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【随筆】我慢の女 第三章

何度学校からの呼び出しがあっただろう。
何度警察署へ迎えに行っただろう。
家にいる時に電話が鳴ると、動悸がするようになった。そんな時の予感は当たるもので、警察や学校の担任の先生から長男が起こした悪事が伝えられる。私は受話器を持ちながらとにかく頭を下げる。
「申し訳ございません」「ご迷惑をおかけしました」
相変わらず家には帰って来ないのだけれど、こうして長男が元気であることを知る。でも、ちょっとだけ疲れてきたかな。
次男も「兄貴と同じ学校に行く」と言って、長男が通う高校を受験をするようだ。次男の頭ならばもっと上を目指しても良いと思いもしたのだけれど、「兄と一緒に通う」と言って耳を貸さない。中学生の時から変わらず夫のお兄さんの会社で働く長男にそれを話すと、「フンっ」と鼻で笑いながらも嬉しをそうな顔をしていた。
その頃私を悩ませていたのは長男だけではなかった。次男も友達と学校で暴れるようになり、娘も中学へ入学すると反抗期というだけでは済まない態度を取るようになってきた。いつも不機嫌で私が話しかけても無視をされる。
これが一番辛かった。悪いことはいけないけど、学校や警察へ頭を下げることは母親として当然だと思っている。でも可愛い娘に、女同士でわかり合えるかもと考えていたものが崩れ去ったような気がして、ただただ辛かった。

長男が大学へ進学したいと言ってきた。「全然足りないと思うけど、お母さんにも少しは貯金があるから学費を出させてほしい」と言ったけど長男は手を振って「いらない、いらない」と断られた。奨学金を借りるために協力を頼まれた。もちろんだ。夫にも話さなければならないがなんとかする。しなければならない。
馬鹿ばが言ってんじゃねぇ!長男は学校出だら働いて家に金入れるもんだ!おめぇほったらごど(そんなこと)もわがんねのが!」
土下座をしても頭を叩かれ、足に縋りついても蹴り飛ばされ。泣いて頼んでもビンタされる。ごめん、お母さん力になれそうにないよ。ごめんね。本当にごめんね。
後日長男に会った。どう言えば良いのか。顔を合わせることが出来ない。喫茶店の席に着いてから、私は何度も何度も頭を下げ続けた。
「お母さん、ありがとう。もういいんだ、俺働くから」と少し歪んだ笑顔を見せて泣いた。私は本当にこの子の母親なのか。お母さんと呼んでもらっても良いのか。何か手があるのではないか。私は要領が悪いし、頭も悪いから思いつかない。そうだ、夫のお兄さんに相談してみよう。
「いいど!俺が全部出してやっから、あいづどご(あいつのこと)大学さ行がせでやっぺ」
頭を応接室の冷たい床に付けて土下座した。その日も働きに来た長男にお兄さんと一緒に話をした。「いや、俺はもう働くことに決めたから」と言った。お兄さんも説得してくれている。学費は貸すのではなく、俺なりの償いとお前に対する礼なんだと。せっかく母親が土下座までして頼んでくれたのにそれを反故にするのかと。私のことはいいんだ。私はこの子のためになるなら何度でも頭を下げる。お願いだから頷いて。意地を張らないで。

卒業式の日。卒業生退場の時に長男が胸ポケットに挿していた薔薇を保護者席にいた私を見つけて、列から抜け出して手渡してくれた。そんな目立つようなことはやめてほしかった。他の卒業生のお母さん達も笑っている。恥ずかしくて恥ずかしくて顔を下に向けてしまった。おかげであの子が出て行くまでの姿をみることが出来なかった。家に帰るまでにしおれちゃったりしないかな。
最後に担任の先生に挨拶をし、これまでの長男の行いを謝罪した。長男が何かをやらかした時、一番に口にするのが「お母さん呼ぶんじゃねぇだろうな」だったそうだ。そうだよ。大変だったんだよ。仕事を抜け出して。たくさんの人に迷惑をかけたんだよ。あなたも私も。でもね、私はあなたに会いに行くのが楽しみだったんだよ。内緒だけどね。

