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“一隅を照らす”心身の活動


“一隅を照らす”の存在を知る


顧みるに人にサービス業のイロハを教える
仕事に入る迄はもてなしに現場で汗を流し、
読み書きは全く苦手で大嫌いでした。

そして
心が未熟で心から人を愛せず、愛せない理由
も知ろうとせず増して人間の大切な心の要素
など気にも留めず日々感情の赴く侭に刹那な
生き様をして来てしまいました。

唯々目の前にある楽しい仕事接客サービスの
技のレベルUPばかりに力を注いで来ました。

恥ずかしながらその様な生き方を壮年過ぎ迄し
教え子に「思い遣りって何?」と訊ねられるまで
感謝、敬意表現、謙遜などの言葉の使い方は
知っていてもその心に微塵も気掛に掛けずに
生きて来てしまいました。
その体験が後に感謝、敬意、認知などの心の
要素を学ぶ上がこの様な経緯がサービス業の
総ての基礎である「思い遣り」を具体的に理解
するために大変役立ちました。

そして、
その語彙や多種多様の心身の活動を学び知る
ために最初に取組んだのは何気なく目にした
下図の言葉にある仏教の教えです。

自分のことしか考えなかった自己中な私に
とても衝撃だった言葉が仏教を学ぶ最初に
出会った、自己中と真逆な「一隅を照らす
言葉と以下の内容です。

【一灯照隅】一隅を照らすの本質

一隅を照らす「実践3つの柱」

【天台宗一隅を照らす運動】より一部転載

1.生命

私達は人間に生まれたことにまず感謝し、
先祖や両親から受け継がれてきた生命の中
で生かされていることを自覚しましょう。

そして未来に生きる子供達のために、
私達は先祖によって培われた正しい
人間のあり方を伝えて行きましょう。

また、
大自然のあらゆる恩恵に感謝すると
共に、それらの生命の大切さを知り、
新しい命の誕生を心から祝福しましょう。

2.奉仕

普段から何事にも
有り難うございます」と言う素直な感謝
の気持ちと、「お陰さま」「お互いさま」
言う助け合いの心が大切ではないでしょうか。

奉仕は仏教でいう布施の精神を実践する
ことで見返りを求めない償の活動です。

地域はもとより世界中が平和に暮らす
には常に弱者の立場に立って物事を考え、
行動することが大切です。

慈しみと思い遣りの心を家庭内に育み、
出来ることから家族皆で心を合わせて
協力して奉仕活動を行いましょう。

3.共生

(きょうせい)
自然の恵みに感謝しよう「勿体無い」と
一人ひとりが地球を大切にする気持ち。

美味しい空気、清らかな水、大地から
与えられる食物や天然資源この恵みは
私達人間が生きる源です。

これらは決して無尽蔵ではありません。
家庭や職場では、節水や節電などの
省エネルギーを心がけましょう。

また、
増え続けるゴミの問題は深刻な
地球環境の悪化を招いています。

先ず私達が一つひとつの物を大切にし、
家庭内のゴミを少なくすることが大切です。

そして使える物は出来るだけリサイクル
して再利用しましょう。

このような私達の身近な取り組みが
地球に優しい生活の第一歩です。

共に生き、共に生かされるという精神で、
かけがえのない大切な地球を次の世代へ
継承して行きましょう。

この一隅を照らす「実践3つの柱」を常に
心に留め置き、実践することにより、
大自然の恩恵に対しても人や物に対して、
何事に対しても「ありがとう(有難い)」と
言う感謝の気持ちが培われます。

