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映画「パラサイト」感想:それでも人生は続いていく

昨日、映画「パラサイト」を観た。そして、今日、アカデミー賞、作品賞、監督賞、脚本賞、を受賞したとのこと、とってもおめでたい!!!オスカーをハリウッド映画以外がとるのは、ものすごいことで、映画界の大きな変化を感じる。
これだけ評価されている作品だけど、観た後は、「面白かった」以外には、自分がどういう気持ちなのかわからなくて、何と表現したらいいかわからない、というのが正直な感想だった。でも、それこそ、パラサイトという映画のタイトルのごとく、映画のことが自分の頭から離れない。

自分の気持ちがわからないけど、頭から離れないのはどうしてだろう、ということを考えた。
映画の中でよく出てくるような分かりやすい構図だと、善人と悪人がいて、善が悪を倒したり、悪が善を攻撃したりする。でも、今回は、出てきた登場人物には、極端にいい人、極端に悪い人はいない。それぞれ、利己的な面や卑怯な面もあるし、家族想いだったり、無邪気だったりするような面もあり、人間的な人物ばかりだったように思えた。多種多様な要素によって強調される貧富の差は明らかだけど、根本的にはみんな似た者同士であったように感じた。その人たちが、お互いに「パラサイト」している構造は、貧富の差関係なく、確実にあった。お金持ちの家族も貧しい一家に生活・子育て全般について依存しているし、貧しい一家もお金持ちの家族の資産に依存している。その構造は今の自分の社会でのポジションを考えると自分にも起こっていることだなと思うけど、極端なシチュエーションと、極端な貧富の差のために、この映画の中に自分がいる姿は想像できない。終始、傍観しているような感覚だった。
それから、どの登場人物も、最初は皆、幸せそうだった。だから、わざわざなんでこんな悲劇が起こる必要があったのかな、という考えと、でも、この悲劇は防ぎようがなかったのではないかな、というような諦めの両方が頭の中にごちゃっと出てきた。
最終的に、あれはなんだったんだろう、という、よくわからない気持ちになった。一人残らず不幸になったことには間違いない。でも、誰かのことを責めるような気持ちにもならないし、誰かを憐れむ気持ちにもならないし、悲しい気持ちにもならない。
映画の中でこれだけの出来事が起こっても、何の気持ちにもならない、っていうのは初めてだったので、本当に驚いた。何の気持ちにもならないけど、何かが頭の中に残っている。

それから、この映画が何を訴えようとしているのかが気になった。富を糾弾し貧困にある人々に寄り添うような感じとは全く違う気がした。私がずっと傍観していたこの映画には結論はなくて、たくさんの疑問が傍観者であった私に残されたように感じた。
どうすれば悲劇は起こらないのか。人が自分にとって大切なものを守りながら共生していく道は果たしてあるのか。自分にとって本当に大切なものは何か。そもそも、その大切なものも自分の純粋な意思によって決められるものなのか。

少なくとも私の中にはその答えがないし、映画の中にもないし(私にはないように感じられた)、唯一の正解もない気がする。この答えのなさが、「よくわからない。でも頭に残る。」という感覚の源なのかな、と思った。

主演のソンガンホは、この映画について「それでも人生は続いていく。そう感じてくだされば」と言っていた。世の中にも人生にも、正しい答えはない本質的な問いがたくさんある。ううーん。映画も答えを教えてくれなかった。それでも人生は続いていく。傍観者だったはずなのに、不思議と頭にパラサイト(?)してくるこの映画、じわじわくるな…。

このNote、どこに着地すればよいかわからないので、とりあえず、ここで終わりにします。とにかく、こんな、「よくわからない」気持ちになる映画は初めてで、それが新鮮で、面白かったです。もう一度観に行くと思います! 


#映画 #パラサイト #映画感想 #アカデミー賞 #パラサイト半地下の家族

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