映画感想文『ボーはおそれている』★★☆☆☆【ネタバレありレビュー】 2024/02/25

2024/02/25(日曜)に映画『ボーはおそれている』(原題:Beau Is Afraid)を観てきた。

『ヘレディタリー/継承』で映画ファンの注目を集め、『ミッドサマー』が全世界で大ヒットを記録するだけでなく、多くの観客に“消えない傷”を植え付けた天才監督アリ・アスターが、気鋭の映画スタジオA24と三度目のタッグを組んで世に放つ最新作がついに日本解禁。

日常のささいなことでも不安になる怖がりの男ボーはある日、さっきまで電話で話してた母が突然、怪死したことを知る。母のもとへ駆けつけようとアパートの玄関を出ると、そこはもう“いつもの日常”ではなかった。これは現実か? それとも妄想、悪夢なのか? 次々に奇妙で予想外の出来事が起こる里帰りの道のりは、いつしかボーと世界を徹底的にのみこむ壮大な物語へと変貌していく。

主演を務めるのは『ジョーカー』でオスカーに輝いた名優ホアキン・フェニックス。これまで様々な作品で怪演を見せてきた彼が極限の演技と表情を見せる本作は、そのキャリアの到達点になった。

実家にたどり着くのが先か? それともボーの人生が転覆し、永遠に壊れるのが先か? 衝撃や恐怖を遥かに凌駕する“永遠に忘れられないラスト”が待つオデッセイ・スリラー。スクリーンで一度体験したら、もう元には戻れない。


キャスト

ボー:ホアキン・フェニックス

ホアキン・フェニックス
1974年、プエルトリコ生まれ。『スペースキャンプ』(86/ハリー・ウィナー監督)で映画デビューし、続く『ラスキーズ』(87/リック・ローゼンタール監督)で主演を務める。兄リバー・フェニックスの死をきっかけにしばらく俳優業を休業した後、95年に『誘う女』(ガス・ヴァン・サント監督)より活動を再開。『グラディエーター』(00/リドリー・スコット監督)でアカデミー賞助演男優賞、『ウォーク・ザ・ライン 君につづく道』(05/ジェームズ・マンゴールド監督)で同主演男優賞にノミネート。『ザ・マスター」(12/ポール・トーマス・アンダーソン監督)では、フィリップ・シーモア・ホフマンと共にヴェネツィア国際映画祭の男優賞を受賞、アカデミー賞でも再び主演男優賞にノミネートされた。17年には、『ビューティフル・デイ』(リン・ラムジー監督)にてカンヌ国際映画祭男優賞を受賞。世界中で大ヒットを記録した『ジョーカー』(19/トッド・フィリップス監督)では徹底した役作りで最凶のヴィランを怪演、ヴェネツィア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞し、アカデミー賞では初の主演男優賞に輝いた。近年のそのほかの代表作に『her/世界でひとつの彼女』(13/スパイク・ジョーンズ監督)、『インヒアレント・ヴァイス』(14/ポール・トーマス・アンダーソン監督)、『教授のおかしな妄想殺人』(15/ウディ・アレン監督)、『ゴールデン・リバー』(18/ジャック・オーディアール監督)、『ドント・ウォーリー』(19/ガス・ヴァン・サント監督)、『カモン カモン』(22/マイク・ミルズ監督)、『ナポレオン』(23/リドリー・スコット監督)など。『ジョーカー』の続編である『Joker:Folie a Deux(原題)』が24年公開予定。