長男は家を飛び出した中学生の時からこれまで、一番仲が良かった友達の家の離れを借りていた。長男がいない時に何度もお宅へ伺って家賃をお納めしようと思ったけど、最後まで受け取ってくれなかった。高校一年生の夏に、その家の友達が白血病で亡くなった。長男が友人を代表して弔辞を読んだ。その日は青空が広がっていたはずなのだが、話し始めた途端に南国のスコールのような雨が降り出したのを覚えている。ずぶ濡れになりながら弔辞を読み続ける長男が参列した皆の涙を誘っていた。
「これで家を出てもらっては、息子に私達が追い出したと思われるからなぇ」ご両親のご好意で、高校の卒業まで離れに住んでいられることになった。安心したような顔をしていた。
友達の家を出る日、私と長男でお礼に伺った。「何故出ていってしまうの」「ここから働きに通ったらいいんじゃない」と何度も引き留めて下さった。息子のように可愛がって下さった。
結局最後まで大学進学の提案に対して首を縦に振らなかった長男に呆れた夫のお兄さんが「これだけは俺に面倒を見させろ」と言って長男にアパートを貸してくれた。お兄さんが所有するアパート。家賃はかなり気を使って下さっていた。

それから長男とは少しの間疎遠となるのだが、一度だけ頼みを聞いてもらったことがある。娘が仙台の制服が可愛いことで有名な高校への進学が決まり、制服が届いたある夜の話。当時の彼氏に呼び出され、車で走っているところを警察に補導されたのだ。彼氏は28歳。車高が低く、音のうるさい車に乗っていた。丁度夫が夜勤でいない時に警察から電話があったことだけが救いだった。娘も「お父さんには絶対にバレたくない」と言っているそうだ。私一人で行くのがどうしても恐ろしく感じてしまって、夜遅くに長男に電話をした。すぐに来てくれ、長男の車で警察署へ向かった。長男の車も車高が低く、とてもうるさかった。
警察署へ着くと娘が連れて来られた。「お母さん、お兄ちゃん、ごめんなさい」と泣き出しそうな、叱られるのを恐れているような表情を見せながら頭を下げた。私が叱ろうとすると長男に手で制され、「制服姿を見せたかったんだろ?」と笑った。
奥から警察官に付き添われ彼氏がやってきて頭を下げた。途端に長男が走り出して彼氏に馬乗りになり拳を叩きつけた。終始無言だった。警察官も一瞬の出来事に身動きがとれないでいるようであったが、すぐさま長男の両腕を抱き抱え引き剥がしどこかへ連れて行かれた。若い警察官の方に差し出されたコーヒーを飲みながら、しばらく署内のベンチで長男を待った。やがて出てきて、今回は相手も被害届は出さないということで、厳重注意ということとなった。「あんだは本当に馬鹿ばがなごどやって!」と長男を叱ったが、当の本人はケラケラと笑い「そりゃこんなもんだろう」と悪びれることなく言った。娘は笑って良いのかわからない顔をしていたが、長男の「笑えよ」の言葉に引き攣った顔で笑った。

長男には同棲をして3年になる彼女がいると聞いた。同じ職場での社内恋愛だということだ。夫と私も社内恋愛で、その頃には長男が生まれる少し前だったかと思い出しもした。
その頃になると夫が「孫の顔も見せねぇなんて親不孝者が!」と長男だけでなく次男にまで怒鳴るようになっていた。娘はとびっきりの自由な性格をしていたため、既に家を出て東京にいる。電話で一言「私結婚したから」と私が一番楽しみにしていた娘の結婚というイベントが告げられた。結婚式を挙げる気も無いとのことで、これまた楽しみにしていた娘の花嫁姿を見る夢も崩れ去った。写真だけでも撮ってくれないかな。あなたが生まれた時から、その日が来るのを楽しみに、寂しくならないように覚悟をして待っていたんだよ。
次男は家にいたため夫の罵声を毎日浴び続け、まだ先だと考えていた結婚を早めることになった。「結婚式代は俺が出してやる!」と言いはしたが、次男と彼女が決めてきた式場の出した見積もりを見て「おめぇら人の金で式あげんだがら贅沢言ってんじゃねぇ!」と怒鳴り、本人達を無視して内容を削り始めた。彼女も驚いた顔をしている。次男も怒りで震えているが何も言えない。流石に「私の貯金から出すから、希望通りで挙げさせてあげで!」と言ったが、「俺の顔に泥塗る気が!黙ってろ!」と怒鳴られて聞いてはもらえなかった。結婚式当日、息子が妻を迎える喜びの涙と、本人達には申し訳ないことをしたという思いの涙が合わさり流れた。

