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研究者と研究派遣のギャップ

※本記事はあくまでも自身の観測範囲内の話であり、一般論ではないことを明記いたします。

少し前に、某所にて「企業に正社員で入ってくる人と研究派遣として入ってくる人は研究職として何が違うのだろうか」という雑談をした。研究職という同じ括りで捉えられがちかもしれないが、その場で挙がった意見として興味深かったのが「企業に正社員として入ってくる人は自分を組織に最適化できる柔軟な人を人事が選んでいる」という話と「逆に研究派遣系の会社に入ってくる人は良くも悪くも刺激的な人が多く集まってくるのではないのか」という話だった。この2つの話を合わせると、同じ「研究職」の肩書を持って会社に入ってきても人間としての性質が異なるのでは?という面白い考察が可能となる。

自分を組織に合わせられる、というのはコミュニケーション能力だけでなくストレス耐性に優れているとも言えるわけで会社からしてみたら研究の素養がありながらストレスに左右されない人材として重宝されることであろう(実際それが夢物語だからこそストレス関連の本が飛ぶように売れているのだが)

そんな中で、実際に研究派遣(自身もこの中の一人ではあるが)で来る人は当たり外れが激しいという意見が挙がった。高いコミュニケーションスキルを有しPh.D持ちだったり派遣先でFirst Author論文を出すような英傑もいれば初歩的なミスからの大事故を起こしたりアカポス持ちと大喧嘩して相討ち解雇になるような事故物件もあるという。

当たり外れが激しいということは、裏を返せば強烈なポリシーと意欲を持っているも捉えられるわけで、クリエイティブな仕事を任せるのであれば歓迎される要素なのかもしれないが、コンスタントに結果を出すことが求められる現場であればパワーヒッターよりもアベレージヒッターが欲しい所であろう。研究派遣を取り扱う人材派遣会社からしてみたらアベレージヒッターを沢山売り出したいところであろうが、実際の所研究者、特にアカデミア側の経験が長い人は(自分が知ってる中では)ムラッ気のあるパワーヒッターが多い印象がある。そのままでは売り物にはならないので、営業担当からしてみたらその辺は隠しておきたい部分であろうし、カタログスペック頼りに実際雇ってから中身がSSRかRか事故物件かは派遣先のみぞ知るわけで。

個人的に、自身も含めてムラッ気のある研究者に求められるのはストレス耐性にどうやって向き合っていくかという部分だと思っている。ストレス耐性は脳神経領域でやるようなサイエンティフィックな話(この論文のように実際ストレスに関与するバイオマーカーの探索も行われている)なので体育会系の根性論で努力してどうにかなるものではない。それでどうにかなるならば心療内科はここまでメジャーな医療にならなかっただろうし今手元にある「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(2017年4月刊)がたった2ヶ月で第7刷まで発行されることはなかったであろう。

自分自身、相性が最悪な上司との兼ね合いもあり結果的に心身を壊してしまい鬱病一歩手前になってしまったこともあった。酷い時は派遣元会社に出向こうとしたら震えが止まらなくなり営業所のエレベーターの中で倒れてしまうほどであった。近しい人に神経系のプロフェッショナルがいたことから「このままではお前が壊れる」的なアドバイスを貰い、結果的に研究派遣の道を断ってしまうことになってしまったのだがあのまま進んでいたどうなっていたのかと考えるだけで寒気がする。

個人的に、研究者は良くも悪くもセンシティブな人が多い(特にtwitter見てるとそんな気がする)のでもしアカデミアの道からメーカーを知るために研究派遣を選ぶのであれば均一化された仕事、無茶な要求といったサービス業の悪癖とどうやって付き合っていくかが鍵となるであろう。そして何よりも大事なのは自分を守ってくれる人が現場の上司にいるか否かだ。環境にもよるが自身を最もよく見てくれる人は派遣元の人間ではなく現場の上司であり、もし上司がストレッサーで派遣元の人間が対応してくれないのであればそのような派遣会社は見捨ててしまっても良いであろう、死ななきゃ安い。

結局のところ、自身が研究派遣という仕事に研究者として感じたギャップとしては専門性が問われる研究者と均一的なサービス業のギャップであり、どっちも必要ではあるが片方に押し込もうとすると歪みが生まれ行き着く先は互いの不幸であるという部分なのかもしれない。





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