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厄年を乗り越えろ 徳川家康公生誕の地 岡崎の神社巡り 出世、開運の昇龍伝説

2023年11月現在。
クライマックスを迎えている大河ドラマ「どうする家康」の重要な舞台の地、岡崎市の神社を巡ってきた。
いつもの如く前日夕食後に「龍城神社たつきじんじゃ龍の井を見に行こう」と思い立ち、8時に岡崎城に到着。

左手奥には岡崎城。

まずは龍城神社へ参拝。
御祭神
徳川家康公
本多忠勝公
天神地祇
護国英霊

泰平の世を築いた偉業を讃え、徳川家康公生誕の地の岡崎城内に東照宮を建立。
徳川四天王の一人、本多 忠勝ほんだ ただかつを初代とした11代目となる本多 忠粛ほんだ ただとしが岡崎藩の当主となり、本丸に初代忠勝公を御祭神とする映世神社を建立。
その後東照宮と映世神社が合祀され、現在の龍城神社となったとのこと。

御神徳としては、やはり天下人となられた家康公。
幼少期は人質として過ごし、天下人にまで昇り詰めたところから出世や必勝、数々の戦での敗北を味わった逆境から立ち直る力、そして多くの優秀な家臣を持った事から組織のトップなど部下を持つ立場となった方はその御神徳にあやかることが出来るよう祈願されるとよろしいかと思われる。

そして本多 忠勝公は57の戦場いくさばで無傷であったと言い張って言われている猛将として有名だ。
槍の名手で、その手に握るは名槍蜻蛉切とんぼきり
忠勝公が突き立てた槍の切先にトンボが止まろうとした所、そのまま真っ二つになったことに由来される。

岡崎城公園内の忠勝公像。

少々解釈を広げて自身のキャリア形成を祈願されては如何だろうか。
57戦無傷の御神徳にあやかり、キャリアに傷を付けることなく切れ味鋭く猛将のように突き進む。

死にともな、嗚呼死にともな、死にともな、深きご恩の君を思えば

これは忠勝公の辞世の句である。
「死にともな」は決して死を恐れているのではなく、死んでしまえば君主、家康公への恩義に報いることが出来ないといった意味と解釈すべきだろう。
それを三度繰り返す。
徳川家への深い忠義を表した句。
私はここから自分なりの思いを祈願させていただいた。

そして忠勝の娘である小松姫(稲姫)も父親譲りの勇壮で才色兼備な女性であったことから、子育てに関する祈願も良いかもしれない。

上記で御神徳について非常に曖昧に「思われる」や「かもしれない」と書いたのは、全て私の考え方を述べただけだから。
神社HPには諸願成就と書いてある為、幅広くお聞き届け頂けることなのだろう。
だが、御祭神に因んだ祈願は、より御神徳にあやかることが出来そうな気がすると私は考えている。
あくまでも気がする・・・である。

今回の日帰り旅の目的である、龍の井は社殿へ向かって左側にある。

龍城神社と天守の間にある。

家康公御誕生の際に、金の龍が昇天したと伝わる井戸。
岡崎城は龍にまつわる伝承が複数ある。
岡崎城の別名は龍ヶ城。
こちらは出世・開運に御利益があると伝わる、所謂パワースポットと呼ばれる場所。
後の天下人御誕生である。
縁起が良すぎることこの上無し。
パワースポットとしては有名だが、意外とひっそりとあるのでお見逃しの無いよう。
岡崎城公園内には他にもパワースポットと呼んで良いものかは不明だが、御利益を頂戴出来ると云われる場所がある。

徳川家康公産湯の井戸。

美しい木々に囲まれている。

井戸の側には水が湧いているので、是非こちらで手を清めていただきたい。

東照公えな塚。

厳粛な空気。

徳川家康公のえな(へその緒・胎盤)を埋めたと伝承されて祀られる塚。
家康公も戦の前には必勝祈願をされたとのこと。

なんか写真がいい感じに撮れていますが、これは意図的に光を入れているので神々しい感じになっています。
スピリチュアルな意図はありません
悪戯に煽る意図は無いが、こちらの場所は畏敬の念というか、畏怖というか、何らかの力を感じた。
こちらを離れようとして二度戻った。
初めは写真だけ撮影。
別の場所へ向かおうとするが、何か気になりもう一度戻り一拝し離れる。
だがまだ気になり、灯籠前まで戻って合掌の上祈念。
何故かは不明だが、そうしなければならない気がしただけだ。
恐怖というわけではなく、あくまでも畏怖・畏敬に近い感覚。

龍城神社参拝の後は近くに鎮座されている菅生神社すごうじんじゃへ。
こちらは岡崎最古の神社とされ、日本武尊やまとたけるのみことの東征とも縁のある神社。

乙川の堤防沿いに建つ。
境内社も複数鎮座されている。

御祭神
天照皇大神
豊受姫命
須佐之男命
菅原道真公
徳川家康公

徳川家康公も25歳の時、厄除け・開運祈願をされた。
歴代の岡崎城城主の崇敬も篤く、城内鎮守の守護神として祈願されたとのこと。

少々歩き徳川家康の産土神とされる、六所神社ろくしょじんじゃへ。

五万石以上の大名だけが上ることを許された石段を上ると・・・。

重要文化財指定されている楼門。

朝日が美しい拝殿。

こちらの拝殿、幣殿、本殿。
境内内の神供所も重要文化財に指定されている。

神供所。著者の存在感は無視してください。

徳川家光公の代に改築を命じられ、その際建てられたものが現存している。

御祭神
猿田彦命さるたひこのみこと
塩土老翁命しおつちおじのみこと
事勝国勝長狭命ことかつくにかつながさのみこと

松平氏発祥の地である松平郷(現:豊田市松平町付近)の六所神社が、宮城県塩竈市に鎮座される、鹽竈六所明神(現:鹽竈神社しおがまじんじゃ)より勧請を受け、六柱の神を祀っていた。
岡崎ではその内上記三神の分祀を受け、現在では他に十二柱の神を祀るとのこと。
現在こちらの六所神社HPがリニューアル中で、御祭神の詳細を追うことが困難だ。
とある一説だが、上記三柱に岐神くなどのかみ興玉命おきたまのかみ太田命おおたのみことを加えた鹽竈六所明神は同体、異名の神だとする説もあるようだ。
塩土老翁命を祀る事から、安産祈願の神社として信仰されているとのこと。

その後は数社巡り、岡崎城と2024年1月まで開催のどうする家康 岡崎 大河ドラマ館を見て本日の旅程は終了。

家康の兎の心。
家康といえばこの金陀美具足を思い出される方も多いのではないだろうか。

まだまだ巡りたい場所がある。
厭離穢土欣求浄土の言葉を家康が知ることになった大樹寺。
岡崎入りした悲運の正妻、築山御前(瀬名)が住んだとされる場所、そしてその首塚。
徳川家康の嫡男、松平信康の首塚。
これは大河ドラマの影響ではなく、多少影響があるのは事実だが史実や伝承、噂はどうあれ、供養の気持ちが大きい。
近日築山御前と松平信康の悲劇の舞台となった浜松を巡る。

まだまだ巡りたい場所がある。

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