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厄年を乗り越えろ 浜松の神社巡り 後編 秋葉山本宮 秋葉神社 出世の神社 元城町東照宮等家康ゆかりの神社参拝

前編を書いた次の日から五日間、京都の神社を巡ってきたのだが、やはり素晴らしく、そして不思議な体験もさせていただいた。
皆さんにお伝えしたいことばかりが溜まってくるのだが、まずは浜松の素晴らしい神社について書いていこうと思う。
前編も是非ご覧いただけましたら幸いです。👇


今回参拝にあがらせて頂いた神社

秋葉山本宮 秋葉神社


御祭神
火之迦具土大神ひのかぐつちのおおかみ
御名の「火」の文字が示す通り火の神様であり、伊邪那岐いざなき伊邪那美いざなみの御子神。
火之迦具土誕生の神話では火を纏う火之迦具土を出産の際、伊邪那美は御身体に大火傷を負い、それが元で亡くなってしまわれたという話がある。

御神徳

御神徳は、火の幸を恵み、悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い除く火防開運の神として、火災消除・家内安全・厄除開運・商売繁盛・工業発展の霊験あらたかなるものとして、全国津々浦々から信仰されています。御霊験は奈良朝以来、屡々顕れ、御神威は海内に行きわたり、朝廷の信仰篤く正一位の宣旨を賜って、正一位秋葉神社と申し上げます。

秋葉山本宮 秋葉神社HPより

このまま引用して終わりでは私がこちらを書かせていただいている意味が無くなってしまう為、私なりの解釈も記載して行く。

「火」「炎」「燃える」「燃焼」「鎮火」「煙」等々。
火に関する文字から連想するわけだ。

例えば家内安全。
真っ暗闇の山中を歩いていたとして、遠くに篝火かがりびが見えたらそこを目指したくなるだろう。
安心感も覚えると思う。
家族が家にちゃんと帰ってくる。
家族が安心していられる家と考える。

そして夫婦喧嘩、嫁姑問題、兄弟喧嘩等の家庭内での争い事。
怒りは燃え上がるもの。
これを「鎮火」出来たとしたら如何だろう。
金属同士を繋ぐ際も火(熱)を使用する。
これを関係の修復と考えたら更に味わい深いものとはならないだろうか。
溶接箇所は強固になるという。
修復された関係が、より強固になるということだ。

これは家庭内に限ったことではないと考える。
例えば仕事。
仕事に対しての意欲が燃え上がっていれば、パフォーマンスも向上するだろう。
経営者、事業主ならば商売繁盛の御神徳にも繋がってくるのではないか。
トラブルが起きた場合の謝罪の際にも是非祈願されてみては如何だろうか。
怒りの鎮火、関係修復。

このように解釈の仕方で、御神徳は無限に広がる。
そもそも神様の御力をこちらが決めつけるべきではないと考える。

ちなみに秋葉山本宮 秋葉神社は上社下社がある。
私はまずは下社から参拝させていただいた。

秋葉山本宮 秋葉神社 下社

上社、下社共にこちらには参拝前の素敵な作法がある。

罪穢れを祓う切り火

通常の手水の他に、画像のような切り火セットを設置していただいている。
右利きならば右手に画像左側の火打金を持ち、左手に火打石を持って右手に持った火打金を打ち付け火花を散らす。
これを三度行う。
徳川 家康も毎日朝一番に行ったという厄や邪気を払う風習だ。
現在でも歌舞伎役者、落語家、大工、鳶職等の方々には伝わっている。
火の神様ならではの作法。

その後上社へ。

上社大鳥居

まずはご注意頂きたいのが、上社駐車場までの道のり。
険しく細い道路を登ってこなければならない。
車幅のある車だと、かなりの緊張感を味わうことが出来るだろう。
山の麓のお寺から徒歩で登る方法もあるようだが、私は迷わず車を選択した。

見事な神門

鳥居をくぐり、しばらく進むと思わず息を呑む神門が現れる。
こちらの山門は是非足を止めてご覧いただきたい。
神門自体が見事なのだが、入口側と出口側で四神が睨みを利かせている。

四神ししん
中国の神話で語られる、四方の方角を司る霊獣だ。
様々なゲームやアニメにも登場する為、ご存知の方も多いのではないだろうか。

東の青龍
西の白虎
南の朱雀
北の玄武

中でも私のお気に入りは青龍と白虎だ。
この二体の目は今にも襲いかかってくるのではないかと思わせる迫力を感じる。

幸福の鳥居

神門をくぐり更にしばらく登ると、幸福の鳥居が見えてくる。
青い空に黄金の鳥居である。
これはくぐっただけで御利益を頂戴出来そうだ。

秋葉山本宮 秋葉神社 上社

尚、こちらには天狗みくじというユニークなおみくじがある。
初穂料500円を納め皿を三枚拝受し、願い事を皿に書き込む。
画像の字が汚ったないのはご勘弁願いたい。

三枚全て金運円満にすれば良かったと思っている。
柵の間に輪が見えるだろうか。

手水舎側に皿を投げる場所がある。
画像下部、柵の間に輪があるのだが、ここに祈念しながら皿を投げ入れる。
意外と近いように見えるが、なかなかの距離がある。

私は身体健全の一枚を通すことに成功した。
ここに投げ入れるコツを書いておく。
フリスビーのように弧を描いて飛んでいくイメージをしていたのだが、実はライナーで飛んでいく。
前方に飛ばすというよりは、重力に逆らわず輪を狙ってまっすぐ落とすように投げると上手くいく。

