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なぜエンジニアを選んだのか考えてみたら「美しさ」の定義に発展した。

以下のツイートを見かけ、ふとそう言えばなんでだろう、と思いつらつらと書き連ねてみました。

本音

お金を稼ぐ手段として趣味と実益を兼ね有効であるため。

建前

ITの世界でエンジニアと言うものになることは、自分の生来の性質にマッチするものであり、それらを発揮できると考えたため。

そして思ったこと

綺麗なものは綺麗な状態で目にできればいいと思う。綺麗になるまでの裏側なんて知らなくていい。そういう部分を知ると本来純粋に美しいと思っていた水準に濁りが生じる。ファンタジー度合いが薄れ、少し冷めてしまうのだ。しかし、エンジニアの裏側、コードが美しいものであることはよい表側を作り上げる。

表の美しさを成り立たせるための裏側が醜いと言っている訳では無い。少なからず感じてしまう裏側の汚さがコードには軽微であった。コードは裏でありながら表の本来の姿。光と影、と言った対を成すものではなく、層の再背面に居ながら、必須な存在であることも私の理想とする生き方と重なって見えたのだ。

目立つ必要は無い。望んで望まれる人間関係の中にいたいと思う。無意識の内に自分の理想を具現化するものを掴んでいたらしい。

裏側の努力とか言ったものを賞賛し、それを形容するための言葉として「美しい」は適切だ。しかし努力そのものは決して美しくない。努力をしている姿勢や態度が「美しい」のである。そこを履き違えてはならない。

まとめ

私には、エンジニアと言う食い扶持を得る手段が望む生き方を体現する手段でもあった、と言うことだろうな。
そう言えばなんでだろうって思ったことが思わぬ形で完結してしまった。

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