一番の近道は遠回りだった。
さて、今日は【推しの子】最新12巻の発売日。
kindleで0時と同時に購入しました。
最近は電子版で本を買うことが少しづつ増えてきましたね。
それはさておき、気づいたことがあります。
森俊夫先生は、「演劇論」から「セラピー(カウンセリング)論」を構築しました。
この辺りが、演劇に触れた経験のない私には、分かりづらかったんですね。
で、【推しの子】を読むと「演劇論」が少しだけ語られます。
この演劇論のおかげと言いますか、ほんの少しだけでも「演劇ってナニ?」が見えると、森先生が言いたかったことが理解できてくる気がします。
なぜ、森先生はクライエントの顔を見るよりも「クセを書き留める」ことを大事にしたのか。
そしてなぜ、エリクソンは「観察」と「ペーシング」が大事だと伝えたのか。
それは「クライエント」に「孤独」を体験させるためではないか?と。
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友田不二男先生は、クライエントが面接で体験する「飛躍」について下記のように述べています。
この言葉は、クライエントが、カウンセリング中に「変性意識状態」(負の幻視)を体験していることを意味します。
つまり、カウンセラーのペーシングが行きつくところは、「クライエントの自己対話」ということではないでしょうか。
言い方を変えると、クライエントに自己対話の場を提供するためには「カウンセラーがクライエントを演じること(によってカウンセラーが消失すること)」が重要なんじゃないかなと。
カウンセラーがクライエントを演じること(ペーシングによる演技)で、クライエントが変性意識状態に入り、「鏡に映った自分」と対話しているように感じる。
「鏡の中の自分との対話」
これが本当の意味での「オウム返し」ではないかと思うわけです。
友田不二男先生らは、このようにも述べています。
あなたは、クライエントに「先生がいなくなっちゃう」と言われたことはありますか?
私にはありません。
そう、試験合格には「近道」がありますが、「クライエントの『飛躍体験』」に至るには「近道」なんかはないんですね。
ということで、私は「遠回り」をしながら、いつか「先生がいなくなっちゃう」体験を、クライエントに提供できるようになりたいなと思っています。
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