見出し画像

情報過多社会の選択判断力


選択判断力生き抜く知恵

常識の判断基準はどうして身に付けるの❓

情報過多社会環境の下で
人として生抜く心(知恵)と活動

💕弁えて置きたい心の知識とその活動(知恵)

日本の社会生活環境は二十世紀に入る前まで、
仲間(ご近所さん)意識が高く町内会や祭りなど
コミュニティの場や集会なども多くありました。

また、親の子供に対する躾や礼儀、道徳観念
と言うことも社会全体にあったように思えます。

二十一世紀に入り今の日本の社会全体が、
良くも悪しくも個中心の社会になりました。

人は人、自分は自分という意識が広まり、
独でも楽しめるツール情報豊かなスマホ
が個々人に普及し数知れない知識が人の
心を豊かにしてくれています。

同時に様々な「心の闇」の原因・起因となり、
いじめやD.V、セクハラやパワハラを始め
とした様々なハラスメント、孤立・自殺、
引き籠り(≒自閉症)・鬱病・精神異常など、
今迄見られない残念な凶悪な事件や殺人、
と言ったことを起こす誘因・動因・要素
になっていると受止めています。

一部の国家公務員のコンプライアンス意識
の欠如した言行態度、運営管理者、組織長
の自己保身の言行態度は、人間の心の礎で
言える人の道を見失った結果かもしれません。

10数年前、
接客マナーは心の礎を書き始めたころ、
信頼や感謝、誠実の具体的活動について
書物やネットで探しました。

結果は、
感謝は物語としては書かれてあり、
また信頼は解説が具体性に乏しく
結局、探していた内容を見付ける
ことは出来せませんでした。

※現在も自分に合った具体的な心や
 活動について書かれた項目を探し
 出すのは難しいと感じています。

でも、
何とかして具体的な感謝や信頼事例
を知りたいと考え先人や孔子・孟子
偉人と言われる人々の残した書物や
日本の文化(もてなし・歳時など)に
ついての本などから、学びや内容を
紐解くヒントを得るられました。

この学習中、
この元を何も知らないで、仕事中の
作法(マナー)、挨拶(礼躾)と言葉使い、
義理義務、伝承事などと言う言行態度
の殆どが思い当たることばかりでした。

自分のしていたあの形ばかりの言行の
心(元)は実は感謝や信頼の活動なのだ
と気づきました。

(備考)
 常識については個人により大きな
 差がありますので、ここでは人間
 =「人として」と捉え記しました。

以下はこれをまとめ個々人に適した
内容を学びながら選び、自心の判断
基準や活動に生かるテキスト(説明文)
と習得ドリルです。

【📖テキスト&📄ドリルの項目】

 ※学び知りたい項目を選んで下さい。

1. 自心を知り向き合う活動
2. 認める心とその活動
3. 立場転換とその活動
4. 感謝の心とその活動
5. 挨拶の心とその活動

6. 傾聴の心とその活動
7. 礼儀礼節とその活動
8. 信頼とその活動
9. 誠実さの心とその活動
10. 謙虚さと謙遜とその活動

11. 思いやりと優しさとその活動
12. 和の心とその活動
13. 大切な人への心とその活動
14. 人間力を学ぶ心とその活動
15. 他人の心を観察察知する活動
(下図はドリルの一部)

認知のドリルの一部

💖【今でも心に残る受講者の声
他の方から決して聞けない
 体験談と気付きの内容でした」

※この後、母の介護で家を離れらず
 活動出来ませんでした。

(追記)
このようなことを書いている私も
自分と向き合えず壮年期になる迄
目先の楽しみや我欲にとらわれて
人の心の大切さに気付かないまま
過ごしました。

この気付きや知恵を僅かでも今後
の少子高齢化社会に生かせたらと
思い、多大な心労をかけ、お世話
になった方へ細やかな恩返しです。

人の心を動かすのは自分

正しい知識で判断する!

『正しい判断』
日本の民主主義の社会制度は、人により
『正しいと考え、思うことは異なる』
と言うことを大前提にして作られて、
実生活の中で生かされています。

社会人が弁えて置くべきと言われる、
当たり前の知識や人として成すべき
ことを『正しいこと』だと話すと、
年長者は、「押し付けがましい」とか、
「今の時代に合わないよ」と言われる
ことも度々ありました。

これは、『正しい』という判断基準も
年齢差などによって感性が大きく変化し、
時代の進化と共に、大きく様変わりして
いると言うことの表れとも考えられます。

しかし、
本当にそう言った風に簡単に妥協して
しまって良いのでしょうか?

