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【漫画家インタビュー】根本敬さん (再掲)

はじめに

当インタビュー記事は2009年11月に特殊漫画家 根本敬さんにお話を伺ったものです。

私は子供の頃から漫画が大好きでした。
やがて思春期になり『ガロ系』の漫画に出会い、シビれました。それからは『ガロ系』の漫画や書籍など、好んで沢山読みました。
色々読んでいると、ガロ系の作家さんがよく「あのころは〜 」とお話される事に私は引っ掛かりました。

『あのころ』って、いつだろう?

そこで、『あのころ』について特殊漫画家の根本敬さんに直接お伺いしたのが、このインタビューです。

語られるお話は終始興味深く
インタビュー記事というより
<インタビュー記録>のような内容です。

最後まで読んで頂ければ幸いです。

※以下、過去にWebサイト「マックスマガジン」で掲載されていたインタビュー記事の<再掲>となります。

「あのころ」と「いま」

<前述>

青林工藝舎で執筆されておられる先生方の会話に
よく『あのころ』という言葉が出てくるんですね。

私は、その『あのころ』というのがどうも引っ掛かりました。というのは、けっこう年齢が離れいるのに、青林工藝舎の作家さん同士では『あのころ』という言葉で分かち合えているんです。

青林工藝舎には世間一般とは違う
独特の『あのころ』があるのだろうか?

その疑問を『あのころ』の当事者である
特殊漫画家 根本敬さんにお尋ねしたところ
 
―「あのころ」は時系列取っ払えば今まさにこうメールを打ってる今も「あのころ」なぐらいガロは大きなバックグラウンドです。―
 
というお返事が!

これはもっと詳しくお聞きしたい.…!!
ということで根本さんにお伺いして参りました。


1、 コロポックル時代の人達


―根本さんにとって「あのころ」というのはどういう時代だったのですか?
 
要するに、北海道の山奥で蓮の葉の上とか下でコロポックル達が戯れていくみたいな。
それを都会にいながら、大きな子供達が好き勝手やってるっていう・・・ような。
世の中の経済や景気がどうのこうのとかそういうのは関係なしに、
本当にコロポックルが山奥の独立した所で自分達が好きなように歌ったり踊ったり。
あの頃の良い時代を「コロポックルの時代」とも呼ぶんだよ。(笑)
 
―なるほど、コロポックルの時代ですか。
 
何かそういう側面があってさ。
実際に社会と係わるのは、漫画とかを発売・・・
とにかく、そうしてギャラや印税とか貰うんだけど。
でも、そういうのは
「いくら入る?」とかは全然考えないで
「勝手に入ってきた」って感じの世界だった。
・・・でも、これを他の人達に言っても通じないんだよね。
 
―通じないというのは?
 
だから、理屈で理解する部分と・・・もう1つね。
さっきコロポックルって例えた時に
「あっ!」って感覚的に何か分かるみたいな。
そういうのが両方ないと、こういう話も分かってもらえないと思うんだよ。
だって理屈だけで考える人間ってどうしてもね。
IT産業だとかどうのこうの言ってきて、世の中の産業の構造の部分や時代の変化の話に持っていって。
そういう話っておもしろい話って訳でもないからね、コレが。(笑)
それは側面の知識っていうかさ?
時代の切り替わりを説明する上で必要かもしれないけど、それが中心になっちゃうと面白くないよね。コロポックルの世界も知らないで、蓮の葉を刈りに来られても。
 
―その「コロポックルの時代」というのは漫画界全体がそういう時代だったんですか?または、ガロ(※1)だけの独特の・・・?
 
大学生など比較的高い年齢層の読者に支持され、漫画界の異才をあまた輩出した。
それは「何故、ギャラが出ない出版社に皆あえて漫画を載せたか?」ってことだよね。
 
―その辺りの事をよく聞くんですが、本当に全くギャラが出なかったんですか?
 