公式サイト

ロジャー(シーン2の夫):ネイサン・レイン

ネイサン・レイン
1956年、アメリカ・ニュージャージー州生まれ。大学中退後ニューヨークへ渡り役者を目指す。1982年にブロードウェイデビューを果たす。その後もブロードウェイなどの舞台で着々とキャリアを重ねていき、様々な舞台においてその才能を発揮している。これまでにもその功績が讃えられ、「ローマで起こった奇妙な出来事」(96)と「プロデューサーズ」(01)でトニー賞ミュージカル主演男優賞を受賞した。主な映画出演作に『ジョー、満月の島へ行く』(91/ジョン・パトリック・シャンリィ監督)、『マウス・ハント』(98/ゴア・ヴァービンスキー監督)、『プロデューサーズ』(06/スーザン・ストローマン監督)、『白雪姫と鏡の女王』(12/ターセム・シン監督)など

公式サイト

グレース(シーン2の妻):エイミー・ライアン

エイミー・ライアン
1968年、アメリカ・ニューヨーク生まれ。舞台女優としてキャリアをスタートさせ、1993年にブロードウェイ・デビューを果たす。2000年の「ワーニャ伯父さん」と2005年の「欲望という名の電車」で2度トニー賞にノミネートされている。1999年に映画に初出演。2007年公開の『ゴーン・ベイビー・ゴーン』(ベン・アフレック監督)で数々の映画賞を受賞し、第80回アカデミー賞助演女優賞の候補となった。その他出演作に『カポーティ』(06/ベネット・ミラー監督)、 『チェンジリング』(09/クリント・イーストウッド監督)、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督/15)、『ブリッジ・オブ・スパイ』(スティーヴン・スピルバーグ監督/16)など。

公式サイト



セラピスト:スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン

モナ(ボーの母):パティ・ルポーン

パティ・ルポーン
1949年、アメリカ・ニューヨーク州生まれ。高校卒業後ジュリアードに進学し演劇を学ぶ。1979年には、ブロードウェイミュージカル「エビータ」で、ファーストレディであり女優でもあったエビータことエバ・ペロンに抜擢。歌唱力と演技力が高く評価されトニー賞ミュージカル主演女優賞を受賞した。その後もその歌唱力には定評があり、「レ・ミゼラブル」「スウィーニー・トッド」など数多くのミュージカル作品へ出演している。映画出演としては、ハリソン・フォード主演の『刑事ジョン・ブック 目撃者』(85/ピーター・ウィアー監督)や、『ドライビング Miss デイジー』(90/ブルース・ベレスフォード監督)、『容疑者』(02/マイケル・ケイトン=ジョーンズ監督)、『ラスト・クリスマス』(19/ポール・フェイグ監督)などがある。

公式サイト

若い頃のモナ:ゾーイ・リスター=ジョーンズ

トニ:カイリー・ロジャース
エレイン(ボーの初恋の女性):パーカー・ポージー
若い頃のエレイン:ヘイリー・スクワイアーズ

進撃の肉団子マン(シーン2の息子の陸軍時代の同僚):ドゥニ・メノーシェ

ドゥニ・メノーシェ
1976年、フランス・ヴァル=ドワーズ県生まれ。パリの「Acting International」で演技を学び、2003年にTVドラマでデビュー。『ハンニバル・ライジング』(07/ピーター・ウェーバー監督)、『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』(07/オリヴィエ・ダアン)など話題作への出演を重ねる。09年、クエンティン・タランティーノ監督の『イングロリアス・バスターズ』では、オープニングでクリストフ・ヴァルツと共演したシーンが絶賛され国際的な知名度を得るようになる。11年の『Les Adoptés』(日本未/メラニー・ロラン監督)でリュミエール賞最優秀新人男優賞を受賞。『理想郷』(23/ロドリゴ・ソロゴイェン監督)で東京国際映画祭の最優秀男優賞を受賞した。その他の出演作に『ジュリアン』(19/グザヴィエ・ルグラン監督)、『悪なき殺人』(21/ドミニク・モル監督)など。


マイケル・ガンドルフィーニ
コーエン:リチャード・カインド

ストーリー

シーンとしては、四つに分かれている。

シーン1:ボーのマンション

出産の場面から物語が始まる。生まれたばかりの赤ちゃんであるボーを、医者が床に落とす場面から。産道は真っ暗で、徐々に外界の光が差し込んでいる。ぼんやりして、はっきりしない視界だが、直島のベネッセのお寺の施設「南寺」、ダイアログインザダークを思い出した。