私見ですが、
どんなに時代が移り変わろうとも、
人の『』は不変だと考えます。

日本国内では、先年の震災後、
「自分の為より、誰かの為に」と言う
思い遣る利他の心、人と人(心と心)
との繋がり方、婚活や様々な省エネ
(エコ)への取組にも表れているように、
『正しい』(≒当たり前)と思う心(意識)
の持ち方や選択判断基準に大きな変化
が見られるようになりましたま。

これは、人の心の原点に立ち返ること
に人々が気付き今迄自分が人間として
「正しい」(≒当たり前)ことと受止めて
いたこと、選択・判断してきたことを
見直した証でもあると思います。

即ち、主観を捨て現実を直視し、
公平に物事を判断することにより
人として「正しい」否かの判断と言う
ことが導かれるのです

 〇正しい{思考}と{判断}は

 1.人として何が正しいのかを判断する
  (道徳・倫理)
 2.原理原則を弁え、正論を導き出す
 3.公正、公平に判断する
 4.無私に徹する
  (好き嫌いの感情を自制する)
 5.利他、誠実、正義、勇気、努力、
  博愛と言ったことを認識する
 6.適正な判断のタイミングの認識する
  (ТPО)
 7.強い意志力を備え持つ
 8.悲観も楽観もせずに客観する
 9.感情論を捨て決める
 10.論理を元、正確な状況判断と分析する


※自分はいつも判断を間違えてしまうと
 言う人は謙虚に自らの持つ弱い判断力
 では仕事に必要とされる判断が充分に
 出来ないと自覚「正しく判断」の出来る
人に謙虚に助けを求めサポートして貰う
と言う心身の活動・気付きの認識も大切
な意識と言えます。

ここで、
温故知新の心を以って「正しい」について、
改めて古より日本にある仏教の教えから
考えてみたいと思います。

お釈迦様が最初の説法の時に「八正道」=
八種の実践徳目(正道)を解き明かしました。

八正道

 1)正見=正しい見解・正しい見方をする。
 2)正思=正しい思惟であり、
   正しく考え正しい心構えを保つ。
   ※思惟(シイ):考えること。思考。
 3)正語=正しき言葉を使うこと。
 4)正業=正しき行為(心身の活動)。
 5)正命=正しき生活。
 6)正精進(正勤)=正しき努力と勇気。
 7)正念=正しき憶念(オクネン)。
 ※憶念:深く思い、絶えず忘れないこと。
  また、その思い、執念。
 8)正定=正しき禅定であり、
  静慮にして精神を統一すること。

 この八正道は、古より日本に伝わっていて
 現在の社会環境でも通じる仏教の教えです。

この教えは、
人としての意識や物事・事象の『正しい』を
理解認識する為にも個人が学び知り修得する
必要がある教えだと考えます。

そしてこれは、
正しい判断力を育む上でも無くてはならない
心の基礎体力≒EQに結びつくと考えます。

物事や事象、人の態度、意識などを「正しい」
と受止め考える判断基準は、社会で存在する
定められた様々なルールや法律(規律)以外は、
人夫々により差が生じ、異なるということを
予め弁えておくべきであると思います。

あくまでも私見ですが、
それは個々人が持つ道理に適うのか
是非、物事の原理原則の認識の有無、
夫々の人の育ち生活環境の経緯経験、
体験の多少、年齢、立場(社会生活上)、
教養(学歴含)、精神状態、コンプライアンスや
モラルの基準、心の成長の度合などと
言う意識が基となると考えます。

例えば、
正しい判断をせず間違った判断をした時は、
状況を見る視野が狭いか偏った見方をして
いる場合が多く物事の見方が偏り公平さに
欠ける場合が多く見受けられます。

そのような時は、
主観的にならずに他人称客観的視点に立って
「公平に判断する」ことです。
※八正道は、ととても奥が深いです。

 📚辞書検索【正しい】

三省堂 大辞林より
 
物事のあるべき姿を考え、
それに合致している様をいう。
(1)道徳・倫理・法律などに適っている。
 よこしまでない。道理に適っている
(2)真理・事実に合致している。誤りがない。
(3)標準・規準・規範・儀礼などに合致している。
(4)筋道が通っている。筋がはっきり辿れる。
(5)最も目的に適ったやり方である。
 一番効果のある方法である。
6)ゆがんだり乱れたりしていない。
 恰好がきちんと整っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?