一時期出たこともあったらしいよ、70年代の最初の頃とか。
でもギャラが出ない事が当たり前になってからは出てない。
但し「ギャラが出ない」ってことで、後ろめたさもあるから作家を抱え込むことは全く無かった。ギャラを払うところは、良い新人がいたら自分達のところで抱え込もうとするんだよ。だけどガロはどんなに自分のところで人気のある作家でも、他のギャラの出る出版社から仕事が来れば誰でもさ(泉昌之とか「『夜行』見ました!」って電話があると)すぐに連絡先を教えちゃうの。
「どうぞ使って下さい」って。そのせいで自分のところにあんまり描けなくなっても。
 
―以前に手塚さん(※2)から聞いたんですけど「ギャラは出ないけど、その分修行をしたと思って他のところにどんどん旅立っていって欲しい」って。
 
実際そうだね。
オレがデビューした同世代のみうらさんとか泉昌之とか、
また蛭子さんとかにしてもさ、今は皆何をやってるか分からない。
実際の現金収入は皆それぞれだけど「自称:漫画家」でさ、
とりあえずバイトとかしないで一応こういうメディアの世界でどうにか残ってる。それは「どんな仕事も断らなかった」ってのもあるよね。
 
―漫画だけにこだわらないで?
 
それを「オレは漫画家だから・・・」とかプライドを持ってたり
あるいは、器用に一般誌でも通用する漫画家だったりとかすると
結局5・6年はやれても漫画の人気がなくなると・・・「漫画」しか他にないからね(笑)
それで消えたって人の方が多いんじゃないかな?
最初から「はい、何でもやります」っていう何でも屋姿勢の人達の方が結局は残ってるよ。
漫画描いてなくても一応「漫画家」としてさ。
 
―じゃあ、色んな事をやった人の方が生き残ると?
 
そうそう。でも、色んな事をやったって事だけじゃない。
漫画自体を描くことは最初の6・7年くらいしか与えられないと思うけど
一応、自称:漫画家としてのそれぞれ代表作ってのがあるんだよ。
だから、漫画家としての最初の5・6年の頃に必ず「今でも読まれているような漫画」というものを残してる人っていうのも条件だね。
 

※1ガロ:『月刊漫画ガロ』は、1964年から2002年頃まで青林堂が刊行していか漫画雑誌。
 
※2手塚さん:手塚能理子、漫画雑誌『アックス』編集長、青林工藝舎・社長。
      
 

2、 ガロという雑誌


 
―根本さんは昔から漫画をよく読んでたんですか?
 
俺が小学生の頃の男性向け週刊誌なんて数える程でさ、お金持ちのお坊ちゃんだったら毎月全部買って貰えたんだよ。だからそいつの家に行けば全部読めたの。
中学生くらいの頃から漫画もどんどん増えてきたんだけどさ、その中でも異質な存在として『ガロ』があったんだよね。
 
―ガロにハマっていったのはいつ頃ですか?
 
だいたい中学生の後半から高校生の直前になると、他の漫画なんてバカバカしいからってガロしか読まなくなる。
そこに対抗する形でメジャー路線っていうか柔らかい線で描く人たちが載ってる『COM』(※3)が出てきて、ガロあるいはCOMかっていう「ガロ派」か「COM派」ね。
そのどっちかしか読まなくなる人達が出てくる訳で、そのどっちかの読者から作家になって参入していくっていう人達が出てくる。
 
―ガロとCOMっていうのは他の雑誌と何が違ったんですかね?
 
他と違ったのは音楽とかデザインとか、何か他の業界の人達も係わってたんだよね。
だから、単に周りの奴等は「少年チャンピオン」を読んで、ビートルズを聴いたり吉田拓郎を聴いたりというのを別個にやってるんだよ。
でもガロとかCOMっていうのは
『読む』ってことが、同時にローリングストーンズを聞いたり遠藤賢司を聴いたり泉谷しげるを聴いたり、そういうのと繋がってるわけだよ。
 
―それは音楽の特集があったりという事ですか?
 