南寺
「南寺」は、ジェームズ・タレルの作品のサイズにあわせ、安藤忠雄が設計を担当した新築の建物です。元来この近辺には5つの社寺と城址が集まっており、直島の歴史的、文化的な中心地になっています。「南寺」は、かつてここに実在していたお寺が人々の精神的な拠り所であったという記憶をとどめようとしています。

ジェームズ・タレル 「Backside of the Moon」 1999年 設計:安藤忠雄

ジェームズ・タレル
1943年カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。クレアモント大学院芸術修士号取得。主な展覧会に、1980年ホイットニー美術館・ニューヨーク、1995年水戸芸術館・茨城がある。代表作に1979年から今も制作中の「ローデン・クレーター」・アリゾナ、2000年 「光の館」・新潟、地中美術館にて公開されている2004年「アフラム、ペール・ブルー」「オープン・スカイ」「オープン・フィールド」がある。

ダイアログ・イン・ザ・ダーク

精神科医のカウンセラーと会話する場面に切り替わる。場所は、カウンセラーの部屋だ。おじさんのボーが主人公だと、観客は理解する。

精神科医のカウンセリングを受けながら、ボーは記憶の断片を語る。森に迷い込んだ息子たち、消えた妻、そして奇妙な老婆。彼は何が真実なのか、何が幻想なのかを区別できずにいた。

カウンセリングの後、場面が切り替わり、薬を水で飲むボーが表れる。街の屋台で売られる小物と、その屋台のガラス戸の棚にあった白い聖母マリアとイエスを抱いた像。ボーはその像に興味を示す。飛び降り自殺をしようとする男性とそれを囃し立てる地上の人たち。飛び降り自殺をしようとする人に向けられるスマホ。録画している。

ドラッグ中毒者が集まる街が映し出される。数年前にYouTubeで有名になったサンフランシスコの街中のような風景だ。海外ドラマ『ウォーキング・デッド』のゾンビのような動きをするヒトの動画だ。この動画には、当時、衝撃を受けた。

ダッシュをする主人公、それを追いかける全身刺青の男がいる。帰宅をするにも命懸けだ。肉がついた巨体を揺らしながら、全力疾走するボーが、なんか微笑ましい。

ボーは、夜に、真っ白な聖母マリアの手のひらサイズの像の底面に、母宛のメッセージを書く。BEAUと自分の名前を書こうとしたが、インク切れでなかなか書けず、木の棚から別のペンを取ろうとしたところ、そこに少女が写った一枚の写真を見つける。ピンクの水着を着た少女だ。

苦情の手紙と、大音量で隣の部屋から流れる音楽。

旅立つボーと、盗まれた鍵とスーツケース。

水と一緒に飲まなければいけない薬。そして、水が出ない蛇口。そして、向かえのコンビニに走る主人公。ビルの中に押し寄せる不審者たち、ボーの部屋で行われる乱痴気、薬物、暴力、全裸・裸で踊る男。

まわり続けるミキサー、倒れているモニター。

壊れたモニターで飛行機を予約する。

母に電話するも、UPSの職員が出る。死んでしまったと、母が。凍り付く体、そして、意識がなくなる。溢れ出すお風呂のお湯。

お風呂に入ると、天井には太った男がいる。額には蜘蛛がいる。ここが奇妙なことが次々に起こる起点だったようにも思うが、きっと、冒頭から奇妙な出来事を起こしていた人がいたはずだ。

シーン2:事故で助けられた家族の家

事故で助けられた家族の家で、ボーは違和感を感じる。彼らはまるで演技をしているように不自然だった。そして、偶然出会った女性エレーナは、彼の過去の記憶に深く関わっていた。

