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今日は終戦記念日


78回目終戦記念日

古からの日本の行事お盆と共に、
多くの先祖や英霊に支えられ、
豊かな自然環境や沢山の物に拠り
生かされ今こうして生きていられる
ことに心からの感謝・恩謝をする
78回目終戦記念日の今日。

現在の私達にとって 終戦記念日は
とても特別な日に思えてなりません

それは、
温暖化が原因か❓と推測れる
 線状降水帯による未曾有な自然災害
▶ウクライナ侵略戦争での核の脅威
▶アジア圏内での世情不安と言う中で

今日の終戦記念日を迎えていること。

和の国、日本人の倫理道徳的判断力が
問われていると思えてなりません。

行政機関を始め、一部の警察官、教員の
コンプライアンス違反行為、モラル欠如
様々な立場の人の利己的な心無い発言行為、
一部の若者中心に見られる自制心の欠落、
自己満足のため❓モラル欠如やマナー違反
などが大都市はじめ多くの場所で見られる
現在の社会生活環境です。

2020東京オリンピックで全世界から
認められた「おもてなし」を体現する
日本人の心身の活動、インバウンドと
コロナ渦脱出による観光客の増加の世情
様々な日本独自の文化とその環境があります。

まだまだ、
世界に誇れるモノ造りや職人技、カワイイ、
萌え、コスプレ、マンガ文化と言う唯一無二
の芸術文化、アニメゲームなどもあります。

私達国民一人ひとりが世界中から注目される
唯一無二の文化を持つと言うことの自覚と
多くの人に支えられ生かされていると言う
意識を常に念頭に置き生きることであると
言う自覚とプライドは大切です。

昨今の自然災害や様々な事象を国難と捉え、
危機管理の大切さを認識する時が来ています。

即ち、和のこころ
【国民全員が調和の心で一つに繋がり、
 互いに安心感を与え合う活動】
が何よりも大切であると思います。

即ち、内に向かい
東日本大震災後に全国的に広がった
自分のためより、誰かのために
の心の基、コロナ渦で従事者が極端に
減少した私達の日常生活に欠かせない
飲食サービス業従事者の皆さんの生活を
回復し守るためにも和の心で一つになる
という言う明確な意志を持ち言動することです。

私たちが今出来ることは、
国民ひとり一人が日本人の誇りを
自覚し心を一つにし、互いに個々人
を守り合う安心安全意識と活動で
行動し、日々の社会生活すること
ではないでしょうか。

昭和天皇とダクラスマッカーサー

今日の終戦記念日に当り改めて私達国民は
支えるべき象徴天皇が実は支えて下さった
下の事実があったことを忘れない。

昭和20年8月15日、下記の玉音放送により、
日本の敗戦が国民に知らされました。

この時、昭和天皇が心を痛めていたのは、
自分の臣下であった者が戦争犯罪人として
裁かれることでした。

「自分が一人引き受けて退位でもして、
 収めるわけにはいかないだろうか」。
昭和天皇は、
木戸内大臣にそう洩らされたと言います。

8月30日、連合国軍最高司令官マッカーサー
が厚木に到着、その3日後の9月2日、
東京湾に入った戦艦ミズーリ艦上において、
降伏調印式が行なわれました。

マッカーサーは以後、政策立案は連合国
総司令部GHQが行なうと日本政府に通告。

GHQは本部を皇居の隣に移すと、
9月11日、事前通告なしに東條英機元首相を
はじめとする37人を戦争犯罪人として逮捕、
拘留しました。

前日、アメリカ議会では、昭和天皇を戦犯
として裁く決議案が提出されています。

その少し後のこと、新たに外相となった
吉田茂が昭和天皇に招かれて宮中に赴き、
マッカーサーに会いたいという意向を告げます。

マッカーサーは自分が天皇にお目にかかるのは
よいことだと思うが天皇の自尊心を傷つけたり、
困らせることがあってはならないとして、
アメリカ大使公邸での会見を告げました。

