田中 慎一郎(Shinichiro Tanaka)

不動産投資・資産管理の専門家です。不動産業界・投資ファンド業界歴20年以上、投資実績3…

田中 慎一郎(Shinichiro Tanaka)

不動産投資・資産管理の専門家です。不動産業界・投資ファンド業界歴20年以上、投資実績3,000億円以上。/株式会社プロフィッツ(PROFITZ.K.K ) 代表取締役/九州・佐賀県出身/ハンドボールで国体出場

最近の記事

オフィス不要論時代に、不動産のあり方を提案する

2020年10月29日に、「Smart Center Office」というオフィスシリーズの第1弾を両国にオープンした。(そのプレスリリースはこちら。) Smart Center Office(SCO)は、テレワークを前提としながらも、対面でのコミュニケーションに重点を置いた新しい形のオフィスだ。 「オフィス」というコンテンツを通して、オーナーとテナント、双方の課題を解決していく。 オーナーにとっては、近年のオフィス空室増加や賃料水準の低下、テレワーク拡大により、オフィス

    • “型にはめない”ことで拡がる不動産の可能性

      昨年は、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で日本の不動産投資市場は注目を集め、2020年上半期には不動産投資額で東京が世界1位になった。 これは、情勢が目まぐるしく変わる世界において「相対的な安さに対する安定性」「消去法」などで選ばれているだけで、日本の成長・日本のマーケットが面白いというわけでは決してないと考えている。 しかしランキングが示すように、日本の不動産はボラティリティ(変動の度合い)が小さいという意味で、一定のお金は今後も日本に入り続けるだろう。 そんな日本市

      • 企業のための不動産投資と資産戦略

        プロフィッツの事業のひとつに、不動産を本業としない企業に対しての「アドバイザリー事業(クライアントサービス事業)」がある。 不動産というのは、投資対象としてメジャーな存在だ。 企業が不動産資産をうまく活用できると、余分なコストを抑制するだけではなく、ブランディングや採用、事業発展など、さまざまなシナジーを創出できる。 その一方で、知識や経験のギャップから生まれてしまうリスクが高い投資でもあるのも事実だ。 また、元来、企業にとって不動産戦略(オフィス戦略)などはプライオリティ

        • “待機児童問題”という社会課題を不動産投資で解決する

          プロフィッツが新たな不動産価値を見出しているのはオフィスだけではない。 今回は、保育園施設に目を向けた事業の話。 いまや日本の待機児童問題は、大きな社会課題だ。 共働き世帯が増え、保育園施設は重要な社会インフラとしての役割を担っている。 各自治体がさまざまな対策を講じるも待機児童は解消されず、依然として保育園施設へのニーズは高い。 僕たちはESG投資を意識した保育園特化型ファンドをパートナーと立ち上げ、その社会課題に対して不動産投資から解決へのアプローチをしている。 ま

        オフィス不要論時代に、不動産のあり方を提案する

          3期目までの企業に大切な、マインドとクレジットとは

          KGキャピタルの代表を退き(現在は社外役員として継続)、プロフィッツを立ち上げ、今年の春に4期目を終え5期目を迎えた。 この節目のタイミングで、これまでのプロフィッツを振り返っておこうと思う。 プロフィッツを立ち上げて業務を開始したのは、2017年の8月のこと。 スタートして1年半は1人で仕事をしていたが、1年半ほどたった頃に松井さん加わってくれてようやく2人のチームになった。 その社員第一号の彼が、保育園特化型ファンドをドライブしてくれている、頼もしいチームメイトだ。

          3期目までの企業に大切な、マインドとクレジットとは

          落ちる準備ができた時。覚悟が伝わった瞬間

          KGキャピタルを設立してからというのも、 投資家でありパートナーだった彼から、どれほど怒られたかわからない。 会社運営のこと、事業の考え方、プレゼンテーションの資料のつくり方まで、もう何から何まで怒られっぱなしだった。 大人だって、怒られることは当然悔しい。 全部身につけてやろうと思って、怒られたこと、指摘されたことは全部メモしていった。 丁寧にカテゴリーに分類し、なぜそうしなければいけないのか、深い意図はなんなのか、全てメモに残した。 エクセルシート80-100行にも

          落ちる準備ができた時。覚悟が伝わった瞬間

          最小限のリスクなのに、死ぬほど怖かった初めての起業

          前回のつづです。 香港系不動産投資会社にいた頃、 不動産×ITの新しいサイト構想の話ばかりをしていた同僚がいた。 同じタイミングで、私も不動産×ITのサイトを作ろうとしていた。 二人でそんな話で盛り上がっていたある日、 「顧客にIT関連企業の経営者で投資家の方がいるから、とりあえずIT業界がどんな感じか聞いてみないか?試しに会いに行ってみないか?」 とその同僚が言い出した。 僕はもちろん二つ返事で同意した。 海外の方で、非常に多忙な人だったのだが、有難いことに15分間だ

          最小限のリスクなのに、死ぬほど怖かった初めての起業

          不動産ファンドの表と裏

          前回書いたように、リーマンショックの際のようなマイナス方向の仕事があれば、それとは反対に、プラスの仕事も存在する。 要するに、市況がマイナスになっているということは、不動産が安くなってるということでもあるので、投資会社としては「買い」の動きも同時並行で行っていく。 僕も同時期に2つのプロジェクトを進めていた。 一方のプロジェクトでは「30億支払わない」と言い、もう一方のプロジェクトでは200億の買いを行う。 そこには、まったく別人格の自分が存在した。 これがファンドの面

