木下ことり

8歳で母を亡くし、10歳で父が、再婚。機能不全化した家庭で過ごす。18歳で上京し両親と…

木下ことり

8歳で母を亡くし、10歳で父が、再婚。機能不全化した家庭で過ごす。18歳で上京し両親と離れるが、その頃からフラッシュバックや見捨てられ恐怖、頭の中に響く複数の人格の声に襲われはじめ、以後20年間近く苦しむ。出産を機に自分が心的外傷ストレス障害と解離性同一性障害であることを知る。

マガジン

  • コドモオトナ人間のつぶやき

    機能不全家庭に生まれ育ち、PTSDや乖離性同一性障害に翻弄されながらも なんとか40歳まで生き残って、今は結婚して二人の子供のお母さんをして穏やかに過ごしている私の日々の気づきとつぶやき。リハビリのために書いてます。淡々と積み重ねゆくこの穏やかな毎日が、私を育て癒していく。

  • ごめんなさいが止まらない

    18歳で上京して以来、日々暮らす日常の時の中で胸の奥底からズゥンという嫌な感じが突き上げてくることある。その度にグッと嗚咽をするように背中をすくませる。ものすごい罪悪感・自己嫌悪感。色で言うと、灰色。そしてみぞうちあたりから込上げてくる"ズゥン"という感覚。その度につぶやいてしまう自分がいる。「お母さん、ごめんなさい」と。これが1日に5〜6回。調子が悪い時には数え切れないほどあった。つぶやいた後は、「はっ」と我にかえり、「あ、また私ごめんなさいって言っていた」と気づく。今年、私は40歳。今もふと一人「ごめんなさい」と呟いてしまう、そんな状態が18歳から20年以上続いている。まるで私には、見えない手錠がかかっているようだ。「お母さん」って誰なんだろう。私は一体、誰に謝っているのだろう。そして何を謝っているのだろう。平凡な子育ての日々の中で見えてくる自分の中から聞こえる声を綴る。

  • ごめんなさいが止まらない 改訂版

    8歳で母を亡くし、10歳で父が、再婚。機能不全化した家庭で過ごす。18歳で上京し両親と離れるが、その頃からフラッシュバックや見捨てられ恐怖、頭の中に響く複数の人格の声に襲われはじめ、以後20年間近く苦しむ。出産を機に自分が心的外傷ストレス障害と解離性同一性障害であることを知ると・・・

最近の記事

安心のつくり方 <カエルを育てる>

 上の子供が5歳、下の子供が2歳になった。今、私は田舎の一軒家に旦那と子供達2人の4人家族で住んでいる。我が家は、周りを田んぼや林に囲まれている。現在、季節は、初夏。田んぼでは緑色の苗が勢いよく風になびき、庭では雑草と草花が日々しのぎを削り、蛙や蝉が全身全霊で鳴きまくっている。この季節になると子供達が毎日何か生き物を捕まえてくる。クワガタ、カブトムシ、カナブン、カミキリムシ、カマキリ、とかげ、カエル・・・。  私は九州の地方の港町出身である。私が生まれた家の周りは、コンクリ

    • 安心のつくり方 <人間関係>

      人間関係は、気を使う。気を使うと疲れる。だから減らせばいいと思う。最近アマゾンプライムで「ポツンと一軒家」という番組を観たらすごく面白かった。 「ポツンと一軒家」は、グーグルの衛星写真で上空から眺めた時に人里離れた・何もない場所にポツンと一軒だけある家を見つけ、そこがどんな家でどんな人が住んでいるのかを取材するという番組だ。私は、田舎に住んでいるが、都会に繋がるバスも電車も走っていてとても便利だ。そんな便利な地方都市的田舎ではなく、バスも電車もあまりはしっていないような本当

      • 安心のつくり方 <呼吸>

        <呼吸>  初めて心療内科に行った時、心理テストの絵を描かされた。私の絵は、刺激だけを求めている人間が描く絵だったらしい。初めての結婚と出産で4ヶ月くらいの赤ちゃんを抱きながら診察を受けていた私は、とても驚いた。だって赤ちゃんを抱えたお母さんって、ほんわかしたイメージのはずでしょう?だけど実際の私は赤ちゃんを抱えてたギンギンに緊張と不安でラリっていて、その緊張と不安を吹き飛ばしてくれるさらなる刺激を求めているような状態だったようだ。  先生は、そんな私の胸元から膝をブラン