「チャンネル78」というキーワードを、奥さんがボーに告げる。その前も、さらっと「カメラが・・・」という言葉を発していた。この奥さんが、敵なのか味方なのかが分からない。妻も夫もどちらもおかしく、どちらも正しいように思えてきて、混乱する。

なぜ、テレビの映像に、未来のボーの姿が映っていたのだろうか? 早送りしていたのだから、未来の映像のはずだ。

娘が、鮮やかな水色(壁の色もペンキだった)のペンキを飲み干し、死んでしまった。ボーは助けようとしたが、助けられない。母親が、娘の無残な姿を見て、娘を殺したのがボーだと勘違いし、進撃の肉団子男をボーに放つ。逃げるボー。

フォレストガンプのような走りだ。

なぜ彼は森に迷い込んだのか? 迷い込んだ訳ではなく、必死で逃げていたら、たまたま森に入ってしまった、というのが実際のところだ。

テストとはなんだったのか? 母による息子へのテストだと思った。

娘とその友達は、なぜタバコ、マリファナみたいなものを、ボーに吸わせたのか? ボーを、実家に連れていくと言ったのは嘘だったのか?

シーン3:森

森の場面。森に迷い込んだ主人公。緑の服の女性に会う。「道に迷った男を、女性が助けたと伝えられたり、森に迷った女性を、男性が導いたと伝えられたり」という趣旨のナレーションが流れた。

森の中、ボーは過去の記憶と現在の現実が交錯する中で、自分が何者なのか、なぜここにいるのかを探求していく。

ボーは、観客として演劇を観る。観客も服を選ぶシステムで、ボーはチャレンジして、楽しめる方の服装を選ぶ。見た目は、ただのベージュの麻のような風合いの上着だ。

ボーには、3人の息子も妻もいない。ボーは、森の中の演劇を見ながら、ボー自身の物語を空想する。ボーと妻と息子3人で慎ましくも、仲良く暮らしていた。妻は、森で出会った妊娠中の女性を想定しているのではないか。

妻との愛、息子たちとの絆、大津波による離別、そして、3人の息子たちの再会が描かれる。ただ、妻はいなかった。ボーが左から右に歩く姿、そして、そのポップなアニメのような背景。

妻がいないことは何を示しているのだろうか? 欠落、物足りなさ、あるべきものがないという感覚。朝井リョウの小説『正欲』を思い出す。それは、「男と女が社会の最小単位である」というセリフだ。

シーン4:実家

ボーが、実家に、ヒッチハイクの黒い車で戻ったのは、母の葬儀が終わった直後だった。その日、すでに母の葬儀が終わってしまっていたのだ。

実家の館には、母の人生を綴った記念館のようになっていた。葬儀の際の音声が流れている。母の年表が記される。母の年表を読むことで、ボーの正体が明るみになる。ボーは、隠された秘密を発見していく。母親の肖像画は、たくさんの人の証明写真で作られていた。そこには、彼が知らなかった過去が描かれていた。それが謎解きのクライマックスだ。発達障害のクスリの発明、誰でも安全に使えるカミソリ、社会復帰施設の設立など、息子の病状を軽減するべく、母自身の労力とお金と、そして会社設立を行った経緯が想像できる描写だ。

母の肖像画に中に、シーン2に出てきた外科医のお父さんが出てきた。

エレーナとの再会

ボーが、母の喪失に落ち込んでいると、喪服を着て、花を持った女性が現れる。もう夜だ。18時から葬儀が始まると思って、遅れて来たのだ。

それは、子供時代の初恋の相手だ(初恋であり、唯一恋をした女性だ)。子供時代に初めて会った時から、2度目に会ったのが、ボーの母の葬儀の時だ。

夢にまで見ていたエレーナとの再会。そして、二人のセックスの場面。

ボーは、遺伝で、女性とセックスをすると、死んでしまうと思っている。でも、エレーナと繋がりたい。むしろ、エレーナとの子供を作って、死んでしまおうとしていたのかもしれない、そう覚悟していた。

