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2020東京オリンピックの【レガシー】                  ~日本人の「礼と義」~


見直そう私達の心身の活動「礼と義」

日本人の心

日本人として東京2020オリンピックで活躍した
内外のアスリート達から改めて礼や義の心
大切かをテレビやI.T.を通じて思い知らされました。
顧みるにこのようなのことは東京2020オリンピック
見えないバーチャルな【レガシー】であると受止めます。

さて、「義」と言えば、戦国武将「上杉謙信」
「直江兼続」と言った人達が思い浮かびます。
謙信は、家臣の直江兼続に『天下を取ることなどは
小事に過ぎず、それよりも「義」を貫いて生きること
の方が大事』と話しことは知られています。

過去、日本では弱者を平気で切り捨てたりして
「勝ち組」とか「負け組」とか騒がれた時代もありました。

また、支え合うと言う「人」の文字の心を忘れ
人が人を「勝った・負けた」などと平気で言え、
自分だけが満足し、自分だけか幸せで良い、
なんて言う社会は何処か違和感を覚えます。

勝ち負けに関わらず、先ず人を思い遣る心、
正しいことをして堂々と胸を張って生きる、
それこそが本当の勝者、幸福者だと思います


過去の体験からもこのような生き方をしてこそ、
人は生きている幸せを感じることができると信じます。

私は、自分の情欲や他者の権力や圧力に負け、
落ち込み、騙され、裏切られたこともあります。
現代社会は、弱者が更に追い詰められ、
それに耐えきれず自ら命を絶つ人もいます。

今迄の体験から思うことですが、
一般人は、少し有名になったり、周りの人から
ちやほやされたりすると嬉しさあまり自利的になり、
感謝を忘れ、驕りが生まれ「礼と義」を欠かし兼ねません。

【礼節と義】

大人と子供の違いは「礼節」「義」が何かを知り、
身に着ついているか、否かです。
己を謙遜し、相手を尊び敬い、受容れ、
自らの行いを丁寧にすることを「」と言います。

この「礼」を其の場、其の時に即して、
状況に応じて(Т.P.О)自らの行動が
出来るように弁える事を「節」と言います。

この「礼節」があってこそ、
初めて一人前の社会人と言えます。
また、一人の人として「礼」を表す際、
忘れてはならないことに「義」≒義理があります。

この「」は、
義理・恩義・道義・大義・義務など
と言われて正しい行いを守ることで、
人間の欲望の「利」と対立する概念です。

また、「」とは「礼儀作法」のこと。
今流に言うと「礼儀」は「マナーとエチケット」。
「作法」は「ルール」と言えるでしょう。

【礼】

『礼を尽くすに素直にあれ』 
仁によって育まれた気持ちを礼として形とする。
仁のみであってはいけませんし、
仁なくして礼はあり得ないという事です。
即ち「」は「」を具体的な行動として表し、
元々は宗教儀礼でのタブーや
伝統的な習慣・制度を意味します。
後に、人間社会の上下関係で守るべきことを
意味するようになったと言われます。

※礼とは、様々な行事の中で規定されている
 動作や言行、服装や道具などの総称。
 春秋戦国時代、儒家によって観念的な意味が付与され、
 人間関係を円滑にすすめ社会秩序を
 維持するための道徳的な規範をも意味します。
 
この「礼に始まり礼に終わる」は、武道の基本とされています。

論語[顔淵第十二]

礼に非れば、視ること勿れ、
※礼にかなっていなければ、それを見ようとするな。

礼に非れば、聴くこと勿れ、
※礼にかなっていなければ、そんなものに耳を貸すな。

礼に非れば、言うこと勿れ、
※礼にかなっていなければ、そんなことに口を出すな。

礼に非れば、動くこと勿れ。  
※礼にかなっていなければ、そんなことで行動するな。

(原文の意味・解釈)
門弟の「顔淵」が「仁」について訊ねた時、
孔子は「礼」のことに触れ「克己復礼」が
出来るものが仁者、と答えました。
つまり、我欲などの私心に打ち勝ち、
人間生活の規範である「礼儀作法」を
忠実に身につけている者なら
仁者といっても良いという意味です。

【義】 

義は、儒教の主要な思想、
五常(仁・義・礼・智・信)の一つです。

正しい行いを守ることで、人間の欲望を
追求する「利」と対立する概念です。
これは、武士道での中心であり、且つ厳格な
徳目が「義の精神」と言われています。

この「義」は、見返りや私利私欲(打算や損得)のない
人としての正しい道、即ち正義を指すもので、
「義」から派生した言葉に大義・道義・節義・
忠義・仁義・信義・恩義・律義、義理・義務・
義憤・義侠・義士・義民・義挙などがあります。

武士と言われる古の人は、
この「義」を武士道精神の中心に据え、
これを踏み外した者は卑怯者として
糾弾の対象となったと言われています。

この「」には「正しい行い」と同時に
打算や損得から離れた」との意味が含まれ、
人間の根源的なエネルギーとされる欲望を
制御しなければ、成し得ないどの意があります。

現代人の多くが行動判断の基準としている
合理的精神は、突き詰めて言えば
「どちらが得か」との相対的なものです。

それに対し武士道の「義」は、
普遍的な「良心の掟」に基づく
絶対的価値観を基本とするいわば
不合理の精神であり「義」を遂行するには、
確りとした自立心を養わなければならないとされました。

新渡戸稲造はその著『武士道』で、
武士道の基本は「フェア・プレイ」の精神と言っている。
フェア・プレイの根源とは「義を貫く」
と言うことであり、武士は例え戦いに勝っても、
不正な行為をして勝った者は賞賛されませんでした。

📚【義理】辞書検索
(1)物事の正しい道筋。人間の踏み行うべき正しい道。道理。
(2)対人関係や社会関係の中で、守るべき道理として意識されたもの。道義。
(3)他人との交際上やむを得ずしなければならないこと。
(4)意味。わけ。
(5)直接血縁関係のない者の間にある、血縁同様の関係。

古より
『義理と人情とやせ我慢』
という諺があります。
義理と言うのは実社会における規範性、
法規制、規律性の要素が強いものです。

一般には日本の社会において、社交上、
礼儀を以て旨とする行動規範を指したものです。
古より我国では冠婚葬祭などの場に於いて
義理を欠く事の無い様、各地に合わせ礼節に基づく
義理の行為が執り行われる事が多いようです。

これは無用なトラブルを極力避ける手法でもあり、
義理をスキルとして昇華する意味を持ちます。
一方、本心はやりたくないけれども仕方なく
行わざるを得ない事柄を意味する言葉でもあります。

今風?言う義理チョコなどの語は、
こうしたニュアンスが強いと考えれます。

また、血縁以外の者が婚姻(縁組)などの
儀式を経て、血縁と同等の関係を結ぶこと。
配偶者の父母を義父・義母(義理の父母)
と呼ぶなどの用例が、これに当たります。

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