2024年5月12日(日)アジア・エキュメニカルサンデー

聖書:ヨハネによる福音書7章32〜39節

牧会祈祷:


 主なる神さま、今日もまた私たちを礼拝に招いてくださりありがとうございます。ゴールデンウィークが終わり、私たちは日常の生活へと戻りました。新生活の疲れや緊張から、園や学校、会社に行きたくないと感じているこどもや若者も少なくありません。どうか神様がその一人ひとりに寄り添い生きる力を育んでくださいますように。

 天の神さま、あなたは決して私たちから離れることはありませんが、私たちはたびたびあなたから離れてしまいます。私たちは不親切な態度によって隣人を悲しませ、気付かないうちに神さまの思いに背いてしまいます。私たちの犯すすべての罪をお赦しください。
 今ものちもあなたに頼り、あなたの導きのままに歩むことができますように。

 慰めと癒し主なる神さま、さまざまな事情で礼拝を休んでいる友を覚えて祈ります。病気のため、家族の介護や看病のため、仕事のため、心が教会から離れているため…、事情は人それぞれであり、あなたはその一人一人を気にかけてくださっていることを信じます。どうか一人一人に良いすべてのものを備えてください。私たちがいつもそれらの人を覚えて祈り続けることができますように。

 礼拝に集う私たちに生きる糧、命の水をお与えください。そしてあなたから与えられる永遠の命を持って隣人に仕えることができるようお守りください。今日もこうして礼拝を捧げ、あなたとの生き生きとした交流を与えれる喜びに感謝して、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

説教:

今日はアジア祈祷日


 おはようございます。本日はアジア祈祷日と呼ばれる日曜日です。日本には日本基督教団が加盟している日本キリスト教協議会(NCC)があり、アジアにはアジアキリスト教協議会(ACC)、世界規模だと世界キリスト教協議会(WCC)という団体があります。アジアキリスト教協議会ではペンテコステの一週間前の日曜日をアジア祈祷日として定め、教派問わずアジアの諸教会を覚えて祈り、アジア地域が抱えるさまざまな課題について考え、共に担う時としています。

皆さんに取って身近なアジアの国はどこ?

 皆さんにとって馴染みの深いアジアの国といえばどこでしょうか。この教会には韓国出身の方も多いですから韓国と答える人もおられるでしょうし、中国、インドネシア、ベトナムなど様々な国を挙げる方もいるでしょう。私はどこの国が馴染みが深いかと聞かれたらタイと答えます。なぜなら妻と出会ったのがタイだからです。私たちは関西にある別々の大学に通っていましたが、好善社という日本のキリスト教慈善団体が主催するタイ国青少年ワークキャンプで知り合いました。好善社という団体を初めて聞いた方も多いかと思いますが、好善社の設立は1877(明治10)年と非常に歴史ある団体です。ヤングマンという女性の宣教師が10名の女性の教え子と共に設立しました。彼女は1873年に来日すると築地の外国人居留地に現在の女子学院の前身となる学校を作って女性たちを教え、さらには「キリストの精神を社会的に実践する」ことを掲げてこの理念に共感する女子学生と共に好善社を設立しました。

公益社団法人好善社は歴史あるキリスト教団体

 好善社は最初こどもたちの養育や教育などを担っていましたが、ハンセン病を病む1人の女性との出会いをきっかけにハンセン病支援活動を長く続けていくこととなります。皆さんはハンセン病について正しい知識を持って理解しているでしょうか。ハンセン病とは、「らい菌」に感染することで起こる病気です。感染病ですが感染力はとても弱く、ほとんどの人は自然の免疫があります。しかし幼い頃、栄養失調などの理由から感染し発病すると、手足などの末梢神経が麻ひし、汗が出なくなったり、痛い、熱い、冷たいといった感覚がなくなることがあり、皮ふにさまざまな病的な変化が起こったりします。現在は特効薬がありますが、治療法がない時代には体の一部が変形するといった後遺症が残ることがありました。治療法がない時代、ハンセン病患者の外見と感染に対する恐れから、元ハンセン病患者さんたちは激しい差別と偏見を受けてきました。古代中国の文書、紀元前6世紀のインドの古典、キリスト教の聖書など、数多くの古い文書に残っている記述からも、ハンセン病は、天刑、業病、呪いなどと考えられ、忌み嫌われてきたことが判ります。私たちの持っている『聖書 新共同訳』の初版では「らい病」と訳されていましたが、ハンセン病患者の抗議により訳が差し替えとなって「重い皮膚病」と表記されています。ヘブライ語だと「ツァアルト」、ギリシア語だと「レプラ」という語です。

 好善社は日本のハンセン病療養所で長く活動してきましたが、やがて活動の裾野をアジアに伸ばしてタイ国のハンセン病支援団体と協力し、現地の青少年と共に元ハンセン病患者たちの住む村でワークキャンプを行っています。妻は関西学院大学、私は同志社大学というキリスト教の大学に通っていましたが、それぞれの大学で好善社主催のタイ国ワークキャンプの存在を知って参加して出会い、今に至ると言うわけです。だからこそ私たちにとってタイという国がアジアでは馴染みの深い国の一つですし、ハンセン病の歴史と現在、そして好善社が設立時に掲げた「キリストの精神を社会的に実践する」という理念を私たちは大切にしています。