シーン3の森の場面で、ボーは理想の家族を思い描いていたことからも、ボーが家族を作りたいという願望、欲求を持っていたことが分かる。

にもかかわらず、エレーナは、ボーの意思を確かめることもせず、エレーナはゴムを素早くつけてしまう。ボーの自分の意思とは無関係に進んでいく。

なぜ、ボーは驚いていたのか? 死を恐れたからだろう。そして、初めてのセックスにドキドキしながらも、快楽しか生み出さないセックスに不安を感じているようだった。でも、ボーは達観しているようにも思えた。だって、ずっと思い続けて、諦めていた女性と再開したのだから。

でも、果てた後も、ボーは死ななかった。代わりに死んだのは、エレーナだった。エレーナの死さえも、ボーの母がコントロールしていたのだろうか。

死後硬直したエレーナの死体は、粗大ゴミを運ぶかのように、男と女のメイドが要領よく運び出していく。

謎解きが始まる。守秘義務があるカウンセラーとボーとの会話が全て録音されていることに、ボーはうろたえる。

『ゲット・アウト』(原題: Get Out)のような展開だ。

『ゲット・アウト』(原題: Get Out)は、2017年のアメリカ合衆国のホラー映画。白人のガールフレンドの実家を訪れたアフリカ系アメリカ人の青年が体験する恐怖を描く。監督・脚本はジョーダン・ピール、主演はダニエル・カルーヤが務めた。

母は、ボーを屋根裏に誘う。母は、ボーに対して、「後ろからついて行くから安心して」と言うが、結局、ボーを真っ暗な屋根裏に置き去りにし、入口を閉めてしまう。

そこには、髪の長いボーと同じ風貌をした男がいた。ボーダーの服を着ていたように思う。ずっと屋根裏に閉じ込められていた場合のボーを表しているのではないか。一見すると、ボーの父だと思ったが、きっと違う。

そして、その髪の長いボーの右に、父と言われる存在がいた。精神分析でいう「父」なのだろうか。3流のSFに出てきそうなイカの怪物だ。張りぼての怪物だ。母は、あの黒い奇妙な子供騙しの怪物を、父だとボーに思わせることで、父への恐怖を煽り、ボーを母の檻に閉じ込めようとしたのではないか。

それにしても、あえて、父と呼ばれるあの怪物の造形を、あの形にしたのだとしたら、どんな意図があったのだろうか?

すべての出来事が仕組まれていたことに気づいたボーは、真実を追い求める。

ボーは実家の館からボーとで逃げ出す。そして、星空に変わり、ゆったりとしたスピードでボートを動かす。映画はここで終了だと思いきや、場面が切り替わる。

湖を囲むコロッセオで、母と検事が、被告のボーを糾弾する。ボーの生まれてから今までの全ての映像が全て保管されている。母の執拗までの、息子ボーへの執着だ。

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、スターウォーズ・エピソード1から3の議会の場面を想起した。

考察

ボーの体質

なぜ半日もボーは呆然としていたのか? なぜ突然、ボーを不安にさせようとしたのか?

ヒトの気持ちの複雑さ

母は、息子に会いたかったけれど、会いたくないという気持ちが同居している。

森のシーンでのアニメーション、物語、その意味

森の場面が全く分からない。なぜあんな話になったのか? アニメにおけるボーと息子3人とは、何を指しているのか? ボーの空想、想像なのだろうか? ボーの理想の家庭像だったのだろうか?

薬の効果

新しく処方された薬は、クールな薬だと医者が言っていた。あの薬が効いただけなのか?

記憶と真実の狭間で

映画は、記憶と現実、過去と未来が交錯する中で、人間のアイデンティティと運命について問いかける。ボーは真実を突き止め、自由を手に入れることができるのか?