特集があったっていうより、例えば紙面にも「読者のコーナー」に泉谷しげるとかそういう人達が漫画を描いて投稿してたりしてね。
フォークのイベントでも、皆がガロのことを言ったりするんだよ。
そういったカウンターカルチャーの人達が凄く支持をしていた。
他の商業誌は単なる漫画本で、漫画本の中にお金を払ってゲストとしてその人のグラビアページとかインタビューとかが載るってことはあったかもしれないけど
ガロの場合はもうちょっと何か・・・
夜のライブハウスに出るようなトコロから直接あった訳で。
 
―雑誌とアーティスト自体と密接な関係があったんですね。
 
だから、辿っていけば今のロックとかフォークとかの系譜の中に
漫画雑誌であるにも係わらず、どっかで祖先として『ガロ』のDNAが入いるっていう(笑)
 

―中学校の頃にロックに出会って、もうロックしか聴かなくなるような衝撃がガロにも?
 
そうだね。でも、ガロはいきなりは入れないからね。
最初は「何だ!?」って思うんだよ。(笑)
だから、結構DNA的には深いほうより刻く部分であって
そういう意味合いも含めてあるよね、「ノーギャラでもいいや」って。
でも、その中でもガロとCOMの違いっていうのは・・・長井勝一(※4)
っていうね。
この話になっちゃうから。
 
 
 
 
※3 COM:「まんがエリートのためのまんが専門誌」がキャッチフレーズで1967年から1973年まで虫プロ商事から発刊された漫画雑誌。
 
 
 
※4 長井勝一:青林堂創業者(初代社長、会長)、『月刊漫画ガロ』初代編集長。白土三平や水木しげるといった有名作家から、つげ義春や花輪和一といった異才を輩出していった名物編集長。
 

3、 長井勝一という人物


 
―やっぱり長井勝一さんの存在は大きかったんですか?
 
木造モルタルの材木屋の2階のね。
もの凄く狭く急な階段で・・・何人か落ちて死んでんじゃないかな?と思いきや一人も死んでない、慎重になるのかな?多分・・・。
で、全てはそこで長井勝一が座っていたあの磁場みたいなところだよね。
やっぱり、長井さんっていうのが何でもないようで亡くなって初めてもの凄い稀有なカリスマ性があったんだなって(笑)「あ、この人がガロだったんだ」って。
 
―その当時の空気感っていうのが、僕たちの世代は昔の単行本からの想像でしか分かりませんでして・・・
 
この人が「ガロ」なんだよ、一日中何もしないで。(笑)
外見ながらボーっとしてて、ずーと歴史小説か何か読んでてさ。
昼飯食べてコーヒーとか飲んでボーってしてそろそろ、5時くらいになると「おい、帰るぞ」なって言ってさ。
で、その帰ろうかなってときに原稿を持っていくと「じゃあ預かっとく」って通るん確立が高いらしいんだよね、後から皆の話を照合すると。(笑)
雑誌に穴が空いたときに「こないだ預かったの使っとけ」って。
 
―結構デタラメな人なんですか?
 
長井さんは遅くても17時には帰って若いネーちゃんと飲みに行きたいっていう。
漫画より、お○んこの方が好きは人なんだよ。なめるだけでもいいらしい・・・って噂だよ。あくまでも(笑)
(実際は奥さん一筋のカタイ人だったかもしれない。いやホント(笑))
でも、それも含めて人間的に魅力のある人だったんだよ。
受け入れる懐の深さだとか。親分肌でもあったし。
長井さんが後ろで控えてるっていうので皆、好き勝手できたってのもあるよね。
 

―作家としても長井さんがいることで安心感があったんですね。
 
そうそう、何かあっても長井さんが出てくればっていう。
出なくとも「居る」っていうだけで、もう凄い。
闇市の帝王だった人だからね。逃げるよそりゃ(笑)
身体は小さい人だけど闇市で1億円くらい・・・いや、もっと?、とにかく大儲けた人なんだからさ(笑)
下手なヤクザは逃げるよ。
 
―では、具体的にガロとCOMの違いっていうのは?
 
