【死】不死について考えてみる

人は必ず死ぬ。だからこそ死について考える機会って誰にでもあると思うんだけど、その時に必ずといっていいほど出てくる議論として『不死』についての議論があると思うんだよね。

『死』ってよくないものみたいなイメージがあって、だからこそその逆として『不死』が良いものなのか、みたいな。

少なくともこの世の中には不老不死を望んでいる人はいる。

だけれども、実際に不死って本当に良いものなのかどうかについては議論の余地があるよね。

イエール大学の哲学教授であるシェリー・ケーガンの『死とは何か』という著書によると、そもそも『死』が良くないものだとされる理由の一つの仮説として『死んだら、これから得られたかもしれない良いことが剥奪されてしまうから』という剥奪説というのが提唱されているんだ。

つまり、例えば、40歳で死んでしまった人がいたとして、その人が40歳で死なずに60歳まで生き続けることができたとすれば、40歳から60歳までの20年間に起きる良いことを経験することができたはずだ。

その経験できたはずの良いことが奪われてしまったわけだ。

だから死は良くないってのが剥奪説ね。

この説に則ると不死が良いことだってのは理論的に理にかなってるんだよね。

だって、剥奪説が正しいとすれば、何歳で死んだってそれは良くないことになるよね。

例えば、100歳まで生きたとしても、100歳で死んじゃったら120歳までの20年間の間に経験できたかもしれない良いことが経験できなくなるわけだから。

この話は永遠にできるんだ。

だから、永遠に死なない方が良いってことになるよね。

けど、本当にそうなのかどうかは分からない。

そもそも、長く生きられるようになったからといって、その人生が良くなるとは限らない。

ちょうど最近、『素敵な選Taxi』というドラマを見てたんだけど、そのドラマの主人公の枝分(竹野内豊さん)が運転するタクシーは過去に戻ってその地点からやり直すことができるというタクシーなんだ。

お客さんが戻りたい分岐点まで戻って、その地点からもう一度過去の失敗をやり直すことができる、そんなドラマなんだけど、そのドラマでも言ってる通り、戻ったからと言って上手くいくとは限らない。

それと同じで、不死を手に入れて長く生きられるようになったからといって、その人生が最高のものになる保証はない。

逆に、なんでもそうだけど『適度』ってものがあるよね。

これくらいがちょうど良いってものが。

例えば、僕はお肉が好きだ。焼肉に行くとテンションが上がるんだけど、毎回帰る頃には気分が悪くなっている。

食べ過ぎたんだろうね。

つまり、最初の方は美味しいし幸せだ。

だけど、あまりに量が多すぎると、お肉を見るのも嫌になるくらい気持ちが悪くなる。

その時点では決して幸福ではなく苦痛に変わっている。

それと同じことが起きるかもしれない。

80年から100年くらいがちょうど良いかもしれない。

200年も500年も1000年も生きることができたら、もうこの人生はうんざりだってなるひが来るかもしれない。

この人生を辞めたいって思う人が来るかもしれない。

けど、そうなったとしても止めることができないんだ。

『ガリバー旅行記』では、ガリバーがとある国を訪れる。

その国の住民の一部は永遠に生きることができる。ガリバーは最初は『素晴らしいことじゃないか』と思ったらしい。

多分みんなもそう思うよね。

だけど、その住民たちが歳をとるにつれて老化は進んでいく。

体や脳はだんだんと衰えていき、昨日できたことが今日はできなくなっていく。そんなことがだんだんと増えていくんだね。

そして、最終的には病にむさばまれ、痛みと苦しみに耐えながら、そこから解放されることもできないんだ。

『不死』がそんなものならゾッとする、と『ガリバー旅行記』の作者であるジョナサン・スウィフトは言っているらしい。

モンテーニュは『死は恵みだ』と言っていたらしい。老齢になった私たちが見舞われる痛みや苦しみ、惨めさに終止符を打ってくれるからだそうだ。

確かにそれは真っ当なんだけど、多分、僕たちが不死を考える時の望ましい不死って『不老不死』のことなんだよね。

みんな老いていきながら、ただ死なないって状況を望んでるんじゃなくて、若く健康なまま永遠に生き続けたいんだよね。

その条件が付け加えられたら、あなたは問答無用で『不死は素晴らしい』と思える?

僕は思えない。

少なくともどれだけ永遠に健康だったとしても、200年も500年も1000年も生き続けたいと思う人生を想像することができない。

この思考実験は哲学者の間ではよくなされていることらしい。

イギリスの哲学者バーナード・ウィリアムズも、『こういう生き方なら永遠にそれだけを続けたいというものを描き出すことができるか?』という問いに対して『ノー』と答えているらしい。

僕は、人生はリミテッドなものだからこそ素晴らしくなりうるんじゃないかと思うんだ。

みんなが人生に一生懸命になれるのだって、それが限りあるものだからだと思うんだよね。

人生のステージがどうのこうのってよく聞くんだけど、それだって人生が大体80年から100年って決まってるから、その中で登山のように何合目とかってのが設定できるだけで、もしそれが永遠だったら今自分がどこにいるかすら分からなくなってしまう。

今自分がどこにいるか分からないってのはどうも不安だ。

多分みんなもそうだよね。

だから、たとえ、死が良くないものだということを認めたとしても、だからと言って不死が良いという結論にはならない気がするんだよね。

みんなはどう思う?

不死について考えてみる。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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