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  • 宗教雑記 〜宗教研究について〜

    さまざまな宗教について、また、宗教という概念そのものについて、さまざまな議論を伝達しつつ、考えます。

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『ヘブライ語講座 スライド集』(上)

YouTubeで公開中の「ヘブライ語講座」のスライド集をアップロードします。 「手許に印刷物が欲しい」という方のために公開します。ダウンロードして、普通に印刷できます(pdfファイル A4)。下のサンプルは4頁分。全46頁。 YouTubeの視聴を前提としていますので、説明は付いていません。 「ヘブライ語講座」のチャンネルは下記の通り(@mmiyastb)。 https://www.youtube.com/channel/UCOvh2U-OaSYtz4cr7rakaN

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    • ヴェルハウゼン『古代イスラエル史序説』(プロレゴメナ)序文(5)

      (↓ はじめから読む) 一方、祭司法典は、のちの時代とカナンでの定住生活への言及をしないようにしている。  カナンでの定住生活についてはヤハウィストの契約の書(出エジプト記21〜23章)と申命記の両方がその正当化の基本的な表現をしている〔祭司法典ではされていない〕。 祭司法典は注意深く、また、厳格に、荒野での状況という境界のうちに止まるようにしているのである。 荒野にあることこそが律法が与えられるという切実さに求められることだからである。 そして、それは実際のところ

      • ヴェルハウゼン『古代イスラエル史序説』(プロレゴメナ)序文(4)

        (↓ はじめから読む) この根本的な文書が申命記とともに分けられた後に残るのがヤハウィスト的な歴史文書である。 このヤハウィスト資料は他の二つ〔祭司文書と申命記〕とは対照的に、本質的に物語の性格をもっており、大きな共感と楽しさをもって、伝えられた資料を明らかにしている。 父祖たちの物語はほぼ全体がこの文書資料に属しており、その性格を最もよく表している。 また、この物語は後に続く大きな重要性をもつことの単なる概略的な紹介ではなく、そのものとして大きな重要性をもっている研

        • ヴェルハウゼン『古代イスラエル史序説』(プロレゴメナ)序文(3)

          (↓ はじめから読む) この驚きは、捕囚後のユダヤ教において、その時まで隠されていたものでしかなかったはずのモーセ主義〔モーセの宗教〕が突然、あちこちに卓越したものとして現れたということで完全なものとなる。 今や「聖書」は高次の生活の基礎とみられるようになっており、ユダヤ人は、クルアーンの言葉を借りれば、「書物の民」〔アフル・アル・キターブ/啓典の民〕となっていた。 祭司とレビ人たちが中心的な地位を占めている聖所があり、その周辺に天幕を張る会衆としてイスラエルの民がいる

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        『ヘブライ語講座 スライド集』(上)

        • ヴェルハウゼン『古代イスラエル史序説』(プロレゴメナ)序文(5)

        • ヴェルハウゼン『古代イスラエル史序説』(プロレゴメナ)序文(4)

        • ヴェルハウゼン『古代イスラエル史序説』(プロレゴメナ)序文(3)

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        • 宗教雑記 〜宗教研究について〜
          10本

        記事

          ヴェルハウゼン『古代イスラエル史序説』(プロレゴメナ)序文(2)

          (↓ はじめから読む) それゆえ、ユダヤ教の律法もまた、ユダヤ教によって作られたかもしれないという可能性を独断的に拒否するわけにはいかない。 そして、この提案を非常に慎重に考察すべき切迫した理由がある。 ここで私の個人的な経験を述べるのも場違いなことではないだろう。 研究をし始めたころ、私はサウルとダビデ、アハブとエリヤの物語に惹かれ、預言者アモス、イザヤの言葉に強くとらえられていたので、旧約聖書の預言書と歴史的な書〔ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記〕をよく読ん

          ヴェルハウゼン『古代イスラエル史序説』(プロレゴメナ)序文(2)

          ヴェルハウゼン『古代イスラエル史序説』(プロレゴメナ)序文(1)

          【以下に掲載していくのは、ヴェルハウゼン『古代イスラエル史序説』(プロレゴメナ)の序文です。わかりやすさを目指して、余計な字句を割愛したり、やや強めの意訳をしているところはありますが、基本的に文章そのものをまるまる飛ばしていることはありません。頭から順々に訳していって、2000字を超えて区切りがいいところになった時点でアップロードするという形で続けていく予定です(原著はJulius Wellhausen, Prolegomena zur Geschichte Israels,

          ヴェルハウゼン『古代イスラエル史序説』(プロレゴメナ)序文(1)

          『宗教の起源 わたしたちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』 R・ダンバー著

          宗教認知科学とその周辺について、日本語で読めるものを見つけては入手しているのだけれど、これまで見つけたものは、どうも読み進めることができないでいた。 それはこれまで見つけた本そのものの問題とは限らない。本とのよい出会いにタイミングは重要な要素だ。ゆっくり読む時間がないときに手に取ったとか、こちらの頭がそれを受け入れる準備ができていないときに読み始めてしまったとか、そういうことはありがちなことだ。 今回、手に入れたR・ダンバー著『宗教の起源 わたしたちにはなぜ〈神〉が必要だ

          『宗教の起源 わたしたちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』 R・ダンバー著

          ガザ騒乱

          パレスチナのガザ地区を実効支配する過激派組織ハマスがイスラエルへ攻め込んだ。10月7日のこと。 この日は第4次中東戦争勃発からちょうど50年目。第4次中東戦争はイスラエルでは「ヨム・キップール戦争」と呼ばれている。「大贖罪日」と呼ばれるこの日は丸一日イスラエル全土の交通が止まり、宗教的ではない人も殊勝に一切の活動を控え、電話にさえも出ない(携帯電話が普及した最近のことは知らないが)。 50年前は、その日を突いて、シリアとエジプトに攻め込まれ、一時はゴラン高原の大半がシリア

