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レコード鑑賞のススメと昨今の言論人たち

昨今のサブスクでの音楽リスニングは便利な反面、味気ないことが良く取り上げられています。

そもそも音楽を「聴く環境」が作り手と聞き手で元々、乖離がありました。

それでも、作り手は聞き手の環境にも合わせてラジカセでのモニタリング環境などでもチェックしていましたが、現在はその乖離すらどちらでも良いような、ある意味、iPhoneやラップトップでの音鳴りやEarPodsでの再生環境に合わせていることは時代の流れなのかもしれません。

しかし、スピーカーから空気の振動によって実際に耳に届く音楽や演奏者の生音は今も昔も変わりません。

一般的なmp3に代表される圧縮された音楽や周波数帯域を狭められたCDなどのデジタルコンテンツも今ほど便利ではありませんでしたが、携行性に優れて遠方への旅行などの際には大変喜ばれました。

かといって、レコードが不便なのかというとそうではありません。

周波数帯域を含む音楽情報が最も多く内包されている媒体であることは、聞き手の再生環境でどこまでもアップデートが可能であり、また愛好家同士での環境の違いすら楽しめる非常に広がりのあるインタラクティブなフォーマットであると言えます。

「温かみのある音」とよく表現されるノイズを含む豊かな音は、自分自身の体験でも同じ音源の場合、心に深く染み込み思い出されるのはレコードで聞いた時です。

自宅でレコードを裏返すとき、他のレコードを探しているときに、必ず訪れる外界(近所の音や気配など)の音も、心理的にも大きく左右するのではないかと思います。

レコードで音楽を楽しむことは環境も含めて経験になり、イベントなどでの体験は「自己の内面を見つめる(内観)」にあたると思います。

よくYoutubeなどで政治や宗教、教育などについて議論している言論人には、特に音楽的な心の豊かさを感じ取ってもらい、相手の主張を論破して喜んだり、問題の解決を提示しない自身の邪な心に向き合って欲しいと感じています。

昨今は海外で教鞭をとったり、居住地が日本ではない日本の言論人が多くのメディアで政治家やテレビ局の関係者等と多種多様な問題について論じています。

海外で生活していた経験がある方は分かると思いますが、『心をあらわにすること』、『自身に正直になること』を日本で住んでいるよりも海外で住んで現地のコミュニティーとしっかり向き合って生活していると、日常生活において数多く求められます。

そのような経験は実際に見聞きした仮想の体験とは違い、ネットやYoutubeなどのメディアで論破したりして自己肯定に邁進することが如何に無意味で陳腐なことかを早い段階で気づくことに役立ちます。

では、なぜ昨今の30歳以上の日本人で海外経験のある人間が、非常にクローズな人間性で他者への思いやりに欠けた側面が持て囃されたり、議論で相手を打ち負かすことに力を注ぐ傾向があるのでしょうか?

このような状況になっているのは、人間同士の関わり方が変化しているからと言えばそれまでですが、コロナによって一層進んだと感じます。

また、冒頭でも触れた通り、音楽メディアの違いによる影響も無関係とは思えません。人との関わりがアナログ文化の時のように物事を深堀する土壌であれば、wikipediaで簡易的に得た知識を振りかざす正義を面白がったりする環境にはならないのではないでしょうか?

今後より先鋭化するであろう相手のことを深掘りしないで論破に勤しむ言論人は、メディア等での発言力が増していき、日本の若者や有識者を含め日本の良さが薄まっていくことを加速化させていくように思います。

音楽を含むアナログ文化への回帰で世の中の悪い流れが、少しでも停滞することを切に願っています。

本当の意味での心身ともに健康でいられる環境は、他者なしではあり得ず、また他者への心配りをもって相互に構築していくことで少しずつでも前進すると思います。

そして、そのような他者と自身のアナログな心のふれあいは、広い意味で健康寿命を伸ばす重要な一因と考えています。


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