やっぱり功績的に大きいのは70年代。
もともと長井さん自体がフォークが好きでさ、阿佐ヶ谷の行き着けの飲み屋がライブハウス兼バーみたいなとこで、出てるミュージシャンは皆ガロを読んでた頃だからさ、そこでみんなを取り巻くじゃない。
で、ガロに漫画以外の要素も入れようってことで
南伸坊さん(※5)が美学校の恩師の赤瀬川原平さんだとか、荒木さん(アラーキー)だとかああいう人達だとか、コピーライターの糸井重里さんが湯村輝彦さんを連れてきて「情熱のペンギンごはん」(※6)をやったりだとかさ。要するに、正統な普通の漫画以外のところから色んな血がガロに入ってきてガロのDNAを、より「進化」だか「深化」だか、多様性を持たせるワケよ。
だって「情熱のペンギンごはん」なんてさ、漫画の人達には描けない漫画だもんね。
そういう意味では、もう初期のパンクロックに極めて近いよね。
だって初期のパンクの人達って、だいたいNONミュージシャンでしょ?基本的にはNYパンク・・・例えばトーキング・ヘッズなんて美術系の人達だし。
だから、どんどんイラストレーターがガロに漫画家として参入するっていう。
 
―そういった好き勝手できる状態をつくったのが長井さんだったんですね。
 
でも、ある程度すると長井のオヤジが邪魔になってくるんだよ。(笑)
とにかく商売の仕方に関しては悪い意味で昔の山師だった頃の性が出だしてね。
例えば、丸尾さんとか花輪さんとか一部の1万部とか2万部とか売れる作家じゃないと重版しないからさ。俺の「生きる」なんてなかなか単行本にしてくれなかったし。
俺の「タケオの世界」「怪人無礼講ララバイ」ってのも出てすぐ品切れになったんだけど
結局、経営母体が変わるまで重版されなかったんだよ、2年、3年、4年?コレ痛いよ。
3大紙から一般誌まで全部書評が載ってさ絶賛してくれてるのに何年間も。
長井さんの頭の中で「丸尾は2万いったけど、コイツはいかないだろう」って。
アレは痛かったよね・・・とっくに品切れで入手困難になってて初版も¥4000くらいに値上がってて。周りは「重版しましょう」って言ってるのに。
でもそこも長井さんの魅力で好きなんだけどさ、個人的には「チクショウ!」って思うところもあるよ。(笑)
(でも今となっては全部、すべてOKだね。だって長井さんなんだもん。)
30才になって、ようやく世間に認められる作品を描いたっていうのに。
 
―苦水を飲まされたこともあったんですね。
 
いや、苦水っていうかさ、年齢的にも30才になったばかりの作品で
3年も4年も重版されないっていうのは大きいよ!
これから漫画家として、うんと伸びるか伸びないかって時期に・・・
まぁ、そういうバカバカしい事もあるんだよ。だって所詮コロポックルの世界だからさ。(笑)
 
―今となってはバカバカしい思い出で。
 
今となってはね、その当時はホント弱ったもんだよ。
「このオヤジ、早く死ねばいいのに」ってくらい思ってたよ。
勿論、本気じゃないけど(笑)何しろ大恩人だもの。
 
 
 
※5 南伸坊:編集者、イラストレーター、エッセイスト、漫画家である。1972年青林堂入社。雑誌『ガロ』の編集長を務め、渡辺和博とともに「面白主義」を打ち出し、『ガロ』の傾向を変える。
 
