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【随筆】我慢の女 第二章

高速道路を降り、しばらく走ると段々と建物と建物の間が広くなってくる。
目的地に到着するとそこは一面田んぼと畑。川沿いに伸びる、駅の無い細長い町であった。
夫の実家があるからここには何度も来ている。長閑のどかで良いところだなとも思っていた。まさか住むことになるとは思っていなかったから。

町営住宅。間取りは一階に六畳一間と板の間の台所。二階に六畳間、四畳半一間の3K。昭和47年建築。あの時で築20年か。古くもない気はするけど、見た目はそれよりずっと古く感じた。
廊下や階段の軋み、壁の薄さ、お風呂はコンクリートの打ちっぱなしの床に真四角の水色の浴槽が隅に押し込められている。子供と一緒に入れるかな。
一棟反転型で二戸が繋がった造り。新しい我が家だ。
福島から持ってきた家具は全て入らなかったから、私の子供の頃から大切に使ってきた箪笥を処分することにした。母に新品で買ってもらった、たった一つの箪笥。仙台にも持って行った。福島にも持って帰ってきた。
ハート型に抜かれガラスがはめ込まれた小さな開き戸には写真が入れられるようになっている。処分の前にそこに入れていた母を含めた家族6人の写真をそっと抜いた。

引っ越しも終わり子供達の転入も済んだ。
夫も求人誌を片手に電話をかけている。まずは酒屋をやる前の仕事、ガソリンスタンドで探しているようだった。あの頃はまだ30代の半ばだったし、仙台では有名な会社での経験者ということですぐに仕事は決まった。
私は夫のお兄さんが経営する会社でパートとして働かせてもらうことになった。
娘の幼稚園の送迎があるので、時間は相談の上で働かせてもらっていたはずだったのだけれど、パートの時間が終わり帰ろうと思ったら社長に「おめぇこんな状況で帰る気が!?」と怒鳴られた。
娘を迎えに行かなければいけないと言ったが、「仕事なんだがらそんなごど関係ねぇ!」と聞いてくれなかった。
せめて幼稚園に電話だけでもさせてほしいと頼んだが「いいがら仕事しろ!」と怒鳴るだけだった。当時は携帯電話も無かったから会社の電話を使わせてもらう他無かった。不安で不安で仕方がなかったけど諦めた。
娘が待っている。泣いてしまうのではないか。かわいそうに。ごめんね。ごめんね。娘が一人で待っているのを考えるだけで涙が出てきた。
泣きながら仕事をしていると社長が近寄ってきて、「そんなんで居らっても気分わりい!けぇれ!」と怒鳴った。急いで帰り支度をして車を飛ばした。
幼稚園の駐車場に着くと、建物の窓からこちらを見ている女の子が先生と立っているのが見えた。娘だ。涙が溢れてきた。走って娘の元へ向かった。娘は「お母さんなんで泣いてるの?」と言った。私は「遅くなってごめんね」と娘を抱きしめた。娘は温かかった。
帰ってきた夫に話すと、夫は劣化の如く怒り、お兄さんに電話し「おめぇのどごになんか預げられっか!明日がらやんねぇ(行かせない)がんな!」と言ってくれた。
ある日ひょんな事から以前働いていた仙台の会社の社長が、隣町の小さなスポーツ用品店に経理のパートとして雇ってもらえるよう紹介してくれた。ゴルフ仲間なのだそうだ。次の仕事は幸運にもすぐに見つかった。社長の紹介ということでなのか時給も弾んでくれた。

最近長男の元気が無い。何かあったのかと聞いても「いや、大丈夫」とすぐに外へ出てしまう。いじめでも受けているのかな。
次男は元気そうだから心配いらない。あの子は溶け込むことが出来たみたいだ。もともと夫に似て器用で人懐っこい子だから。大丈夫。
長男は私に似てしまったから。不器用で人に気を使ってばかりだから。大丈夫かな。
夫に相談すると「ほったらごど(そんなこと)男なら自分で解決するもんだ!」といって相談には乗ってくれなかった。事実どうしようも無い。私が出来ることはしてあげよう。
夫も仕事が思うようにいっていないようで気が立っていた。毎日酒をたくさん飲んでいた。
いよいよ長男が学校へ行きたがらなくなった。それまで迎えに来てくれていた友達も来なくなった。どんどん塞ぎ込んでいく長男を見ていると辛くなる。辛くはなるけど、いざこうなると何もしてあげることが出来なかった。私もどう接して良いかわからず「お母さんに話してみてよ」そんな言葉すらかけてあげることすら出来なかった。

