家までの坂道

私を育ててくれた継母は、よく「この家族には私と血の繋がった人間が一人もいない 私は孤独だ」と言って泣いていた。

これが正直な後妻に入った女性の気持ちなのだと思う。

別に彼女は、特別な悪女なのではなかった。

継子がいる家に後妻に入った全ての女性が、きっと1度や2度は、いや何百回も何千回もそう思って後悔することがあるような一般的な気持ちなんじゃないだろうか。


彼女は、38歳で49歳の父と結婚した。

経済的にも自立した女性だった彼女は、独身で通すつもりだったらしい。

でもお見合いで地元の一等地にビルを持つ経営者の年上男性と出会い、気が変わったらしかった。

でもいざ結婚してみて蓋をあけると一見お金持ちで地元の名士に見えた父の家業は、実は借金だらけだった。

おまけに創業者の祖父に全く頭が上がらず、50を目前にして明治生まれの90歳近い祖父の言うなりだった。

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後妻に入った彼女の使命は、二つ。

一つは、借金だらけの家業を立て直すこと。

そして、後継に商売を継がせ家を継続させることである。

彼女は私を経営者にふさわしい人間に育てるため、しつけや教育に力を注意でくれた。

でも自分と血も繋がっておらず性格も趣味も何もかも違う私のことは到底理解も共感もできない。

彼女には、可愛がっている姪っ子がいた。

姪っ子には、兄がおり、お兄ちゃんっ子の彼女は、いつも兄とキャッチーボールなどをして遊び、スポーツを好む男勝りの快活な子供だった。

一方、私は、一人っ子で、幼い頃から一人で本を読んだり音楽を聴いたり絵を描いたり、お人形遊びを延々とするような子供だった。

これは母親になった今わかったことだが、周りに遊び相手がいなくて親も仕事で忙しくて部屋に一人でいたら、必然的にどんな子供もそうなる。

継母は、男勝りな姪っ子が可愛くて仕方なかった。

そして日に日に可愛く思えなくなる継子の私が一人で人形遊びばかりしているのを見てはイラついた。

私が、機嫌をとろうと野球のゲームを教えてというと「あんたそんなことも知らないなんておかしいんじゃない?」と軽蔑するように言った。

継母は、私がおしゃれをしたり女性として色気づくことに対して強い嫌悪感を持っていた。

私が髪を伸ばしたり、髪飾りをつけたり、女っぽい格好をするのを毛嫌いした。

小学校から高校を卒業するまでの間、洋服も下着も全部、継母が選んだ。

彼女が、買い与えたものだけを着るのが決まりだった。

「子供は子供らしい格好をするように」

と言われ、私が自分で自分の着る服を選ぶことはできなかった。

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「あなたが出会った時に赤ちゃんだったら、もっと可愛かったのかもしれないのに。あなたが赤ちゃんだったら私の思うように躾けて育てることができたのに。あなたはもう出会った時にすでに大きくて甘やかされていたから、もう私の思うようには躾けられない」

私を叱った後、心底失望するようにそう言っていた。

私は、たびたび塾の宿題をやらずに隠してたり、学校のプリントを渡し忘れていたり、朝起きられなかったりした。

継母は、そんな怠惰な子供の私が、嫌だった。

私は、「そうだね ごめんね」と言って謝った。

「ひどいよ そんなこと言わないで」

とか

「嫌なら出てけよ」

とか

そういうことを言えなかった。

言える環境じゃなかったし、そもそも私は人に嫌われるのが怖いタイプの臆病な人間なのだ。

彼女の結婚生活は、家業の借金を返すことと24時間365日続く多忙な家業を回すことに費やされ続けた。

独身の頃は、給料の良い仕事を持ち、自分の家も買い、余暇を楽しむ余裕のある大人の女性生活を送っていたであろう彼女の生活は崩壊したのだ。

思い通りにいかない苛立ちのはけ口は、娘を思い通りの人間に育てることになった。

彼女は、私を正しい人間にしつけるために次々と新しいルールや罰則を考え出しては私に守らせようと躍起になり、私がそれを破ると泣き喚いて怒り狂った。

そんな彼女を私は、たくさん、たくさん、見た。

だから私は、「私はこの女性の人生を踏み台にしてめちゃくちゃにして生きているんだ」と強く罪の意識を持っていた。

両親とも「お前のせいでこうなった・・・」「お前のためにしてやっているのに・・・」と、毎日繰り返し私に言っていた。

「真面目な両親からこんなに良くしてもらっているのに親不孝な私は親の言う通りにやらないから親を不幸にしている」それが両親が脳裏に刻印した焼き印だ。

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思い通りにならない継子の私に絶望した継母は、なんとか自分の血の繋がった子を授かろうと必死だった。

自分の子がいないと結婚生活や会社経営を続けるモチベーションが、保てなかったんだと思う。

当然だと思う。

それくらい実家の仕事は365日休みなしで忙しかったし、借金の金額すごかったし、私は彼女に懐いていなかった。

毎月二回は、お墓と何か所もの神社を家族3人でお参りして回った。

何か所も神社を回って最後の神社で安産祈願をすると、継母は目に見えて意気消沈して涙目になった。

そんな継母に父は寄り添い、小声で話しかけ、労わり気遣った。

子作りは、二人が向き合っている問題で、二人は二人の世界に入り込んだ。

目の前にいる私は、そわそわした。

涙ぐむ女性に微笑みかけながらひそひそと小声で耳打ちする男。

明らかに私は邪魔者で、いてもたってもいられなかった。

「継子はこんなに私が頑張っているのに私の言うことを聞かないで私を苦しめている せめて私は自分の子が欲しい 自分の子を後継にしたい」

「この娘のせいで苦労をさせてすまない」

そんな二人の会話が、聞こえるようだった。

お参りの帰り道、家につながる坂道に差し掛かって家が見えると私は、一気に坂を駆け下りた。

そんな私を父や継母は、「またあの子は走って帰った」「お前は、また走ったな(そんなにお参りするのが嫌か?面倒なお参りが終わって清々してんだろ?)」と私の信仰心の薄さに呆れるような目線をくれて鼻を鳴らした。

「なんでいつも走るんだ?」

そう問われて、

私は、

「くだり坂だから」

と適当なことを言った。

彼らが想定している『何にも考えてない、ただ遊んでいたいだけの怠け者のコドモ』を演じた。

「あんたたちから責められんのが辛いんだよ」

「あんたらにコドモができないのは私のせいじゃないよ」

「私だってあんたらにコドモができて束縛から解放されたらどんなに良いかと思うよ 早く自立してあんたらとおさらばしたいよ こんな大変な家、継ぎたくないよ」

それが本音だったけど、、、。

本当のことを言ってこれ以上継母を傷つけて自分が悪者になるのが、怖かった。

継母が出て行ったら父が困るし、会社も困るし、働いている人たちも困るし、、、そんなことをしたら今度こそ私は本当に地獄に落ちると心から思っていた。

実家にいた時、よく地獄に落ちた夢を見た。

地獄で私は、拷問を受けるための列に並んでいる。

鬼から順番に首を括られるのだ。

血のように赤い溶岩のプールに沈められる夢。

たくさんの蛇が足をつたって身体を覆い動けなくなる夢。

毎日眠るのが、怖かった。


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