 
※  6「情熱のペンギンごはん」:原作/糸井重里、画/湯村輝彦
漫画雑誌『ガロ』の編集者である南伸坊から、漫画執筆を依頼された湯村は、糸井重里の原作で「ペンギンごはん」という作品を発表。かわいいペンギンが登場するが、ストーリーは陰惨な内容という パンクな作品であった。以降も『ガロ』に「ペンギンごはん」シリーズ作品を発表し、1980年に『情熱の ペンギンごはん』として刊行。ヘタウマ漫画の金字塔となり、影響を受けた作家は数多い。
 
 
 

4、 最後の第一世代


 
―そうしたガロの出現はなくべくしてなったのか、突然変異だったのか・・・
 
それはやっぱり、中心の長井さんがカラッポだったからなんだよ(笑)
 
―カラッポだったから?
 
そんなにあんまり考えてない。
長井さんは・・・まぁ漫画に対する批評眼もあるのか無いのか明確には明言出来ない。
もともと山師だし闇市で活躍してた人だから、色んな人間を見てきてるわけじゃない?
そういう人の目から見ればさ・・・ねぇ。
こんな俺みたいに頭もボサボサな奴が描いてきた下手くそな漫画でもさ。
正直、描いてるモノとそれを持ってきた奴を見れば
大体コイツはどの程度の者かって分かるよ。(笑)目の前の二十歳くらいの小僧が。
だから漫画の作品自体だけのものじゃなくて、
こうやって(作品と持ってきた人間と)見比べて
「じゃあ、アンタもしかしたらモノになるかもしんないからちょっとやってみなさい」
ってさ。それくらいだよ。別に漫画見てどうこうっていうのじゃなくて。
 
―じゃあ、今もそういう部分が引き継がれているんですかね?
 
まぁ、手塚さんだよね(笑)長井さんの直系としては手塚さんだから。
手塚さんたちが入った当時は『ガロ』なんて新入社員を1名募集して100名200名なんて簡単に集まったから。(笑)
でも、大卒とかそういうので選ぶんじゃなくて長井さんが選ぶんで。
手塚さんが選ばれた時の理由もさ
「字が綺麗だから」っていうのと「田舎の子だから」っていう(笑)
凄い単純な「田舎の子はウソつかない」とかさ、何かそういう部分なの。
 
―ははは(笑)そうした長井さんの審査を受けて同じ時期に根本さん、みうらさん、久住さん、泉さん他、今ジャンルを越えて活躍する方達も自然とガロに集まってきたという?
 
時代の移り変わり的には70年代の終わりから80年代の頭だね。
例えば蛭子さんの再デビューも一応線引きすると初の単行本を出した80年からで、泉昌之にみうらじゅん、しりあがりさん、平口さん、そして何といっても渡辺和博さんやひさうちさんとか、要するにガロの中でも貸本時代からの流れの作品ともまたちょっと違うタイプの人達が出だしたのがちょうどその辺っていう。
だからそれは言うなれば全部が全部そうじゃないけど、そういう人達が現在のガロらしいガロっていうのか・・・「最後の第一世代」っていうかね。(笑)
でも、しりあがりさんは漫画を描いてたけど、直接ガロっていうんじゃないんだよね。
 
―そうなんですか?
 
しりあがりさんと他の作家と決定的な違いはね、スーツを着てちゃんと社会参加をしてたから世の中の常識を知っているってところ。
他の漫画家はそういったところが欠落してるからね。(笑)
 
―欠落してますか(笑)
 
50才くらいになってようやく分かり始めるっていうね
「世の中の仕組みはこうなってるんだ」って(笑)
やっぱり、然るべき時に社会参加をしてなかったからさ、気配りとかそういった面で気づくよね。それを分かった上で漫画を描いてきたけど。
 
―根本さんの場合は社会参加よりもガロ参加を選んだいう?
 