「仕事辞めできたがらや」
いつもよりも早く帰ってきた夫が言う。私は黙って頷いた。その頃から夫は酒を飲んでは物を投げたり、食卓をひっくり返したりと荒れていたから怖くて何も言うことが出来なかった。
最近下ばかり向いている長男も気に入らないのか、顔を合わせると説教から始まり頭を叩いたりビンタしたりした。あまりに酷い時は私も覆い被さってかばった。だがそれも夫は気に入らない。「おめぇがそんなんだがらこいづは情げねぐなったんだ!」と私の上から蹴る。
夫が働かなくなってから私の給料だけでは生活は厳しく、食事は質素になっていった。食べ盛りの子供達にはかわいそうなことをした。せめてお米だけでも手に入れば、ご飯をたくさん食べさせてあげられるのに。
当然酒も買うことが出来ない。でも買わないと暴れるから安い酒を探して買って帰る。「こんな酒飲めっか!」と投げつける。私は夫に土下座した。
「どうか子供達にたくさんご飯を食べさせてあげて下さい」
夫は何も言わず寝室へ入っていった。翌日から求人誌を片手に電話をかけはじめてくれた。

長距離トラックの運転手としての仕事に就いた夫は、毎日は帰ってこられなくなった。夫がいない日は心なしか長男も安心しているような気がする。夫の車の音が聞こえると、長男は隠れるように二階の部屋へ引っ込む。
夫が帰ってくると次男と娘にはお土産を買ってきてくれる。二人と笑顔で話し終えると二階へ向かう。襖が大きな音を立てて開かれ、「何隠れでんのやっこの!」と怒鳴った次の瞬間には長男を殴る音が聞こえる。私はすぐに二階へ上がり止めに入るが夫は止まらない。夫の気が済んだのか「おい、飯」と言われ、すぐに食事の用意をする。
夫が帰ってくる日は家族みんなで食べようということにしていたが、食卓に5人分料理を並べると夫が長男の分の料理を外へ投げ捨て始めた。なんとか止めようと思ったが止まらなかった。夫は「おら!降りで来ぉ!」と二階へ向かって叫ぶと、長男が恐る恐る降りてきた。「おめぇの分はそどさあっから、そいづ食えや」と笑った。長男は無言で食卓につき、下を向いて皆が食べるのを待っていた。夫は「なんだおめぇ、せっかくお母さんが作った飯が食えねのが!?」と度々長男の頭を叩く。長男は黙って下を向いていた。
夫が寝た後におにぎりと味噌汁を持って行って食べさせた。長男は口の中が切れているから「痛い痛い」と言いながら泣きながら食べていた。私も泣きながら顔を眺めていた。

長男は中学へ上がるとバスケットボール部へ入部した。
私はスポーツ用品店で働いていたからシューズを安く買うことが出来たのだけれど、私のへそくりではそんなに高い物は買ってあげることは出来なかった。長男にカタログを見せて「このくらいの金額で我慢してね」と言うと、嬉しそうに「ありがとう!これで頑張れるよ!」と言ってくれた。涙が出てきた。私は弱くなったのかな。泣いてばかりな気がする。

ある日の仕事中、営業の人は外回り、もう一人の事務社員は休みを取っていたので事務所には社長と私だけ残っていた。その日は社長がやたらと肩や腕を触ってくる。無下にも出来ないので愛想笑いで避けていると、応接用ソファーに来るように言われた。私はそれを断りすぐに帰宅した。
夫に辞めて良いかと相談すると、「おめぇが色目使ったんだべ!」と怒鳴られた。でも自分の妻に危険が及ぶことは許せないらしく、紹介してくれた社長には理由は伏せ、店には退職届を郵送しそのまま退職となった。

その頃無言電話がかかってきていた。私や子供達が出るとしばらくして切れる。夫が出ると子機に切り替えて二階へ向かい長電話をしている。
わかってはいた。夫はそういう誘惑や欲望には逆らえない人だ。実は福島で長男をお腹に宿している時にも一度あった。その時は素直に土下座して「気の済むまで殴ってくれ!」と言ったので一発だけビンタした。
夫の上着から化粧品と女物の香水の匂いがする。同僚に貰ったと言っているが、ライターも近くのラブホテルの物だ。
電話が終わった夫を問いただす。「おう、何がわりいのや?ん?」と開き直った。夫は既に私を女として見てはいなかった。私のせいなんだ。そうだよね。運動もしていないし、子供を産んでから体型は戻らないし。ごめんね。