        • 安心する場所の作り方

           機能不全家庭で育った人の共通点として大人になって生まれ育った家庭から離れても「常に不安である」「常に緊張している」状態が続いていることがよくある。しかし、私もそうだったが、一番不安で緊張している本人その人が自分が緊張していて不安であることに気づいていないことが多い。そもそも幼い頃から「安心する」「リラックスする」という状態を与えられずに育っているので、それがどういう状態なのかわからないのだ。私は、初めて心療内科の先生に「君は『安心』がわかってないんだ」と言われた時、「は??

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        • コドモオトナ人間のつぶやき
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        記事

          私の中の人たち

          私は、解離性同一性障害という障害と共に生きている。 これから話すのは、あくまで私の場合での話だ。 他の解離性同一性障害の人たちのことは、よく知らない。 専門家の見解についても詳しくない。 ネットで解離性同一性障害を検索すると「そんな障害は存在しない」とか「詐病だ」という意見もあるようだった。 私自身も2年前までまさか自分がそんな不思議な障害の影響を受けているなんて思いもしなかったから、「そんな障害は存在しない」と言っている人の言いたくなる気持ちもわかる。 精神の病

          私の中の人たち

          好きにやったらええよ

          自分の抱える障害や、それを引き起こすトラウマ、その根底にある過去について文字にして具体的に書き始めたのは2018年の5月。 次男が産まれて1年が経った頃だ。 39歳の時だ。 きっかけは二人目の子供の出産と育児だった。 私は、2017年の5月に二人目の子供を無事に産んだ。 二人目ということもあり妊娠や産後の生活、育児にも自分なりの取り組み方が出来上がっていたので周りの人の言うことに動じることもなかった。 一人目の息子を一緒に育てた数年間の間に旦那との協力関係・信頼関

          好きにやったらええよ

          餌を与えないでください

          18歳の時、私は両親の希望する関東にある大学に無事合格した。 大学進学と同時に上京した私は、夢と希望に満ち溢れていて毎日がキラキラと輝いてた。 力はみなぎり、やる気は溢れ、初めての自由に大空を仰いで叫び出したいくらいだった。 自炊や寮での暮らしは毎日楽しくて毎日充実していた。 お金も節約して、仕送りのほとんどを貯金していた。 数ヶ月が経った頃、私は、人生経験を増やすためにアルバイトをしようとした。 高校時代は、アルバイト禁止の女子校に行っていたので私は働いたことが

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          もっとも恐ろしい男

          私にとっての関わりたくないNO.1の「もっとも恐ろしい男」は、「誰にでもいい顔をする男」だ。 だいたい揉めている女たちの裏には必ずそのどちらにもいい顔をしている男がいるものだ。 AとBの女が、いるとする。 「もっとも恐ろしい男」はBには「Aがこう言っていた」「Bのためをいつも想っている」と言い、Aには「Bがこう言っていた」「Aのためを想ってやったことだ」と言う。 自分は、純粋ピュアな存在でいつも真心誠意に満ち溢れている存在だと思わせる。 最悪の場合、本気でそう信じて

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          家までの坂道

          私を育ててくれた継母は、よく「この家族には私と血の繋がった人間が一人もいない 私は孤独だ」と言って泣いていた。 これが正直な後妻に入った女性の気持ちなのだと思う。 別に彼女は、特別な悪女なのではなかった。 継子がいる家に後妻に入った全ての女性が、きっと1度や2度は、いや何百回も何千回もそう思って後悔することがあるような一般的な気持ちなんじゃないだろうか。 彼女は、38歳で49歳の父と結婚した。 経済的にも自立した女性だった彼女は、独身で通すつもりだったらしい。

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          「アダルトチルドレン」➁ 私たちを馬鹿にするなかれ

