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「ちゃんと考える」の「ちゃんと」ってなんだ?

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

ここのところずっと取り掛かっている新しい案件があります。時間を作っては、社内で対話をしながら様々なアイデアを練って形にしてという事を繰り返していました。
そんな中でいつも「難しいな」と感じるのは、“カタマリ”の存在への対応です。

“カタマリ”の存在の一番の難しさは、その“カタマリ”を塊りだと認識する必要があるところです。でも、大抵はそれが“カタマリ”である事を認識するまでに時間がかかります。
認識するコツとして僕がやっているのは、「今まさに進んでいる感じがしないここの部分はカタマリなのではないか?」という問いを自分やその対話の内容に向ける事です。そうすると、ボンヤリと“カタマリ”が見えてくるような感じがします。

で、ボンヤリとでも見えてきたら、それを“わける”。
どんな要素で構成されていたのか?これが最小の粒度なのか?など。

そして、わけたモノ達を“つなぐ”。
どれとどれを繋ぐのが良いのか?どうやって繋ぐのが良いのか?など。
そうする事で、新しい道筋が見えてきます。

こんな感じの事は以前からずっと自分なりに気を付けてモノを考えるようにはしているつもりだったんですが、なかなかそれがうまいこといってない感じがありました。時々は自分でも驚くほど凄いスピードでできたりする事もありましたが、それは自分でコントロールしてやってるというよりも、偶々そうできただけだったり。

だけど、ある本で読んだ事を試してみるようになってから、スピードにも質にも随分と変化があったような気がしています。

『わけるとつなぐ』深沢真太郎 

これを読んで、書いてあったことを実践して、色んな手応えが得られたなあと実感しています。

最近では、この“カタマリ”の存在に気付くまでの速度は以前と比べるとかなり上がってきたのが自分でもわかります。これが今の速度でできるようになるまでには、相当の停滞と相当の失敗がありました。便宜上、「停滞」と「失敗」と使いましたが、実際にはこれらがあったからこその『現状』なので、実際には「失敗」という言葉よりも、「トライ&エラー」という表現の方がしっくりくるのかもしれません。そんな数多の痛みを伴う経験で、いつもいつも情けなさとか悔しさとか大変さを人並み以上に味わってきたからこそ、この“わけるとつなぐ”の重要さと価値を噛みしめているのかもしれません。

ただ、“わけるとつなぐ”を実践する際のプロセスには他の要素もあるんだなあというのが最近の僕の実感です。

塊りだと認識する事ができるようになるためには、それ以前の認識が固まりだった事に気付く必要がある。そして、認識の固まりは“わける”時にも、“つなぐ”時にも、それが固まりなのかそうでないのかを見極める必要がある。だからこそ“カタマリ”への対応が重要なんだなあと。

「こんなよい事、もっと早く知りたかった」と思いつつも、この本にはとても大きな感謝をしています(ちなみに第一刷発行は2020年10月13日と記載されています)。
僕たちが実践している『哲学対話』で言う「哲学的に考える」にもとても近いものを感じる部分が多々あったりして、数学と哲学的に考えるという一見違う手法に見えるけど、辿り着く場所がこんなに近いのか!など興味は尽きません。

この本のお陰で、あんなに苦手で大嫌いだった数学にも、この歳になってほんの少しだけ、ごく僅かに、ほんのりと、興味が出てきたような気がしないでもないような気がしています。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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