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マルコによる福音書と新島襄の手紙のはなし


今週の聖書研究祈祷会

 こんにちは。4月24日(水)10時30分から教会の集会室で聖書研究祈祷会が行われました。当日は増田琴『マルコ福音書を読もう』の「はじめに」を読み、マルコ福音書の特徴などを参加した皆さんと分かち合いました。

聖書を翻訳する難しさ

 本を読みながら、以前『聖書 聖書協会共同訳』の翻訳に携わった聖書学者の1人の講演会で聞いたことを思い出しました。どんな内容かというと、「ギリシア語聖書を書いた人たちの中にはギリシア語を第一言語としていない人もいるから、翻訳するのが難しい箇所がある」ということです。わかりやすく英語で例えてみると、日本語で生まれ育った方が広く世界の人に自分の書いたものを読んでもらいたくて頑張って英語で書いてみた。それを読むと大筋は理解できるけど細部を見ると時制が間違っていたり三単現のSが無かったり単語のスペルミスがあったり文脈上ふさわしくない単語が使われていたりということがあって、著者の意図通り正確に訳すことが難しいということです。

マルコによる福音書の持っている“熱”

 でも大切なことは、ギリシア語聖書を書いた人たちの中にはギリシア語を第一言語としない人もいたけれど、イエス・キリストの福音(良い知らせ)を全世界の人に届けたいという思いで一所懸命になって慣れないギリシア語を駆使して執筆した。文法の間違いや文章表現としては未熟なところもあるけれど、その情熱に触れる時に私たちキリスト者の心を強く打つものがあるということです。

同志社大学の校祖・新島襄のはなし

 その後マルコによる福音書の著者が持っていた熱の話から脱線して、私の母校である同志社大学の校祖・新島襄の話をしました。新島襄は現在の群馬県にあった安中藩の人間でしたが、諸々の事情から国外脱出を行いアメリカに渡ります。そこでキリスト教と出会い、聖書やキリスト教を学んでキリスト教の宣教者となって日本に帰国しました。

ボストンで書いた(おそらく最初の)英文の手紙

 新島襄は船に隠れて国外脱出を成功させてアメリカのボストンに到着しました。しかし彼は到着後すぐに船から降りたわけではありません。自分を庇護してくれる存在が見つかるまでアメリカの地に上陸するのは危険なことだったからです。彼はボストンまで乗せてもらった船の船長(テイラー)の口利きで船のオーナー(ハーディー)と船上で会って話す機会を与えられますが、残念ながら彼の英語は全く通じませんでした。最後のチャンスとして新島は船のオーナーに自分がなぜ日本を脱国したのか、その理由を書いた手紙を読んでもらうことにしました。

 アーサー・シャバーン・ハーディーが編集したLife and Letters of Joseph Hardy Neesima(1891年)に「理由書」は所収されています(3ページ以下)。以下のページから読むことができます。

 ちなみに新島は蘭学を勉強していましたが、1863年から英語を学び始めたのでまだ2年しかたっていません。英語を勉強してまだ2年の人間が書いた英文として読むと、ところどころ拙い表現や使用された単語の意味が文脈からは分からないものの、彼の熱意が伝わってくる文章です。一部ご紹介します。

Please! don't cast away me into miserable condition. Please! let me reach my great aim! Now I know the ship's owner, Mr. Hardy, may send me to a school, and he will pay all my expenses. When I heard first these things from my captain my eyes were fulfilled with many tears, because I was very thankful to him, and I thought too: God will not forsake me."

Life and Letters of Joseph Hardy Neesima、10ページ

 ハーディー夫妻はこの新島の「理由書」を読んで新島に関心を持ち、新島のパトロンとして彼を受け入れて現在で言うところの高校、大学、大学院まで面倒を見てくれることとなり、アメリカにおける新島の父母として非常に大きな役割を担うこととなりました。

まとめ 鉄は熱いうちに打て

 マルコによる福音書は他の新約聖書文書に比べて拙いギリシア語で書かれたものの、多くの人に読んでもらいたい、イエス・キリストの福音を伝えたいと言う熱を感じさせられる文書です。同じく新島襄がアメリカに上陸した際に船のオーナーであるハーディーに書いた英文の手紙もまた拙いものでしたが、その熱意が伝わってその後の新島とハーディーの絆を結ぶものとなりました。
 「鉄は熱いうちに打て」と言います。“熱”って大切です。十分な準備をして実力を蓄えてからというやり方もありますが、たとえ十分な実力がついていなくても熱意を持って書いたこと、伝えたこと、やってみたことは案外伝わる人には伝わるものなのかもしれません。せっかく熱を持ったのに「まだ自分には力がないし」と言っている間にその熱が冷めてしまったらもったいないことですよね。熱を持ったらぜひその熱を今の自分なりに表現することを大切にしてほしいと思います。私はその熱を与えるものが聖霊と表現される不思議な神の力なのだと信じています。

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