詩人 塔和子さん

 元ハンセン病患者で塔和子さんという詩人がいます。ご存知ない方がほとんどかもしれません。彼女は13歳でハンセン病を発症し、瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所・大島青松園(香川県)に入所され、84歳で亡くなるまで70年以上を療養所で過ごしました。24歳から短歌を始め、29歳から詩の創作に転向します。32歳で第一詩集『はだか木』を出版、35歳にして療養所内にあるキリスト教霊交会という教会で洗礼を受け、その後もたくさんの詩集を出版されました。1988年に出版された詩集『未知なる知者よ』に「胸の泉に」という彼女を代表する詩が収録されています。こういう詩です。

かかわらなければ
この愛しさを知るすべはなかった
この親しさは湧かなかった
この大らかな依存の安らいは得られなかった
この甘い思いや
さびしい思いも知らなかった
人はかかわることからさまざまな思いを知る
子は親とのかかわり
親は子とかかわることによって
恋も友情も
かかわることから始まって
かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ
そして人は
人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る
ああ
何億の人がいようとも
かかわらなければ路傍の人
私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない

『未知なる知者よ』海風社、1988年

 この詩の最後の5行「何億の人がいようとも かかわらなければ路傍の人 私の胸の泉に 枯れ葉いちまいも 落としてはくれない」はハンセン病を病んだ人たちが偏見・差別の中で体験してきた歴史を暗に訴えているように思います。「路傍の人」とはただ道を歩いている人、つまり自分とは縁もゆかりもない人のことです。塔和子さんはこの世界に何億の人がいようとも、かかわらなければ路傍の人であって私の胸の泉に枯れ葉いちまいも落としてはくれない。私たちハンセン病患者が激しい差別と偏見の中で苦しい思い、悲しい思いをしていてもかかわらなければどれだけたくさんの人がいたとしてもみな無関心で何もしてはくれないと詩を通して私たちに訴えかけています。今日の説教題には塔和子さんの詩から「胸の泉」という言葉を借用しました。イエスが大声で言った「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」という言葉と重なったからです。ここには「渇き」、「その人の内」、「生きた水」という印象的な表現が出てきます。

イエスが叫んだ日

 イエスがこの言葉を大声で言ったのは「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日」でした。この祭りとは時期的に仮庵の祭りと呼ばれる祭りのことで7日間行われました。祭りの7日間、祭司たちは毎日シロアムの池まで行って水を汲み、神殿に持ち帰るということをしていて、エルサレム神殿の参拝者たちも池まで同行し、神殿まで戻るということをしていました。イエスが叫んだのはシロアムの池においてか、神殿に戻る儀式の途上のことでした。水を汲む。水が無くなる。また水を汲む。この重労働を7日間繰り返す儀式の中でイエスは尽きることのない水について語りましたから群衆の注目を集めたことでしょう。現代の日本を生きる私たちは蛇口をひねればいつでも大量の水を得ることができますが、当時は水は貴重で生きていくのに欠かせないものであり、尽きることのない水は誰もが欲しいと思えるものでした。イエスはヨハネによる福音書4章でもサマリアの女性と井戸の前で出会い、「生きた水」「その人の内で泉となり、永遠の命に至る水」を自分が与えることを告げ、この女性はイエスを信じる者となりました。

 かかわり、出会い、つながりを通して私たちは良いものや時に悪いものを胸の泉に与えられます。かかわったことで傷つけられたという経験をすると、「かかわらなければよかった」、「もうかかわるのはよそう」という気持ちにもなりますが、かかわらなければ胸の泉に枯れ葉いちまいも落としてはくれません。人はかかわることから良いものも悪いものもさまざまな思いを知って磨かれ、生を綴るのです。その中でイエスとの出会い、かかわりは私たちの胸の泉に尽きることのない生きた水を与えてくださるものです。

 好善社の理事で国内のハンセン病療養所を長きにわたって訪問しておられるある方の台詞です。「ハンセン病を病んだ人たちの多くは、宗教によって救われ、その苦しみを克服したと言われる。ハンセン病療養所における宗教に属した入所者は87%ほどで、一般社会と比較して遥かにその密度が濃い。とりわけキリスト教信徒の割合は31%で、日本社会での1%に比べれば突出している。」(川崎正明『かかわらなければ路傍の人』編集工房ノア、2016年、160ページ)激しい差別と偏見にさらされ、生きようとする力を奪われ、魂が枯渇していた多くのハンセン病患者はイエス・キリストと出会い、生きた水を与えられてそれぞれの場所で一所懸命に生きました。決して信仰を得たからずっと平穏な日常だったわけではありません。塔和子さんも信仰を得てから2度、自死未遂をされています。それでも渇くたびにイエスのもとに来て、生きた水をいただいて塔和子さんは神さまが彼女に与えた命をまっとうすることができたのです。私たちの胸の泉が枯れていると感じる時、人とのかかわりが億劫になる時にこそ、私たちの主イエスの言葉を思い出しましょう。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」お祈りします。

ここから先は

0字

キリスト教会の礼拝で行われている説教と呼ばれる聖書をテキストにしたメッセージを公開しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?