そして周囲に対して感謝と尊敬の心
を以って、自然に触れ接することが
出来るようになるでしょう。

この3つの柱に添った活動は、
忘己利他(己を忘れて他を利する)、
少欲知足の精神に適った行いです。

自分や家族の「一隅を照らす」行いは、
皆の身近なところ(一隅)にあり身近なこと
から始める(照らす)ことが活動の第一歩です。

この小さな行いの積み重ねが周りに良い
影響を及ぼし結局は最終的に回り回って
自分達に還ってくるのです。

詰り、
そうすることは自分の為であり、
引いては将来に向けて我々の子孫の
為の利他行であると言えるでしょう。 

一人ひとりが「一隅を照らす」ことは、
自他の幸せを心から願いつつお互いに
照らし合う心身の運動です。

格差社会“一隅を照らす”活動の拡散

現代の社会生活環境は、
色々な意味で目の前の楽しいことや綺麗な
物事が多すぎて大切な自心に向き合う機会
が少なくなり心の在り方を見失いがちです。

その結果、多方面で多種多様の格差あちら
こちらが生まれその弊害も多く出ています。

その対策として私達は古から日本に伝わる
教えを見直すことが必要ではないでしょうか。

人間の取り分

地球上の生きもの総てはDNAと言う物質
を基本として生きているということです。

詰り、これはあらゆる生物が共通の祖先
から生まれた仲間であることを意味し、
人類だけでなく地球上の総ての生きもの
は広い意味でまさしく仲間なのです。

キリスト教の言葉で
「人はパンのみに生きるにあらず」
と言うのがありますが、
人間生きて行くには食べものが必要です。
食は命を養い、心を養う糧でもあります。

日本では周りに食べ物が溢れているので
実感が湧き難いかもしれませんが、
地球上のあちらこちらにはこの瞬間にも
飢えに苦しむ子供もが大勢います。

以下【天台宗一隅を照らす】より転載
第253世天台座主であった
故・山田恵諦猊下は
「今日まであった10あったパンを
 十人が仲良く食べていたのを、
 パンが出来ないか、
 或は減るかもしれません。
 もし減らずに持たせても十人が
 食べていたのを15人が食べなければ
 ならないことになってきます。
 その時、十のものを15人がどうすれば
 仲良く分けることができるかを
 思案しなければなりません。
 知識は必要ですが、これからは
 思いやりの深い人を作ることが
 大切であります。

 そうすれば十のパンを15人が
 どうすればよいかということを
 喧嘩なしに分ける時代がやって来ます」
 と常々述べられていました。
※以上転載終わり

今の処、日本では食物が大きく不足
していませんが食物を諸外国からの
輸入に依存する現実があります。

今食料輸出国のお陰で輸入できても、
これから先農作物の生産や食べ物の
供給は絶対に大丈夫と言えるでしょうか。

世界を見渡せば、人口増加は続き、
食べる人数が増えるだけでなく、
地球温暖化の影響もあって世界各地で
食物の生産方法や量も変化しています。

ところで、
仏教には五つの基本の戒があり、
それを「五戒」と言います。
その一番目が不殺生戒
(生きものを殺さない)です。

「生きものを殺してはなりませんよ」
と言うことを100%守っているか?
と問われて、
ハイと答えられる人はいないはずです。

それは毎日の食事を見れば解かるように、
私たちが自らの命を保っていけるのは、
様々な命の犠牲のお陰です。
それでは、
なぜ「不殺生戒」というものが
定められているのでしょうか❔

これは、
「生きものを殺してはなりませんよ」
という教えによって、先ず私たちは
他の命を奪っているということに
気づくことと、そして人間の身勝手
を抑制することではないでしょうか。

私たちは日常生活の食事の時、
食前に「いただきます」、
食後に「ごちそうさま」と言います。

これは、日本の行儀作法であり、
料理人や食事を提供下さった方へ
感謝という意味だけではありません。

私達人間は生きて生命を維持する為に
実に色々な生命を奪っています。

大自然の恵みや大勢の人々のお陰に
心から感謝して食べよう。

そして、
牛や豚や鳥や魚の生命を奪い、
私達は食べ生きていられます。
お米や大根やお芋でも命があります。

船上の魚がピチピチ跳ねるのも
苦しいからに違いありません。

どんな生きものも死が苦しみで
あることは私達人間と同じはずです。

このことを確りと認識するために、
「色々な尊い命を頂きそれらの命の分、
 精いっぱい生かせていただきます」と、
反省と感謝の心をもって
「いただきます」「ごちそうさま」と
合掌をするのです。

ついつい自分のものと思いがちな
この生命ですが、実は大自然の総て
の命の営みから恩恵をいただき、
生かさせていただいていることを、
再確認しましょう。

一隅を照らす運動が
生命-あらゆる"命"に感謝しよう」と
実践三つの柱に掲げる大きな目的、
その一つは大自然の恵みによって
生かされていることに感謝し
生命の大切さを自覚すると言うこと。

詰り、生命を大切にする、その生命に
感謝するという素直な気持ちで、
総てのことを考えて行こうと言うこと。

この場合の生命は、
自分自身、家族、友人に始まり、
地球上に暮らす総ての人々、
そして人間だけでなく総ての
生きものの"命"にまで及びます。

地球上の全生物が網の目のような
相互関係で生きている以上、
私達人間の取り分があって、
勝手な生き方はバランスを崩すこと
になることを充分に弁え、個々人が
思いやりの心を持ち、日々の生活を
送ることが大切ではないでしょうか。


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