境内には他にも様々な御社がある。

三末社
九末社

こちらの御社は全て神明造しんめいづくりで建てられている。
屋根の端に交差するように立てられている千木、屋根の上に直角に並んだ鰹木という丸太の数に注目して頂くのも神社を巡る際に深みを出してくれるかもしれない。
御祭神が男神ならば下画像の外削ぎで、女神ならば内削ぎと言われる。
また、鰹木の本数が奇数なら男神、偶数なら女神と言われているが、こちらの説は様々ある為もし興味があればお調べいただきたい。

画像は下記サイト様からお借りしている。

今回こちらの御社でも「この神様って男神だったのか」等、考えさせられることがあった。

大しいたけ丼

お土産屋さんと一緒になった御食事処があるのだが、是非お立ち寄りいただきたい。
こちらの大しいたけメニューが、とても美味しいのだ。
私は丼を頂いたが、妻が食べた大しいたけ蕎麦が美味しかった。

元城町東照宮もとしろちょうとうしょうぐう

元城町東照宮
手水舎
拝殿

御祭神
大国主命おおくにぬしのみこと
事代主命ことしろぬしのみこと
徳川 家康公

こちらの神社は二人の天下人が関わった地、出世の神社としても有名だ。
元城町の地名の通り、こちらには引間城という城が建っていた。
引間城城主、今川家家臣の飯尾氏配下、松下家にて奉公をしていた一人の青年。
それが後の豊臣 秀吉だ。

そして徳川 家康が引間城を制し、この地を浜松と名付け浜松城を築城。
そして浜松城築城の間、実際にこちらに住んでいたそうだ。
ちなみに、家康公が実際に居住されて東照宮となった神社はこちらの神社だけとのこと。
引間城と徳川 家康との間には、とあるエピソードがある。
こちらの記事内、お田鶴の方おたづのかたの項もご覧いただけましたら幸いで御座います。

境内には後の天下人の像。

この像はフォトスポットにもなっている為、天下人二人に挟まれて写真を撮影し、出世の御利益にあやかってみては如何だろうか。

浜松八幡宮

鳥居前には参道が設けられている。
浜松八幡宮拝殿

御祭神
玉依比売命たまよりひめのみこと
品陀和気命ほんだわけのみこと(応神天皇)
息長足姫命おきながたらしひめのみこと(神功皇后)

こちらの神社は浜松城の鬼門に位置し、鬼門鎮護、武運長久の神として、家康公も参拝に訪れていたとのことだ。
そして境内にそびえ立つ樹齢1000年を超える大楠。
雲立楠と呼ばれるその大樹には伝説がある。
三方原の合戦において甲斐の武田 信玄に敗れた家康公は、武田方の追っ手を逃れて八幡宮境内へたどり着き、こちらの幹の下部にある洞穴に身を潜め難を逃れたという。
その際、洞穴の中で家康公が八幡神に祈っていると、大楠より瑞雲が立ち昇り、神霊が白馬に跨った老翁の姿となって浜松城へと家康公を導いたと伝わる。

雲立楠

その後浜松城を拝観。
もちろんどうする家康 浜松 大河ドラマ館も楽しんだ。
これで岡崎、浜松共に見ることが出来た。
岡崎は巨大な可動式ジオラマや、映像で関ヶ原の戦局を見せてくれた。
そして感覚に語りかける演出も楽しむことが出来た。
浜松では大阪の陣の撮影方法が紹介され、現在の大河の迫力の映像がどのように作られているのかを知ることが出来た。
歴史好きにはどちらも満足の内容だろう。
開催期間も残りわずか。
是非ご覧いただきたい。

浜松城
金陀美具足
歯朶具足
若かりし日の家康公

私の今回の浜松の旅では、徳川 家康公ゆかりの地を巡らせていただいた。
夜には美味しい料理、美味しい酒も楽しんだ。
浜松の魅力を知ることが出来たことに感謝。
そして、これから浜松を訪れる方の参考にしていただけるのならば、これほど嬉しいことは無い。

次回からは京都の神社巡り編に入って行く。
あまりに歴史との関わりが深い地の為、書きたい内容も膨大となる。
全ての記事をまとめる記事も作成しようと思う。



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