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          リーマンショックと30億円の支払いをゼロにするミッション

          勉強の思い出が残る国内不動産運営会社には、約4年間勤務した。 僕は30歳を迎え、US系不動産投資会社にいた。 転職せずに一度留学することを考えていたのだが、「そこまでして英語を学ぶ気概があるなら、働きながら英語を勉強すればいい」と誘っていただき、その会社に入社した。 社名に「不動産投資顧問」と付くくらいなので、投資専門の会社だった。 そこに入社して、僕の中の不動産という世界に、大きな変化が訪れることになる。 これまで僕がいた2社では、不動産の「今」を見ていた。 プロ

          リーマンショックと30億円の支払いをゼロにするミッション

          「わからない」と言える強さ

          前回につづき、国内不動産運営会社にいた頃の暗黒時代の話。 僕のプライドは、クライアントとのコミュニケーションにおいてだけでなく、会社内においてもズダボロにされた。 僕の仕事のできなさから、ついに週一度の部会に「今週の田中」というコーナーが設置された。 どういうコーナーかというと、「今週わからなかったことを、みんなの前で言う・聞く」というコーナーだ。 何でもいいからどんどん聞けと言われるので、正直にそのまま言ったり聞いたりすると、 「何を聞きたいかが全くわからない」 「そ

          「わからない」と言える強さ

          有頂天と地獄を味わった、はじめての転職

          新卒で入社した不動産仲介業をメインとする会社には、約4年ほどいた。 以前書いたように、不動産の仕事は面白くないと思っていたので、自分の納得のいくところで区切りをつけて、転職活動をはじめた。 転職エージェントに勤める先輩にサポートしてもらい、先輩が本当にいいとすすめてくれる企業だけを厳選して転職活動を進めていった。 サイバーエージェント、GMO、当時まだ30名ほどだったDeNAなど、IT系企業を中心にみていた。 そう。不動産業界から離れる決意でいたのだ。 先輩にも、「不動

          有頂天と地獄を味わった、はじめての転職

          頑張っている人が、報われる世界にしたい

          不動産業界と聞くと、みなさんはどういうイメージを持つだろうか。 残念ながらたいていの場合、良いイメージを持たれていない。 業界にいる張本人の僕ですら、良いイメージを持っていないのだから。 なぜ良いイメージがないのか? これ説明する時、僕は不動産業界を2つに分けて考えている。 * * * まずひとつは「ワンタイムでフィーをもらう事業」、 もうひとつが「継続関与する事業」だ。 普段、ほとんどの方が不動産従事者と接点を持つのが、前者の「ワンタイムでフィーをもらう事業」にお

          頑張っている人が、報われる世界にしたい

          起業と涙。初めて親に認められた日

          もしも大学に進学できていなかったら、高校を卒業後はすぐに家を出て就職していたと思う。 それほど実家から離れたいと思っていた。 * * * 両親とは、はっきり言って仲が良くなかった。 僕は中学・高校はハンドボール漬けの毎日に加えて、ややヤンキーかぶれみたいな生活を送っていた。 そんな僕が両親と関係がいいはずもなく、いつでも、 「私」VS「私の行動に理解出来ない両親」 となり、当時はかなり距離があったように思う。 父親も母親もともに職業が先生だったのだから、それも無理

          起業と涙。初めて親に認められた日

          心揺さぶる人との出会い

          なかば暴露っぽくなるのだが、新卒で入った会社はコネ入社だった。 ご紹介いただいて入社したので、不動産業界に興味があったかと言われると、そういうわけではないのが正直なところ。 大学は建築学を専攻していたので、電機メーカーに就くよりも不動産業界のほうが近しい、というくらいだった。 * * * 入社後に配属されたのは、リフォーム系の部門。 配属の意図としては、僕が理系で建築学科だったからという理由がいくらかあるだろうが、その部門で任されたのは営業職だった。 地主さんに営業にい

          心揺さぶる人との出会い

          都会に出て味わった恥ずかしさと、20年経って超えられた絆

          有り難いことに、ハンドボール推薦で東京の大学に進学することができた。 このタイミングで、僕の世界は大きく変わったと思っている。 僕が育った九州の片田舎は、本当に狭い世界だった。 東京に出てくるまでは、その世界の中で、勝ち負けを争って生きていた。 理由はなんであれ、 目立っていれば「あの子すごいね!」とみんなの注目のまとになる。 反対に、それが崩れた瞬間から「あの子はダメだね」なんて噂が広がる。 そんな、小さな小さな世界だった。 だから、失敗した時は他に逃げ場がなくなって

          都会に出て味わった恥ずかしさと、20年経って超えられた絆

          本当に強いチームとは

          中学校はハンドボール部に所属した。 地元の学校がたまたまハンドボールが強かったこと、母親が体育教師でハンドボール部の監督を務めていたこと。 そんな影響もあってか、僕は自然とハンドボールの道へ進んだ。 小学校時代とは違って理不尽な喧嘩はなくなったが、それでも部活動の中でもみんなと喧嘩したことがあった。 僕が、あまりにも勝ちにこだわるが故にだ。 そういう話をすると「向上心が強かったんですね」なんて言われるが、残念ながらそういうことではない。 単純に、「負けたくない」の一心

          本当に強いチームとは