そうそう。でも、皆はどうだろうね?
「参加しなきゃ」ってそういう自意識過剰だったのは意外とオレだけが固執してて。
自分のそういう意識で、どうしても「他人もそうだったんだろう」と思っちゃう傾向があるんだけど。皆はそれほど意識してなくて「なるべくして、なった」っんじゃないかな。
要するに、持ち込みにいっても「アンタはガロしかないよ」ってみたいに言われて帰って
「あぁ、やっぱりオレはガロしかないのか?」って思ってガロに持ってって。
で、ようやくデビューするっていうね。
 
―じゃあ根本さんは何か「ガロで○○をやらなれけばならない」といったようなモノがあったんですか?
 
いや、無い。っていうかそこまで見えないよ。あんな20代の前半で。
でも「とりあえず参加しなきゃ」って。
参加するんだったらガロは一応漫画雑誌だから、漫画だろ?ってね。(笑)
もしガロが文学誌かなんかだったら小説書いてた。
だから漫画ってのは手段だよね。
あるいは、ガロってのがオムニバスのレコード盤だったらさ
とりあえず宅録でなんでもいいからさ、どっかの夫婦喧嘩でも音に録ってね(笑)
だから、ガロは漫画雑誌だから漫画描いただけ。
それが筋じゃない?漫画雑誌だからさ。(笑)単純な話だよ。
 
―そうですね、漫画雑誌に音源を送られてもね(笑
 
でも、確認はとってないけど実際そういうのも結構あったと思うよ。
ガロって全国のキ○○イの集まりだからさ。
 
―ガロなら受け入れてもらえるんじゃないかと?
 
うん、だってキ○○イが集まる率が日本で一番高い雑誌だと思うよ。
でもキ○○イの中でも本当に作家になれる才能のあるキ○○イもいれば
橋にも棒にも掛からないただの迷惑なだけのキ○○イもいるじゃない。
 
―じゃあそうしたキ○○イの多いから「普通の漫画」を描いてちゃいけないという意識も?
 
いや、普通の漫画・・・っていうか
ガロに参加したんだから「ガロの漫画を描かなくちゃいけない」と考えるのが普通だよね。
 
―ガロの漫画を描こうとするのが普通?
 
逆に言えば、みうらさんが「アイデン&ティティ」を描いたのは
どの漫画もみんなガロらしいから、逆にガロらしくない漫画を描こうとして描いたんだよ。
「あえてガロらしくない漫画を描いた方がガロらしい」って。
ガロもある意味硬直化してた頃だったから。
 

 

5、 「あのころ」と「いま」と「これからの作家」


 
―僕等の世代だとガロじゃなくてアックス(※7)になるんですが、今「アックスらしい漫画」を描こうとすると、どうしても既に皆さんがガロでやられた事が多くて逆に大人しい漫画になっちゃうとか・・・「新しいアックスらしい」というような作品が生まれにくい状態という気がするんですね。「この漫画はアックスで良いのか?」って。
 
※7 アックス:青林工藝舎が刊行する漫画雑誌。現在でも「ガロ系」と称される。

それはね、90年代になってメジャー誌が「ガロじゃないけど・・・」って人達にも、ある一定のスペースを与えだしたの。
また結構そいつ等がブレイクするっていう傾向が生まれてきてね。
例えば、吉田戦車とか朝倉世界一とか中川いさみとか和田ラヂヲとか天久聖一とかがまさにそうだし。
で、その彼等でさえもデビューしてから20年くらい経っちゃうわけだから。(笑)
そのコントラストの中で今のアックスをパッて見ると、昔のガロほど全体的にパラパラって見てもそんなに違和感のある漫画が集まってるという印象は受けないよね。
 

―アックスを読んで昔の根本さんのように「そこに参加したい!」と思うこれからの世代が出会うのが「大人しいアックス」だったら、段々と大人しくなってしまうんじゃないか?っていう・・・
 
