【意識】感情の役割

みんなは『心理学』って聞くとどんなイメージを持つかな?

『心理学っていうくらいだから「心」の研究をするものでしょ』とか、『人の心がわかるようになるんだ』と思うかもしれない。

塾の生徒に僕が大学で心理学を専攻していたことを伝えると『え、じゃあ今私が何考えてるか分かるん?』と聞かれたことがある。

その子だけじゃない、大人でもそう聞く人は結構いる。

ただ、結論から伝えておくと、心理学を学んだからといって他人の考えや感情、心の中なんて分からないんだ。

ただ、ここまでの話の中だけでもたくさん出てた『心』という言葉、これについての研究であることはあながち間違いではないと思うんだ。

だけど、そうするとまず初めに取り組まないといけない質問は『心』ってどこにあるんだという問題だよね。

本来、何かを研究するというとき、それがある前提で話を進める必要があるよね。

例えば、昆虫の生態を研究するといった場合は、昆虫がいる前提で話が進むはずだし、日本の市場を研究するという場合には、『日本の市場』というものが存在することは疑う余地のないことなんだ。

だけど、『心』に関してはその正体が分からないし、そんなものがあるのかどうかも分からない。

だけれども、『心』という言葉が存在する以上、そういった概念を僕たちが持っているということなのかもしれないよね。

だって言葉があるってことは、少なくともその言葉を使う人たちにとっては存在するものなんだから。

絵文字は英語でも『emoji』というんだ。それは英語圏の人にとって僕らが使うような絵文字の概念が存在しなかったからだよね。

だけど、絵文字という文化が日本から輸入されてそれがそのまま浸透した結果なんじゃないかと思うんだ。

それと同じように『心』も、それが何かもどこにあるのかも、どのようにして作られるのかも分からないけれど、多分存在するんだろうということで僕たちは了承しているわけだよね。

昔から『心』に関する研究はたくさん行われてきた。だけど、その『心』の研究を担う分野は時代とともに変わってきたんじゃないかな。

例えば、昔で言うと宗教だったのかもしれないし、哲学や悪魔学のようなものが人気の時代もあったはずだよね。

今でも人の心が神と繋がっているという人はいるが、僕はそんな世界を想像することができない。

そして、現代でいうと、『心』の脳説というのが最も有力だと思われるんだ。

つまり、『心=脳』であり、僕たちが心で感じるようなものは脳で作り出されているんじゃないかという考え方ね。

科学の発展に伴い、そっちの主張の方が受け入れられるようになっていったんだ。

逆にこれまでの『心の概念』は非科学的だとして排除されるようにまでなったわけね。

だから、意外かもしれないけれど、かの有名なフロイトやユングといった古典的な説や理論は今や大学の心理学部ではあまり取り上げられないんだ。

それはなぜかというと非科学的だからだよね。

フロイトは元々神経学者だから、そっち寄りな感じもしてたんだけど、どっかのタイミングで神経学から手を引き、精神分析にのめり込んだタイミングがあるらしい。

もちろん彼が今でも偉大な心理学者であり思想家としてのを残しているのは、紛れもなく彼が提唱してきた心の概念以上に説得力のある説が誕生していないからだと思うんだよ。

彼の理論を非科学的だとは排除することはできるだろうけど、もしそうするのであれば、その代わりとなる説を提唱する必要があるはずだ。

だけど、それがまだないって感じなのかな。

19世紀ごろからフロイトの説に変わる理論の探究が盛んになったんだ。

例えば、行動主義なんかはその一つだ。その時代でいうと、ものすごいパラダイムシフトだったと思うよ。

この記事では、行動主義の考え方に対してはあまり賛同的ではない方をとるんだけれど、行動主義は分かりやすいし、見えやすいという意味で良かったと思うんだよ。

行動主義っていうのは、人間の『心』とか『意識』のような、見ることも触れることもできないものを存在しないという前提のもとで、目に見える行動だけが全てであるとする考え方だったんだ。

そして、その行動は『報酬』と『罪』によって強化や弱化を行うことでコントロールすることができるという考え方だったんだ。

『リトルアルバート』という実験でお馴染みのジョン・ワトソンという心理学者は、

「私に1ダースの健康でよく管理された子どもを与え、自分に環境を自由に支配することを許してくれるなら、子どもを医師にでも弁護士だろうと、泥棒にでも望むものに育ててみせる」

という有名な言葉を残している。今考えると怖いこと言ってるよね。

ここから、『パブロフの犬』で有名なイワン・パブロフや、オペラント条件付けなどを提唱したB.F. スキナーなどが後に続くことになる。

先ほども述べた通り、行動主義は非常に分かりやすいし、教育現場などではよく取り入れられているんだけど、『心』や『意識』が全く存在しないと想定している点については間違っていると思う。

僕たちや欲求や意志を感じることができる。

例えば、『お腹が空いた』とか『眠たい』という欲求から、『あの人に認められたい』とか『仕事で成功したい』という願望まで、様々な良級や意志を意識的に感じている。

その一方で、無意識的に行われている処理も多いんだ。

例えば、体温だったり血圧だったり、脳内の酸素量の調節だったりは、いちいち意識していないが、体は勝手にやってくれてるんだよね。

だけど、それが普段通りじゃなくなってしまった時、例えば、脳内の酸素量が通常よりも減ってしまった場合、僕たちの体はその酸素量をもとに戻そうという欲動が働くんだ。

そして、その欲動が初めて意識されるようになり、眠気として感じられるようになる。

そして、『眠たい』という欲求に変わるんだ。

他にも体内の水分量が足りなくなると、元の水分量に戻したいという体の欲動が発生し、それが初めて意識されることで『水が飲みたい』という欲求に変わる。

これらは全て行動主義の説明では説明できないことだし、いまだにわかっていない『心』の働きとして機能しているものだと思うんだ。

そして、僕たちの体が正常に機能していないこと、また正常な状態に戻すように促すことが『感情』の役割なんだ。

感情の役割。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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