          ガザ騒乱

          ラグビーW杯 イングランド vs アルゼンチン 衝撃のドロップゴールと、スポーツ観戦中の頭の中

          ラグビーのワールドカップ。 ワールドカップと正月の学生ラグビーくらいしか見ない身としては、前回までのブームを復習しながらのテレビ番組の連続はありがたい。 開幕戦のフランスvsニュージーランド。 サッカーのフランス代表で、ジダンとかアンリが出てきて、フランス開催のヨーロッパCUPを制して、その後、W杯優勝だったか、そういう流れを思い出したりしていた。フランスは地元開催の強みが加わっている。この前の日本と同じ。優勝候補の筆頭だろう。 ニュージーランド。「ハカ」で知られるオ

          ラグビーW杯 イングランド vs アルゼンチン 衝撃のドロップゴールと、スポーツ観戦中の頭の中

          宗教を学ぶための九つの理論 〜宗教探訪(6)

          「宗教を学ぶための九つの理論」という本がある。厳密には「宗教の九つの理論」。宗教学の入門書のひとつで、当方が入手した時点で第三版。 タイラーとフレイザー フロイト デュルケム マルクス ウェーバー ウィリアム・ジェイムズ エリアーデ エヴァンス=プリチャード ギアツ 「九つの理論」というが、これら10人の著名な学者たちの宗教に関する論考を解説している本と言った方がいい。 当初は「宗教の七つの理論」というタイトルで1996年が初版、2006年にウェーバーが加わって「八つの

          宗教を学ぶための九つの理論 〜宗教探訪(6)

          キーボード葬送

          キーボードなどというものはそうそう壊れるものではないだろうと思っていたのだが、夜半過ぎに異変に気づき、仕事が止まる。 壊れたのはスペースキーと、カーソルを下へ動かすキー。位置的に、なんとなく、近い関係にあるが、連動して壊れたのだろうか。 壊れてみると、この二つを使う頻度が高いことを再認識する。 スペースキーは日本語を書く時には変換キーだし、英文を書くときに、これが反応しないというのはリズムやら効率に非常に響く。 「カーソルを下へ動かすキー」は文章を書いているときに、か

          キーボード葬送

          宗教とドーパミン ー 宗教探訪(5)

          NHKスペシャルの「ヒューマンエイジ」というシリーズで、人間の欲望とドーパミンの話をやっていた。 ドーパミンというのは喜びを感じていることを示す脳内物質、厳密には神経伝達物質ということなのだけど、これは動物に共通している。食べ物を得たり、何か欲望を達成すると脳内に大量に分泌される。 ただし、人間だけは問題を解決したときにも分泌されるという。 課題を解決することの喜び。解決すれば、欲望を実現できる。 科学技術を使って、人類の難局を乗り切る。それがある意味、生物的に肯定さ

          宗教とドーパミン ー 宗教探訪(5)

          ユダヤ・キリスト教の終末思想と黙示文学

          ユダヤ・キリスト教における終末思想と黙示文学についてどのようにまとめることができるのかが最近の関心のひとつである。 他にも片付けなければいけないことがあるので、そう思いながら遅々としてこの話題の話が進んでいかないのはありがちなことだが、当座この関心から読んでおくべき日本語文献は2冊ある。 大貫隆『終末論の系譜ー初期ユダヤ教からグノーシス主義まで』筑摩書房、2019年  上村静『終末の起源ー二つの系譜 創造論と終末論』ぷねうま舎、2021年  この2冊とそこで参照されてい

          ユダヤ・キリスト教の終末思想と黙示文学

          「宗教のない社会」ー宗教探訪(4)

          19世紀後半、学者たちは宗教の起源に関係する問題に熱中していた。人はどのようにして神を信じるようになったのか、宗教をもたないほど原始的な部族はあるのだろうかといった問題を関心として議論がされていたという。 1866年、著名な探検家であったサミュエル・ベーカー卿は民族学学会において「ナイル川流域の人々はいかなる種類の宗教的信条ももたない」と発表した。 「彼らは至高の存在への信仰をもっておらず、いかなる礼拝や偶像崇拝もしていない。迷信の光によってさえも精神的な闇が照らされるこ

          「宗教のない社会」ー宗教探訪(4)

          B・モーリス ー 宗教探訪(3)

          ブライアン・モーリスは1980年代後半に出版された比較宗教学の入門書をヘーゲルから始めている。 タイラーやフレイザーではなく。 (Brian Morris, Anthrological Studies of Religion. An Introductory Text, Cambridge University Press 1987) 厳密にいうと、その本のタイトルは「宗教の人類学的研究」だが、今日、比較的用いられている学問分野の呼称で言えば、比較宗教学が最も近いだろう

          B・モーリス ー 宗教探訪(3)

          宗教研究のはじまり ー 宗教探訪(2)

          もう少し「経験的に」話をする。 「キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教、神道、儒教、道教・・・というのは宗教だ」 前回、そういう話をした。 「あまり異論はないだろう」ということにして、話は先に進んだ。 しかし、ここで挙げたものが「宗教」であることはどのようにしてわかるのか? それは「りんごは果物」であることが明らかであるように説明など不要なことだ・・・。 こういう時の例えは、たいていリンゴだが、それはともかく、こういう説明がよくされる。 しかし、宗教とリンゴが

          宗教研究のはじまり ー 宗教探訪(2)