そうなんだね。
でも、大人しくなったっていうのは否定的な意味ではなくてね。
逆に発想転換してみると80年代後半の低迷したガロに今のアックスの作家陣がバッと現れたら、それはそれで凄いムーブメントが起きてたと思う。
今はあまりにも多様化し過ぎちゃって1つのムーブメントっていうのが起き難い時代なんだよ。だって、ちょっと前まで木造モルタルの2階で皆が何かね狭いところで版下にネーム貼ってたのに・・・考えられないよ。あの頃、アメリカとかの海軍かなんかが使ってるパソコンを、今、青林工藝舎までが漫画雑誌を作るのに皆でつかってんだからさ。
アナログをわざわざデジタルに変換してるんだぜ、コロポックルの集団が今やさぁ。
 
―その辺りが「あのころ」と「いま」の決定的な違いでしょうかね?
 
あとは何といっても景気が悪いってことだよね(笑)
でも「あのころ」と「いま」だったら個人の人生としてみれば「いま」の方がイイ。
何だかんだ言って。良くない中の悪さもあるし、悪いことの中にこそある良さとか解るとモノの見え方がホントに凄く複合的に見える。そういう意味で非常に面白いと思うよ。
 
―では根本さんからは、これからのアックスはどうなると思いますか?
 
そりゃ何らかのカタチで残るだろうけどね。
前までは「いい加減なところ」が「曖昧なカタチ」でやってきたけど
やっと「もう少しちゃんとしたトコロ」が「ちゃんとしたカタチにする」ってとこに着地したんじゃないかな。何周もしてやっと辿り着いたって感じ。
今まで登ってきた人も「もう少しちゃんとしたところが参入してきたら、これからどうなるんだろう?」って思ってる。「漫画という世界はどういうトコに落ち着くんだ?」って。
そりゃメジャーな人達はどんどん変わっていくかもしんないけど
でも最低さ、我々の世界の最低部数(3千~3千5百)のようなの人達の需要は決して消え去ることは無いとは信じてる。少子化だと言われて若い奴が減ろうがなんだろうがキープできるはず。
そうである限り自分の目の黒いうちは描き下ろしでも何でもやり続けて生き残っていこうと思ってる、今はね。
だから、楽なのか面白いのかハードなのか何がナンだか分からないよもう(笑)
 
―でも、その固定の層にはよりディープに作品を届けれそうですね。
 
うんうん。だから漫画家も漫画を描くだけじゃなくて
紙芝居だったりバンドだったり漫談でも、トークしてビデオ見せたりとか何かそういう事で色んなとこまわって稼げるんだったらそれでもアリだなって思ったりするよ。
 
―こうした道を選ぶことに「これで良いのかな?」という不安はありませんか?
 
いや、不安にかられてなきゃ駄目。(笑)
「これで良いのかな?」っていつも自問してなきゃ駄目だよ。
それが無い方がむしろ危険。
 
―じゃあ。今までも根本さんは・・・?
 
そうそう。だって自問自答してなきゃ自分が誰で何やってんだか分かんなくなっちゃう(笑)
「俺は何やってんだ?」とかさ(笑)
 
―自問自答しながらも実際に今まで続けて来れたのは、何か後押しするモノがあったんですか?
 