          私たち機能不全家庭に育った人は、小さい頃から親から束縛され、否定され、抑圧され、または無視され続けるような子供時代を過ごしている。 そこに温もりや安心、癒し、安らぎ、なんてものは、ない。 そこにあるのは「正しいこと」「間違っていること」、「良い子」「悪い子」、「好き」「嫌い」そういうジャッジメント。 私たちは、目つき、顔つき、髪型、服装、性格、声、趣味、好きなこと、嫌いなこと、、、、上から下まで全てを常に親からジャッジされ、親に気に入られなければ罰せられる。 私た

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          「あなたのためだから」② 恐怖のヒモ男

          20代後半、やっと両親と縁が切れた私は、会社を辞めた。 私は、全部やり直したくなった。 そして、それまで付き合っていた優しいボーイフレンドも、住む家も一度全部捨ててしまった。 私は、とにかく変わりたかった。 それまで慎重に整えてきた生き方を全部捨てて、ゼロから生き直したい気持ちだった。 そして新しく付き合った男。 そいつは、ヒモ男だった。 ヒモ男は、「面白い人」「ムードメイカー」「天然のxxくん」と友人たちの間では呼ばれていた。 当時の私もヒモ男の事を「天然

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          親友

          親友ってなんだろう。 私は、今年40歳になる。 私の友達で今も友達として連絡を取り合っているのは、 小学生時代の友達数名(SNSで最近つながった) 高校時代の友達1人(SNSで最近つながった) 大学生時代の友達1人(卒業後何年も会っていなかったが、結婚式に呼んでくれて以降たまに連絡を取り合っている) 会社員時代の友達1人(転職後ほとんど会っていなかったが、お互いが結婚して子供をもったことで再びたまに連絡を取るようになった) くらいだ。 どの友達も当時私が「

          終わりなきぐるぐるワンダーランド

          私の頑張りが、足りないの? 私の努力が、足りないの? 私が、家を継がなかったから、ご先祖様が罰を与えてるの? 私が、いいつけを守らず親から逃げたから、そんな子供は幸せになれないの? ごめんなさい。神様、ごめんなさい。 神様、もっとがんばるから、助けてください。 神様、私もっと、もっとがんばるから・・・。 * * * * * * * * * * * * * * * * 束縛する親から自立した後の20代〜30代、そんな風にぐるぐるぐるぐる24時間365日考えて、心

          終わりなきぐるぐるワンダーランド

          「あなたのためだから」① 会社上司

          私は、幼少期から青年期の長い長い両親からの支配と束縛を耐えて、耐えて、やっと必死で自立して逃げ出した。 「あぁ・・・やっとこれから自由に生きられる」 そう思ったのに、ずっと両親の亡霊が私の後ろにいる。 そしてあの頃と変わらない言葉で私を責め続ける。 どんなに耳を塞いでもその声は消えなくて、その声に怯えて、罪悪感に突き動かされて動いてしまう私。 その結果、いつの間にか両親に代わる支配者が私のすぐそばにいて私を支配したり束縛したりしている。 「上司」「友達」「恋人」・

          「あなたのためだから」① 会社上司

          「アダルトチルドレン」① 生きづらさに苦しむ人たち

          アダルトチルドレンって呼び方・・・あんまり好きじゃない。 「体は大人になったけど精神的には成長してないイタイ人」っていう風に斜に構えて観察しながら皮肉ってるように聞こえるのは私だけだろうか。 少なくとも私は「アダルトチルドレン」と聞いた時、「経済的にも精神的にも自立していない大人になっても他人に迷惑をかける幼稚な人間」という印象だった。 そういう誰かの性格や人間性を非難する時に使う言葉として使われている感じがした。 「あの人は本当に付き合いにくいわよね 子供っぽくてわ

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          毒 no2.「あんたは、本当に気が利かないんだから」

          相談者 30代 女性  私の母は、よく働くし気がきいて「仕事も家事も完璧にこなす妻」です。私は実家に帰るたびに「あんたは、本当に気が利かないんだから」と言われます。母は、いつも私の一挙一動を監視してはイライラして指摘してきます。私も自分の気が利かないところが嫌で変わりたいとも思うのですが、なかなか変われないです。実家に帰るといつも自分が失敗しないか、それを母に指摘されないかビクビクしてしまいます。父は、いつもテレビを見ているか趣味に没頭していて我関せずです。家のことも何もし

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