サヨナラ完璧主義。コンチワ仲間たち!
自分の中の完璧主義者は、ひじょーに厄介です。
事あるごとに現れて、私の行く手を阻むからです。
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先週、お散歩中に見た柿の木にヒントを得て、マフラーの図案を作りました。
経(たて)糸と緯(よこ)糸が、上下し交差することで、手織り布の模様は作られます。
今は、糸の配列を自分で設定すればパソコンが図案を作ってくれるので、とても便利です。(でもいつか、自分の頭と手だけで作図できるようになりたいなぁ、と、いつも思います。)
そんなこんなで準備を終えて、やっと、織り始めました。
あれこれ気が散りすぎていたせいか、事前準備の色んな所に抜けがあり、織り始めるまでに何度も「やり直し」ました。
そのたびにダメな自分にイラっとし、「あ~、もうっ!キキ~ッ!!」と、なりました。
で、気づきました。
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私はいつも、こうやって、準備しながらイライラします。
そしてすぐ、自分のことをバカだ、アホだ…と批判します。
この(自分による)(自分の)批判は、(自分を)とても嫌な気持ちにします。
だから更にイライラします。
そしてよく、この無限ループに陥ります。
(とほほ…。)
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と、マフラーの準備をしながら、これまで何年も繰り返してきた悪循環パターンに改めて気づきました。
なので今回は、
と、決めました。
今日から、布が織り上がるまでの間、何が起きても、
イライラしないし、自分の批判も・・・
と。。。
少し織ってみて、気づきました。
緯(よこ)糸の間隔が、おかしい所がある。。。
織りの作業は、足で踏み木を踏むと、経(たて)糸が上下し隙間ができて、その隙間に、手で緯(よこ)糸を通すという単純作業です。(両手両足、全身運動!)
最近、何かと集中できてなくて、今日の作業中も、頭のオシャベリが止まりませんでした。
それが心の「ざわつき」となり、それが糸の動き(手の動き)に影響して、緯(よこ)糸の間隔がおかしなことに、なったのだと思います。
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で、ここに批判家の私が、出現。(呼ばれてもいないのに。)
この「うるせー奴」は、放っておくとオシャベリし放題なので、耳を傾ければ傾けるだけ、嫌な気持ちにさせられます。
これ以上、聞いていたくないので、面倒くさくなって、一瞬、手が自動的に動きました。
⇒ これまで織った部分を、解く方向に。。。
あれっ?
今回、私は「イライラも、自己批判も、一切いたしませんっ!」と決めたんじゃなかったっけ???
そうよ、そうよ!
だったら、これまで自分が織った部分に対して、
批判する代わりに、愛でる。
というのは、どうだろう?
と、思い、一旦休憩し、写真を撮ってみました。
・・・でもですね。
織った部分を写真に撮り、改めて見てみると、やはり気になる「緯糸の隙間」なのです。
・・・でもですよ。
自分を批判しない!と決めたのだから、やっぱり今、これを解いて織り直すことも、いたしませんっ!
と、改めて決めました。
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そういえば、手織りを習っていた時。
と、先生が言っていたのを思い出しました。
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完璧を求めたい「批判家の私」(うるせー奴)は、いつも自分のやった事を細かくチェックしては、ダメ出しします。
でも、
「素の私」(=ちょっとダメな子)は、いくら頑張っても、その要求に応えることができません。
少し作業をすると、いちいち「批判家の私」にダメダメ言われるので、「素の私」は、どうしたら良いか分からなくなり、すぐに、しょっちゅう、手が止まります。
だから作業は遅くて、なかなか仕上がらなくて、またイライラしてきます。
はい、そしてまた、無限ループ…。
この布を織りながら「自己批判をしない」と決めたら、見えてきました。
どうやら私、数年前に先生が言っていた「糸が自己調整する」という言葉を、ここの所スッカリ忘れていたようです。
そうか!
織りの作業は、私が「一人で頑張る」だけでなく、「糸に頼る」こともできるんだ…。
「私の不出来で、出来上がりが少々変になったとしても、糸には、自己調整の力がある。」と考えたら、気持ちが楽になりました。
そして、いつもうるさい「批判的な私」は、徐々に静かになりました。
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完璧を求めて「あれはダメ、これもダメ」と自分の作品に対して言っている時、私は「一人で作っている」と思い込んでいるのでしょう。
でも実際には、私が多少のミスをしても「糸が」それをカバーしてくれる事もあるわけです。
ということは、
私は糸と「一緒に作っている」のでは?と思った時、自分の傲慢さが見えた気がしました。
モノづくりって、実は「共同作業」だったのか…。
❤
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私が何かを「作る」時、それは「一人の作業」に見えがちですが、実のとこは、材料や道具たちとの「共同作業」だったのでした。
私は単に、材料や道具を使い、動かし、製品に仕上げる「役目を担う」だけの者です。(製造担当/現場監督?)
自分が「一人で」作っていると思っていた時に、やたら登場していた口うるさい完璧主義の批判家は、他の存在の力を信じることのできない、孤独で寂しい人だったのかな?と思いました。
周りの人を信用できない、友達のいない、孤独で可哀そうな子。
たぶん相当、自分に自信も、ない感じ。
だから私に構ってほしくて、いちいち上から目線で口出ししていたのかな?
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布を織る作業を通して気づいた、自分の中にいる、もう一人の自分。
コイツは、織り以外の「作る」場面にも、しょっちゅう顔を出してきて、これまで私を散々苦しめてきた、にっくき存在です。
でもアイツ、実は、孤独で寂しかったのか…。
と思ったら、少し気持ちが収まりました。
とりあえず。。。
今回の作業においては、この孤独な批判家が二度と現れてこないことを祈ります。
そのカギは多分、イライラせず、自己批判をしないこと。
最後に、今日の気づきを書き留めて、明日の作業に生かします。
一人でいるのは好きだけど、独りよがりになるのは避けたいです。
今、目の前に「誰」がいるのか?
を確認しながら進むことを忘れないように、今日1日を過ごそう!と思います。
(つづく)
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