長男が傷だらけになって帰ってくることがある。「先輩にやられた」と一言だけ。心配していると「大丈夫だがら!」と部屋に篭ってしまう。またいじめられているのか。
相変わらず夫は帰ってくると長男がいる二階へ上がり大きな音を立てて襖を開ける。私は急いで二階へ向かおうとするが、いつもと様子が違った。長男が夫に馬乗りになって拳を振り下ろしている。夫も下から必死にもがいているようだったが、この頃一気に身体が大きくなった長男に抑え込まれている。「やめて!」私は長男に向かって叫んだ。長男は素直に夫を放し、荒い息を吐いていた。夫は起き上がると力一杯に長男を殴った。長男もまた殴りかかっていったが夫が叫んだ。
「誰に食わせでもらってっと思ってんだ!親に手ぇあげんなら出でげ!おめぇなんか高校さも行がせでやんねぇがらな!」
長男がぴたりと動きを止めた。同時に一切の表情が消える。そして長男は夫の目を見て「もうお前を父親だとは思わない。一生。これから、ずっと。結婚しても、子供が産まれても、お前には見せないし絶対に触らせない」と言った。そう言い放つと無言で家を出ていった。
長男が去ってからも「あの野郎、ただじゃおがねぇがらな!」いつまでも叫び続ける夫が小さく見えた。

次男と娘は全くと言っても差し支えの無いほどに手のかからない子供達だった。娘も順調に反抗期を迎え、私にも生意気な口を利くようになった。私に似ることなくとても頭が良く、要領の良い女の子。背も高くてクラスでも男の子にモテているのだそうだ。家に二人だけで娘の機嫌が良い時はこんな話もしてくれた。楽しいな。やっぱり娘っていいな。お母さんが出来なかったことは全部させてあげるからね。
次男は運動神経も良く、やはり女子にモテている。バレンタインデーにはたくさんのチョコレートを持って帰って来る。「お母さん、ホワイトデーのお返し買っておいて」と面倒臭そうに言う。生意気だなあ。

あの日以来長男は家に帰って来ない。長男がいつ帰ってきてもいいように、ご飯は毎日5人分作っている。同級生のお母さんの話では学校には毎日通っているらしい。どこにいるの。ちゃんと食べてるの。風邪ひいてない。
私はスポーツ用品店を退職してから、町内にある介護施設で職員として働くことになった。日勤、夜勤があり身体が辛かったけど、給料も良く、一緒に働く人達も良い人ばかりだった。その日は夜勤明けで一眠りしてから夕飯の支度をしている時だった。電話が鳴る。夫のお兄さん、以前私が勤めていた会社の社長からだった。
「なんか良ぐわがんねぇげど、あんだんどご(あなたのところ)の長男、うぢで働がせっからな。大丈夫だ、心配すんな。ちゃんと面倒は見っからな。高校さ行ぐって言ってっから、自分で金貯めで行ぐってごどだべ」
受話器を耳に当てたまま、深く、深く頭を下げて「よろしくお願いします」とお兄さんに言った。偉いね。自分で決断したんだね。ごめんね。私が何もしてあげられなかったからだね。頑張ってね。
それから毎日仕事が終わってからか夜勤前には、お兄さんの会社へ行ってラップに包んだおにぎりと私のお手製の漬物、少ないけれどお小遣いを届けた。長男の朝食として食べてもらうのと、お昼ご飯のためのお金。
毎日長男が働いているのを陰から少しだけ見ていた。少しだけ大人になったような気がする。
それからしばらく経ったある冬の日、職場に私宛で電話がかかってきた。長男だ。会って話したいことがあるとのことで、町内にある唯一の喫茶店で待ち合わせることにした。

痩せていた。でもしっかり大人に向かって成長している顔をしている。これまでを思うと涙が溢れた。「ちゃんと食べてる?」「病気なんかしてないがい?」長男の顔は痣だらけで、嫌がるのを無視して顔を撫でた。長男も涙を流していた。
高校進学のための学費をしっかり貯めていた。今回は願書の記入を頼みに来てくれた。これを書けば私は夫に何をされるんだろうとは思ったが、そんなことは一切恐ろしくなかった。覚悟は出来ていた。自分の息子の将来を願って何が悪い。自分の息子の将来を潰して何が親だ。
息子は見事合格。定員割れの学校だったとは言っていたが、自分で掴み取った未来なんだよ。頑張った。偉いね。お母さんは誇りに思うよ。
長男の高校進学をどこからか聞きつけた夫からは罵声を浴びせられ続け、暴力は永遠にも感じた。でも私は後悔していない。お母さんはあんだの味方だがらね。

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