映画の余韻

映画を観終わった後も、多くの謎が残る。未来のボーの姿、エレーナの真意、そして仕組まれた運命の目的。観客はそれぞれの解釈を導き出すことになる。

思い出した映画

この映画を観て、いくつかの映画を思い出した。記憶と現実が交錯する「トゥルーマン・ショー」。

トゥルーマン・ショー
劇場公開日:1998年11月14日

障がいとは何か?

映画の終盤で、ボーは、発達障害だと分かる。発達障害については全く知見がないが、ボーは通常の感覚を持っていると思う。それよりも、異常なのは、ボーの周りの人たちだ。

イニシェリン島の精霊

『イニシェリン島の精霊』(イニシェリンとうのせいれい、The Banshees of Inisherin)は、2022年のアイルランド・イギリス・アメリカ合衆国のブラック・コメディ映画。監督はマーティン・マクドナー、出演はコリン・ファレルとブレンダン・グリーソンなど。PG12指定。


「人間の記憶」と「アイデンティティの脆弱性」

この映画は、「人間の記憶」と「アイデンティティの脆弱性」を巧みに表現している。何が真実で、何が幻想なのか、観客は最後まで判断を迫られる。観終わった後も、何が真実なのかを考えさせ続けられる。

また、仕組まれた運命というテーマは、自由意志と決定論という哲学的な問題を提起している。

母から息子への愛とは何か? 2024/02/26追記

モナは、息子へ愛を注ぐ一方で、息子からの愛も求める。進化心理学の観点で言えば、ヒトとして通常持っている感情なのだろうか?

テストとはなんだったのか? 2024/02/26追記

母による息子へのテストだ。様々な誘惑を、息子に仕掛けて、それでもなお、母に会いに来るのか、というテストだ。誘惑に負けずに母に会いに行けば、ボーの勝ちだし、誘惑に負けてしまえば、ボーの負けだ。

残された疑問

母は本当に事故死だったのだろうか? 母を殺したのは誰か? 母は死んでいたのだろうか?

仕組まれた運命。どこまで、ボーの人生は、母に仕組まれていたのだろうか?
仕組まれた記憶、交錯する過去と現在。
ボーは、過去と現在の狭間で葛藤する。
全ては仕込まれている。偶然すぎる。全てが仕組まれている。

未来の自分が現れた意味とは?

エレーナとの関係はどうなるのか?

エレーナと船。なぜ母とボーは船旅をしていたのか? 本当に船の上だったのだろうか? なぜエレーナは、死体と一緒に写真を撮ったのか? なぜ少女エレーナは、ボーにキスしたのか?

エレーナとその母も、ママの従業員だったのか?

その他メモ

母親の存在。消された父親。母が父を消したのだ。

子孫を残すという欲求。母が息子を独占する話。

母が主人公なのかもしれない。

物語は動くけれど、意味が分からない。

もっとストーリーがあるべきだ。もっとテーマを鮮明にするべきだ。突然、車に轢かれるのもよく分からない。

カウンセラーの人が気持ちが悪い。

評価 ★★☆☆☆

この映画は、複雑なストーリーと巧妙な構成で、観客を最後まで飽きさせない。

また、俳優たちの演技は素晴らしかった。でも、俳優たちの演技の素晴らしさだけでは、素晴らしい映画は作ることができないことを実感した。

この映画は、SF、ミステリー、心理ドラマが好きな人におすすめです。記憶と真実、そして運命について考えさせられる、深い映画です。

斜に構えた感想

映画『ボーはおそれている』を観てきた。途中眠気が襲ってきた。頑張った結果、全部寝ないで見ることができた。

伏線が何かさえ分からない。伏線が回収されたのかも分からない。あまりにも観客の解釈に頼りすぎている。素直に楽しむことができない作品だ。エンターテイメントとしての作品としては、最低だ。

Filmarks映画情報

3.7

以上


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