました。

 色々な介護事業所にいき、素晴らしい所を沢山も見れました。そう言った素晴らしい介護士や介護施設の人をもっと知って貰いたい。と思い介護のブログや介護士にインタビューをしています。

 今後は自分だけの思いではなく、皆の介護の思いを伝えいきたい
 そう掲げて、まずはNoteで発信していきたいと思います。そして、自分のブログを立ち上げ、少しでも介護士の人や介護をしている人の役に立てればと思います。

  来年(2021年)から僕は新しい介護施設で働く為に、10年近く住んでいた東京を離れ、障害福祉をやりながら高齢者の介護もしていきます。
  新しい事に挑戦しますが、次の会社は社員も若い年齢の人が多いので一緒に福祉のイメージを変えて行きたいです。

 福祉業界は給料は安いし、キツいイメージです。ただ、発展途上なのは確かなのです。だからこそ、若い人の力が必要だしもっと魅力を発信するベキなのです。
 私は福祉をしながら、小説とイベントをする事で福祉のイメージをかえていくぞー。

#はたらくってなんだろう

介護を本気で変えたいので、色々な人や施設にインタビューをしていきたいので宜しくお願いします。