次男の式が終わると何かにつけて長男を呼び出すようになった。「おめぇどうするつもりだ!一人の女も幸せに出来ねのが!どうけじめ付けんだ!」と怒鳴る。あなた。私は今幸せだと思いますか。幸せを感じていると思いますか。
「俺が金出してやっからすぐに結婚しろ!式挙げろ!」と言われ、長男も結婚を早めることになった。長男は何も言わなかった。数日後彼女を連れて式場のパンフレットと見積もりを持ってきた。夫はそれを見るなり破り捨て「やっぱりおめぇには何も決められねぇみでだな。いいわ。俺が全部決めでやる」と言って私達が式を挙げた松島のホテルを決めてきてしまった。最低限の衣装と料理。演出。招待人数。全て夫の意向だ。当日。満足げに、誇らしげにしているのは、私には夫一人だけのように見えた。奥さんになる方のご両親も、最後まで目が合うことは無かった。
式から一ヶ月と何日かしたくらいだったか。長男が離婚届を提出したことを報告に来た。目の前が真っ白になった。夫が何かを怒鳴っているのは聞こえるが、内容は頭に入って来なかった。
同棲中から他の男の気配があったらしい。結婚の話が出た頃にはそれは確信に変わっていた。式の後、帰りが遅い妻の職場へ長男が行ったところ、車の中で事に及んでいるのを見たそうだ。彼女は悪びれることなく、記入済の離婚届を投げてきたと言った。「だから何も言わなかったんだ」長男はそう呟いた。
次男もマンションを買って家を出ていき、それ以来顔を見せに来ない。娘は旦那さんの異動に着いていった先のインドで離婚を決意し、今はドイツの男性と結婚をしたとメールが来た。零れていく。私の持っている幸せがどんどん零れていってしまう。

長男の離婚から一年ほどが経ったある日。次男に第一子が誕生した。夫も私も喜んだ。特に長男は涙を流して喜んでいた。その夜に長男から話があった。
「家を買ったから一緒に住もう。あいつら(次男家族や妹夫婦)が帰ってくる家が必要だし、いつまでもあなた達をこんな住宅に住ませておけない」
そう言って契約書を見せてくれた。夫は「おめぇにしては良い考えでねが」とこんな時にも悪態をつく。私は頭を下げることしか出来なかった。言葉を話すと声が震えてしまいそうで、恥ずかしくて「ありがとう」を言うことが出来なかった。
引っ越しも全て長男が手配し、準備もしてくれた。夫は「あいづが勝手にやったんだがら、あいづにやらせどげ」とパチンコに出ていった。もちろん私も手伝ったが、長男が好きなものをたくさん作って食べさせた。私にはこんなことしか出来ないから。
新居はリフォーム済みの立派な家だった。庭もあるし、家庭菜園も出来そうだ。車も3台は問題無く駐車出来る。私達の老後も考えて、玄関にはスロープを作り、階段や段差のある場所には手すりを追加で付けてくれていた。その気持ちが嬉しかった。あと何年後になるかわからないけど、ありがたく使わせてもらうね。何より嬉しいのは、またあんたと一緒に暮らせることなんだよ。

三年後。大きな揺れが東日本を襲った。我が家は多少の傾きと、ガラスが割れた程度。家の中は足の踏み場も無い状態ではあったけど、私達3人の命は助かった。良かった。本当に。沿岸に住む親戚も津波は到達したけど床上までは届かなかったと言っていた。娘は状況が落ち着いてから、ドイツから文字通り飛んで帰ってきた。テレビで流れる映像を見ては心配で毎日泣いていたそうだ。大丈夫。もうこっちは電気も水道も復旧しているよ。沿岸は。
次男家族も問題無いらしい。いち早く電気と水道が復旧したことで、自慢げに風呂に入っている写真が送られてきた。

震災からゆっくりと日常を取り戻し、頻繁に繰り返される夫と長男の喧嘩にも慣れてきた頃。どうやら夫が長男の本当の地雷を踏んだようだ。何を言われても、何をされたとしても、最後は許してきた長男。どんな言葉だったのかは今でもわからない。激しく言い争っていたのが、突然台所の水道から落ちる雫の音が聞こえるほどに静かになった。無言で自室へ戻る長男。追いかけてドアをノックしたが返事は無い。その翌週、長男は姿を消した。

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