9月27日午前10時、
シルクハットにモーニングの正装の昭和天皇
の車がアメリカ大使公邸の門を潜りました。

勿論、これはただの会見ではありません。

側近たちは天皇のお命を心配し、
天皇ご自身は自分に日本人と皇族の運命が
かかっていることを承知されていました。

公邸玄関にマッカーサーの姿はなく、
2人の副官が出迎えます。
マッカーサーはレセプションルームで
天皇を出迎え、奥の部屋に案内しました。
会見が始まる前、写真撮影があり、
その中の一枚が教科書にも載っています。

マッカーサーと昭和天皇


写真撮影後、2人の会見が始まりました。
そこでどんな会話が交わされたのか、
公式の記録はありませんがマッカーサー
は回顧録に次のように記します。

「天皇の話はこうだった。
『私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が
政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動
に対して、責任を負うべき唯一人の者です。
あなたが代表する連合国の裁定に、
私自身を委ねるためにここに来ました』
大きな感動が私をゆさぶった。

死をともなう責任、それも私の知る限り、
明らかに天皇に帰すべきでない責任を、
進んで引き受けようとする態度に私は
激しい感動をおぼえた。

私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間
としても日本で最高の紳士であると思った」
(『マッカーサー回顧録』1963年)

また、この時、同行していた通訳がまとめた
天皇の発言のメモを、翌日、藤田侍従長が
目を通しています。
藤田は回想録にこう記します。
「…陛下は、次の意味のことをマッカーサー
 元帥に伝えられている。
『敗戦に至った戦争の、色々なな責任が
 追求されているが、責任はすべて私にある。
 文武百官は、私の任命する所だから、
 彼らには責任がない。
 私の一身はどうなろうと構わない。
 私はあなたにお委せする。
 この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、
 連合国の援助をお願いしたい』

一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝に
なるとこの天真の流露は、マッカーサー元帥
を強く感動させたようだ。

『かつて、戦い破れた国の元首で、
 このような言葉を述べられたことは、
 世界の歴史にも前例のないことと思う。
 私は陛下に感謝申したい。
 占領軍の進駐が事なく終わったのも、
 日本軍の復員が順調に進行しているのも、
 これすべて陛下のお力添えである。
 これからの占領政策の遂行にも、
 陛下のお力を乞わなければならぬことは多い。
 どうか、よろしくお願い致したい』」
とマッカーサーは言った
(藤田尚徳『侍従長の回想』昭和36年)。

会見は当初15分の予定でしたが35分にも及び、
会見終了後、マッカーサーの天皇に対する
態度は一変していました。

感動した彼は予定を変えて、
昭和天皇を玄関にまで出て見送るのです。
マッカーサーの最大の好意の表われでした。

人を動かすものとは何か、昭和天皇のお姿が
すべてを語っておられます。
日本がまな板の上に乗せられたあの時に、
昭和天皇がいらっしゃったことは、
日本人にとってどれほど大きな意味があったか、
そんな温かな気持ちになります。

🎌昭和天皇の玉音放送

(ハフポスト日本版編集部の記事より転載)

玉音放送のお言葉-内容抜粋

『激情にかられてみだりに問題を起こしたり、
 同胞が互いに相手をけなし、落とし入れたりして
 時局を混乱させ、そのために人間の行うべき大道を
 誤って世界から信義を失うようなことがあれば、
 それは私が最も戒めたい。
 道義心を大切にし、志を強固にして
 わが国の美点を発揮して世界の進歩に
 遅れないよう努力しなければならない』

耐えがたいことを耐えて、忍び難いことも忍んで、
未来の平和を実現するために道を拓いていきたい。
私は今ここに、
国体(天皇を中心とする秩序)を護持し得て、
忠良な国民の真心を信じ、常に国民とともにある。

もし激情にかられて、みだりに問題を起こしたり、
同胞が互いに相手をけなし、おとしいれたりして
時局を混乱させ、 そのために人間の行うべき大道を
誤って世界から信義を失うようなこと があれば、
それは私が最も戒めたいことだ。

全国民が家族のように仲良く分かち合い、
長く子孫に受け継ぎ、 わが国が不滅であることを固く信じ、
国の再建と繁栄への任務は重く、
その道のりは遠いことを心に刻み、
持てる力の全てを未来の建設のために注ごう。
道義心を大切にし、志を強固にしてわが国の
美点を発揮して 世界の進歩に遅れないよう
努力しなければならない。

(以上転載終)

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