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『思い遣り』- 人間力の自分軸(3)

『仁と礼』は対人関係構築の源

『仁』の文字は、
人の文字と二人の人間(一人称と二人称) 

即ち、自分と他人、心に住む二つの人格
二人の人と人の間に住む人間と解します。

🟪「礼」を以って「仁」を成す

礼と仁

人間の心には、
煩悩と言われる人の心を迷わせ
悩ませ、苦しみの原因となる
貪、瞋、癡、慢、疑、悪見があります。

例えば、
周りからいい人と思われ「たい」
好かれ「たい」、 愛され「たい」
認められ「たい」、 褒められ「たい」
と言った「たい」と言う我的欲求願望
(=意識)と受動的な意識があります。

この総ては
期待・欲求・願望・要求・欲望
と言った感情を含む自己欲(=煩悩)に
因るのではないか?と考えられます。

このような我欲(意識・思考)を持たないよう
心掛け、自発的で能動的に好きになる受容、
許す、愛する、認める、褒めるなどの行為。
自らが自他の良いところ(長所・個性)を積極的
に見付け出し、心と感情を備え持つ人と認知し、
それを個々人独自の感性を言葉や態度を以って
表現活動することで豊かな人間関係を育めます。

積極的に『たい』のある熟語
一体・連帯・安泰・態度・状態・接待
 応対・大切・連隊・忍耐・歓待・土台

の文言を普段から意識し使うようにすると、
良い人間関係を築け色々な道が広がります。

そして、論語にある【仁・義・礼・智・信】の
文言の語彙を理解認識しておくと良いでしょう。

ではまず、
「仁」「礼」について記してみます。
私達の住む社会は 人間関係の『礎』
とも言える「認める」こと即ち認知活動
「承認・信認」を表す「感謝」や『礼』の
心の表現伝達が疎かになりつつあると
感じられることを様々な処で見聞きします。

例えば、
何らかの形で他人を動かしお世話に成ったり、
ビジネスや普段の日常生活において
見知らぬ他人との御縁や繋がりに
何らかの御尽力を頂いた人に対し、
人として自利や感情を抜きにして示し、
伝えなければならない心身の活動が
「感謝」でありそれは『礼』を以って成す
心身の活動のことであると思われます。

或いは、ビジネスや私生活で挨拶をはたり
SNS・デジタルメールを送ったりした時、
返事ひとつで発信した人の活動の仕方が
決まったりするのを知ってか知らずか
無視して返事もしない、メールもKS(既読スルー)
したり、無視したり何の返事もしない。
その結果として自分も相手もネガティブな
思いをし折角築いた人間関係が途切れたり、
ビジネスの成果や継続に繋がり得ない。

こう言うことが現代社会で平気で無意識に
行われていることを体験し見聞きします。

そこで、人として大切な『仁』相手への思いやり、
『仁』があり生かされる「礼」(≒敬意)の表現、
有難い、お陰様と言う『感謝の心』の解説と
表現伝達について考えてみます。

💞「感謝」と💖「愛」の対義語

(この言葉を意識すると人間力も上がります)

感謝と愛の対義語(反対語)

感謝と愛、共に、認知活動(認める心)
=承認欲求満足の活動の有無がその礎です。

例えば、
会話時に目上の方や上司との会話で、
聞く人が腕組みや足組みをしていたり、
目上の方への承諾表現を普段語の
「了解しました」と返事をしたり
※正しい敬語表現
承知しました・畏まりました」
目上の人や何らかの教えを受ける人に
自分中心の「参考にします」と平気で言ったり
喪中なのに「新年おめでとうございます」
と言った新年の挨拶言葉を平気で使ったり、
ビジネス上の金銭の授受の有無に関わらず、
教えて貰うことで終わり、その後の経過や
感想などを報告や連絡をしなかったり、
節度の無いタメ語や無礼な態度をする、
こんな日本人らしからぬ無神経言動態度を
平気でする社会人が増えていると思われます。

即ち、
礼を利己的に捉えて人としての『礼』
を尽くさずとも支障なく生きて行ける
と安易に考える人が多いと思います。
言い換えると『礼の効果』の理解認識不足。

誠に残念ながら、
現実の生活で国や地方の行政機関での行為を
取りざたされているように 自己顕示、
利己、保身、自己都合と言ったことが
大手を振ってまかり通る残念な社会環境
になりつつあるのではないか?と思います。

このことを少なくするには次のような
人称別ステージで思考行動する癖を付ける
ことが必要であるのではないか、と考えます。

人称別の取組み意識

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