それは「うまく自分自身にはまった」っていう。
例えば、勝新太郎はこう言ったんだよね。
色んなパンツの中のコカイン事件とかあってそういう話の流れの中で
「でも俺は、勝新太郎になっちゃったんだから。だから俺は最後まで勝新太郎ってやつを引き受けるほかないだろ」って。
それに似た様な発言だなと思うのは、五代目古今亭志ん生のさ
「どんな世界にも名人っていうものがありますが、先に名人ってものがあるんじゃなくて、名人という受け皿が先にあってそこにスポーンとはまった人間、それを名人というんです。」何かそういうものあるんだなと思って。
また話が飛ぶんだけども
例えばさ、ガロで30年生き残った蛭子さんにしろ、みうらさんにしろ、誰にしろ<自称:漫画家>かもしれないけど、
ガロでデビューして、とりあえず肩書き「漫画家」でメシを食ってきた人達に皆共通してるのがあって。
皆さ、特別上手いわけじゃないんだよ(笑)
もの凄いベストセラーを描いたとか、もの凄い技量があるわけじゃないし。
そんなこといったら小学校の頃の同級生のハギワラ君だのフジサキ君だのあの子達の方が「断然絵が上手かったなぁ」って。(笑)「漫画も上手かったなぁ」って。
そいつ等は小学校のころからクラスで「俺は漫画家になる」って言ってたけど・・・
漫画家になったって話は一切聞かないもんな。
で、京都のトランスポップギャラリーで村上知宏さんのレクチャーのゲストに川崎ゆきおさんが呼ばれた回があってね。要するに、川崎ゆきお版の「まんが道」みたいな話なの。
漫画家にはどうなったら良いか?みたいなさ。色々と自己分析とかさ。
散々「漫画っていうものは・・・」みたいな話をしてたんだけど
最後にね「でも、まぁ結局は・・・『運』やな」って。(笑)
それで全部をぶち壊しにしたっていう。(笑)
 

―はははは(笑)
 
だから広い意味の運なんだなって、才能じゃなくて運なんだって。
で、ついさっき言った話に結びつくけど
名人とか勝新太郎とは言わないまでも
そういう意味じゃ根本敬っていうのも、みうらじゅんも泉昌之も先に各々が在って、でさ、まぁ「みんな運だな」って、スポーンとはいっちゃったんだなって(笑)
そういうもんだなって思ったの、もちろん川崎ゆきおさんもスポーンてはまったんだよ。
だって実際の話さ、石ノ森章太郎だとか永井豪だとか大メジャー作家がいるじゃない?
ああいう人達のチーフアシスタントとされてる人達ってのは、実は看板になってる先生よりよっぽど面白い話がつくれりゃ、大先生より大先生らしいよっぽど絵の上手い人達なんだよね。(笑)
でも、それは業界の中で知られてるだけで自分はプロダクションのチーフをしなきゃなんないんだよ。そりゃ。それなりの大金は貰えたろうけど、自分は歴史に名前なんて残らない。(笑)
ま、そこなんだよ!(笑)
 

―それでは、今まさにアックスを読んで「漫画家になりたい」と思ってる、
そうした「これから」の皆さんにメッセージなんてありますか?

 

そうだね・・・俺のトコまで来い!!
辿り着いてくれよ(笑)で、(俺の)出した本を揃えるっと。
 

―辿りつくまでの何かヒントはありますかね?
 
まぁタイミングもあるだろうけど、辿りつく人は、辿りつくようになってんだよ。
話を聞くと何かしらあるんだよ、
他のマンガを見て拒絶反応を起こしたら才能あるか、絶対ダメかどっちかだよ。無論、後者が多数派だけど。
でもまぁ、とにかくトラウマは大事に。
ってことで今日は締めよう(笑)


<後記>


私自身、初めて「ガロ系」の漫画に出会った時に「何だこれは!?」という得体のしれない衝撃を受けました。その後、昔の単行本などを手に入れ、自分なりに掘り下げていけばいくほど「当時の勢いのあったガロの空気感をもっと知りたい」という思いがありました。
今回、根本さんが語る『あのころ』の話は、リアリティあふれる凄く濃い密度の空気感で、、、お話を聞きながら、まるで疑似体験をしていような感覚なりました。

今も「あのころ」なぐらいガロは大きなバックグラウンドです。(根本敬)

この言葉を聞いた時に
「あっ!」って感覚的に何か分かるようなものが自分の中にあれば・・・
つまり、それがそういう事なのかなと感じました。
 
(取材:ハヤマックス)


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