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シラフカラオケという地獄

自分がアルコールを摂取できない体であるということを認識してから早5年、下戸の人間は社会で本当に生きづらい。

「アルハラ」「スマートドリンキング」などという言葉も昨今はできてお酒を飲めない人間も楽しく飲みの場に参加できるようになった?

否、そんなことはない。お酒を飲めない下戸の人間にとって社会はまだまだハードモード。背負う必要のない枷を、業を背負って生きていかなければならない。

『お酒』は自分と他人の間にある世間体とか、沈黙とか、モラルとか、距離とか、世代とかを取っ払って自由に行き来させてくれる便利なツールなのだと思う。飲めないからわからないけど。

ただ、明らかに飲めない自分はアルコールを摂取して気持ちよくなっている彼、彼女らとの間に薄い膜みたいなものを感じる。

会社の上司からの飲みの誘いを「アルハラ」とか揶揄する若者も結局は初対面の人と仲良くなるために飲みに行くし、久しぶりに会った同級生とも居酒屋に行くし、狙ってる女の子にはお酒を飲まして一線超えようとする。

飲みニケーションなんて言葉は古いのかもしれないけど結局お酒の役割は今も昔も変わってないし、結局僕みたいな人間はその多大なる恩恵を受けることができない。

恩恵を受けることはないけど、せめて被害は受けたくないものだ。

鉄則は『二次会には死んでもいかない』こと。

かまいたちさんのYouTubeを見て目からうろこだった。一次会は耐えられるが、二次会になると耐えられないことが増え始めて時間の無駄だよこんなの!という感覚も強くなる。

自分も会社の飲み会の幹事をやり、一次会の居酒屋で一段落し会を閉めるが、部長の鶴の一声、

「二次会カラオケ行く人!!!」

結局全員が行く流れにあらがえず、幹事をやったという謎の責任感も後押しし、大嫌いなカラオケにしかもシラフ状態の周りはべろべろで行く羽目になる。

こうなるともう嫌とか、嫌じゃない以前に地獄か、地獄じゃないかという領域。22時ビッグエコーに突如として現れる地獄。

五畳ほどの部屋にギュウギュウで20人の男女。くそみたいな昭和歌謡を大声で歌う上司と世代超えてうけるだろうみたいなスマップの歌とかを気を使って歌う若手、タンバリンを申し訳程度に叩く女子、歌詞に合わせて合いの手を入れる盛り上げ上手のおやじ、、

大学生以来社会人1年目で味わうこの感覚。

カラオケボックスの有象無象を見ていると小学生のころ『蜘蛛の糸』の児童向け文庫で見た挿絵の針山や血の池で阿鼻叫喚する罪人たちに見えてくる。

「現代の地獄ここにあり」と、蜘蛛の糸にすがるカンダタよろしくポテトを持ってきた店員と入れ替わるように個室を出る。

バッグはカラオケボックスにおいてしまったので帰ることはできず、かといって戻る気にもなれずにビルを出て夜の街を徘徊する。

上着はおいてきたので2月の外を歩くのはかなりきつかった。

駅ビルに逃げ込むように入り、トイレの個室に入りスマホを見ると終電の時間が迫っている。

そういえば、いつかの飲み会でウーロン茶をちびちび飲んでいると誰かに「飲めないなら飲んで鍛えなあかん。」と言われたことを思い出す。
丸々と太ったやつに言われた気がする。

「実は親がイスラム教徒で飲酒には厳しいんです。」という訳のわからない言い訳をしたことを覚えている。宗教を引き合いに出したのと、目上の人間に嘘をついたことは良くなかったなと思考を巡らせる。

肛門から大きな大きな糞がめりめりと出ていくのがわかる。




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